2021年9月、練馬区の北一商店街にオープンしたパン店「Merci life organics(メルシー ライフオーガニックス)」は、業界の常識を大きく変える取り組みで売り上げを拡大している。マーケティング戦略を手掛けるのは、衣料品ブランド「アースミュージック&エコロジー」などを展開するストライプインターナショナル(岡山市)の創業者、石川康晴氏だ。2号店オープンを前に、パン業界のスターバックスを目指すと公言する石川氏に話を聞いた。

東武東上線東武練馬駅から徒歩約5分にあるMerci life organics(メルシー ライフオーガニックス)
東武東上線東武練馬駅から徒歩約5分にあるMerci life organics(メルシー ライフオーガニックス)

 「マーケティング戦略を僕がシェフに伝える。それを受けてシェフがレシピ開発をする。いわゆる戦略と技術の融合がメルシー ライフオーガニックスの強み」。こう語るのは、アパレル大手のストライプインターナショナル(岡山市)創業者で、現イシカワホールディングス(岡山市)社長の石川康晴氏だ。

 メルシー ライフオーガニックス(以下、メルシー)は、2021年9月、東京・練馬に1号店をオープンしたリテールベーカリー(同一店舗で製造・販売を手掛けるパン店)だ。有機小麦粉やフランス産発酵バター、国産黒糖など、天然の素材を使った35種類のオリジナルパンを販売している。

 イシカワホールディングスでは、小売業を中心にした起業家への投資や経営戦略の支援をしている。メルシーの事業戦略に生かされるのは、20年間で岡山県の小さなアパレル店を売上高1300億円超企業にした石川氏の経営手腕だ。

 店舗に入り、目にするのは大きなガラス張りのファクトリー。ファクトリー前のテーブルにはビュッフェのように総菜パンや菓子パン、バゲットが並ぶ。週末のお昼前に訪れると、地元の顧客が続けざまに来店し、慣れた様子で数々のパンをトレーに載せていた。

 石川氏は今回の取材中、「今までのパン店との違い」「業界の革命」といった言葉を頻発した。今後20年間で1000店舗を展開したいと語るメルシーの戦略とは、どんなものか。

5本の論文から考察した販売戦略

 開店に際し、「パンに関する研究論文を5本読み、すべての共通点をシェフに伝えた」と語る石川氏。共通点が生かされているのは、販売戦略だ。1日あるいは1週間の中で展開するパンの種類を変えているという。

 理論的には、朝はあんぱん、クリームパン、メロンパン、食パンなど口当たりのソフトなパンが売れる。夜は肉などの主菜やお酒に合わせるような堅めのハードパンが売れる。また、曜日軸では、平日がソフト寄り、週末はハード寄りのパンが売れるという。自身の体感ともずれていないことを確認した上で、石川氏とシェフの渡邊大氏は、2カ月間の合宿で約50種類のレシピ開発をした。現在は35種に絞って店頭に並べている。

 これらのパンは1商品ごとに2番目の客層までターゲティングしている。例えばピザ系のパンは第1ターゲットがおしゃれな既婚女性、第2ターゲットがシニア、ヨモギや白玉の入った菓子パンは第1ターゲットが高齢者、第2ターゲットが健康志向の女性といった具合だ。

 これらの上位にあるのが、メルシーというブランド自体のマーケティングだ。想定顧客の第1ターゲットには時短料理を好む働く女性、第2ターゲットにはシングルのシニア女性を据えている。高齢者女性の単身世帯は多い。「配偶者がいるときにはお米も炊いて煮物もたくさん作っていたが、1人になると食材が余るのでスーパーやコンビニの総菜やお弁当を買う女性が多い。こうした方たちに店舗で声を掛けながら少し晴れの気分になれるようなパンを提供したい」(石川氏)。働く女性やシングルシニアは一度気に入った店を見つけると他店に“浮気”しにくい。店舗としては、特に第1ターゲットの売り上げを50%にするのが目標だ。そのために「利益以上のKPI(重要業績評価指標)にしたのはリピート率」(石川氏)だ。

スーパーの売り上げが高い地域に店舗展開

 地域の食卓にいかに溶け込むか。利益以上のKPIに定めたリピート率は、「年に100回、つまり週に2回メルシーに来てもらうこと」(石川氏)。週に2回、地元顧客とタッチポイントがある小売業は地域密着度が高いといえる。石川氏は1日3食、年間約1000食のうち10%の胃袋をメルシーのパンで満たしてほしいと考えている。

 メルシーは練馬区の北一商店街にある。リテールベーカリー立ち上げに際し、立地の指標としたのが、「総合スーパー(GMS)の売り上げが高い店舗」(石川氏)だ。売上高20億円のGMSは成功といわれる中、イオン練馬店の売り上げは、出店半年前の段階で80億円に上るメガストアだった。また。20億円以上売れているエリアで人口構成を分析すると「ニューファミリーとシニアの密度が高い地域」だと分かった。午前中にはシニア層、午後にはニューファミリー層が主に店舗を訪れる。これが、先の「時短料理を好む働く女性」「シングルのシニア女性」というターゲットにつながっている。条件に該当する地域を探すと板橋区内や練馬区内が挙がったが、シェフの渡邊氏が練馬区出身だったこともあり、同区での初出店を決めたという。

