日本コカ・コーラの和佐高志CMO(最高マーケティング責任者)が、2023年3月31日に同社を退社する。和佐氏は09年に日本コカ・コーラ入社。緑茶ブランド「綾鷹」の立て直しや、日本コカ・コーラ初のアルコール飲料「こだわりレモンサワー 檸檬堂」のマーケティングに尽力した。13年から副社長、19年からはCMOとして、同社のマーケティング戦略を担った。日経クロストレンドでは、23年4月に和佐氏の単独インタビュー記事の公開を予定している。

日本コカ・コーラの和佐高志副社長が、2023年3月31日に同社を退社する。同社初のアルコール飲料として、缶チューハイブランド「こだわりレモンサワー 檸檬堂」を開発するなど、数々のヒット商品を手掛けた(写真/洞澤佐智子(CROSSOVER))
日本コカ・コーラの和佐高志CMO(最高マーケティング責任者)が、2023年3月31日に同社を退社する。同社初のアルコール飲料として、缶チューハイブランド「こだわりレモンサワー 檸檬堂」を開発するなど、数々のヒット商品を手掛けた(写真/洞澤佐智子(CROSSOVER))

 コカ・コーラブランドとして、全世界で初めてアルコール飲料に参入する――。2018年、その舞台となったのが日本だ。この前例のない挑戦をけん引したのが、和佐氏だった。和佐氏はマーケター集団として知られるプロクター・アンド・ギャンブル(P&G)出身。新卒でP&Gに就社した後、化粧品、スキンケア、洗剤などのマーケティング業務に従事し、09年に日本コカ・コーラに転じた。

 日本コカ・コーラ入社後の最初の成功体験として、印象深く記憶に残っていると語っていたのが綾鷹の立て直しだ。和佐氏が入社した当時、綾鷹の市場シェアは1%にも満たなかったという。社内で終売がささやかれる中、和佐氏は逆にほかの茶ブランドを廃止し、綾鷹一本に絞り込むという大胆な戦略を取る。過去の経験から、綾鷹が市場に受け入れられる大きな可能性を持っていることを見抜いたからだ。

 もっとも、改善すべき点は複数あった。例えば、商品コンセプトを「にごりのあるペットボトルに入った緑茶」から、「急須で淹れたような緑茶」へと変更した。商品の価値と独自性を消費者に分かりやすく伝えるためだ。この商品価値を端的に伝えるために「選ばれたのは、綾鷹でした」というキャッチコピーで知られるテレビCMが生まれた。綾鷹の緑茶市場におけるシェアは14年には20%にまで高まり、定番の緑茶ブランドとして定着させた。

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 和佐氏はP&Gから日本コカ・コーラに転じた後も、一貫してマーケティング畑をわたり歩いた。その同氏が「30年間のマーケター人生で培ったノウハウをすべてつぎ込む」という意気込みで臨んだのが、コカ・コーラのアルコール飲料参入という、世界初のプロジェクトだった。

 P&G時代から、消費者の声を何よりも大切にしてきた。過去には日経クロストレンドの取材に「マーケターは競合や消費者インサイトを、自分の手のひらでころがせるように知らなければいけない」(和佐氏)と語っている。P&G時代には、居酒屋で隣になったグループに話しかけ、自宅で使っている洗剤を尋ねたこともあったという。日本コカ・コーラでもアルコール飲料の開発にあたって、評判の居酒屋やバーに足しげく通い、リサーチを繰り返した。

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