100店舗食べ歩き看板商品開発

 おいしいパン店は世の中に山ほどある。自店のアイデンティティーを築こうと商品開発を手掛けたのがクロワッサンだ。研究のため石川氏と渡邊シェフは全国100店舗のクロワッサンを食べ歩いた。「神戸は激戦区で1日10店舗回ったがさすがに6店舗目から胃袋に入らなくなって困った(笑)」(石川氏)。看板商品として開発したのは極限まで生地の層を減らし、空気を入れて表面がパリパリに、中をとろとろにしたクロワッサンだ。「通常のクロワッサンは生地が27層。世界大会で評価された神戸のシェフは16層。これに対しメルシーでは、12層まで減らした」(渡邊シェフ)。さらに日本国内での供給量が限られるフランス産の発酵バターと国産の発酵バターを使っているという。

 このクロワッサンが住宅地の練馬区で非常に受けた。当初4カ月間は、購入までに2時間待ち。現在も店内の売上構成比の4割近くを占めており、(月に1回来店する)顧客率を55%に押し上げている。

一番人気の「Merciクロワッサン」264円(税込み)
一番人気の「Merciクロワッサン」279円(税込み)

全見せのファクトリーで透明性を担保

 メルシーの店舗面積の半分を占めるのがファクトリーだ。粉だらけになってしまうパンの製造現場を表に出す店舗は珍しい。だがメルシーではあえてファクトリーを開示するデザインを選んだ。「台に置いてある袋を読めば、どんな原料を使っているのかがお客様に分かる。すべてを開示し、アカウンタビリティー(説明責任)の確保をした」(石川氏)という。

 こうした店の姿勢に共感を寄せるのがZ世代だ。「無農薬の小麦に有機砂糖、有機クルミ、フェアトレードのチョコレートを使っていることに若い子たちが共感してくれる」(石川氏)。顧客だけでなく、メルシーに入社を希望する若者から高く支持されているという。

「有機くるみ&チョコチップスコーン」(写真上)は人気第2位。写真下は人気第3位の「牛すじ入りメルシーチーズカレーパン」
写真上は人気第2位の「有機くるみ&チョコチップスコーン」。写真下は人気第3位の「牛すじ入りメルシーチーズカレーパン」

SDGsの取り組みを経て1000店舗へ

 メルシーには、オープン当初からSDGsの観点に基づいた多くの取り組みがある。根底にあるのは「メルシー栄えて地域栄える」というミッションだ。

 その1つが、未来を担う子供たちへのサポート。具体的には開店当初から地域の子供食堂に、クロワッサンを中心としたパンを定期的に寄付している。今後オープンする新店舗でも必ず子供食堂や児童養護施設との連携をしていく。

 食品ロス問題にも取り組む。「多めに作って捨てるというこれまでの業界のあり方ではなく、『品切れを良しとする』という概念の元に製造している」と石川氏。午後6時の閉店時間に対し、午後3時半~4時半くらいに売り切れる程度の生産量を心がけ、廃棄しないパン店を実践している。

 業界の常識を大きく変えたのが働き方だ。「『パン屋は太陽を見ない』とよく言われ、朝3時に出勤して夜9時に帰るのがパン業界。こうした業界の働き方に一石を投じる思いで一大決心をした」(石川氏)。パンが売れる朝の時間帯を捨てたのだ。朝7時の開店に合わせるから従業員の出勤が3時になる。そこで開店時間を10時に設定した。「開店時間を遅らせたことで1日約3万円、25日間で75万円の売り上げを捨てることになる」(石川氏)。だが、ベイカー(パン職人)は太陽を見ることができる。朝6時に出勤して12時頃までにパンを焼き、休憩を挟んで午後に翌日の仕込みを終え、午後3時から3時半には帰宅する流れだ。残業はクリスマスなど特別な日にわずかにあるだけだという。

 働き方を変えると、次に技術力の高いパン店を目指した。人材育成では「渡邊シェフのコピーとなるベイカー」をつくるべく、カリキュラムを構築した。業界では珍しいという。カリキュラムは2年間。2週間単位で進捗し、さらにシェフが2週間単位でOJTをかけるかたちで技術を習得してもらう。背中を見ろという教育ではなく、手技を学んだ後にシェフ自らが隣でチェック&フォローしていく態勢とした。メルシーでは、2年間のカリキュラムと実践を経て、3年以内にはシェフとなり自分の店を持てるという構想だ。

 こうして、販売戦略、店舗オペレーション、人材育成などに力を入れる理由は「今後10年で200店舗、20年で1000店舗を目指している」(石川氏)からだ。イメージは1つの学区に1店舗。今後もGMSの売り上げが高い住宅密集地に店舗を広げ、生活の中に溶け込めるような店を目指す。

 22年6月23日には岡山市に2店舗目がオープンする。練馬店の8人に対し、30人が働く大型店だ。

メルシー2店舗目となる岡山店。1階にはベーカリー、2階にはカフェを併設した新業態
メルシー2店舗目となる岡山店。1階にはベーカリー、2階にはカフェを併設した新業態

 石川氏と渡邊氏には合言葉がある。「パン業界のスターバックスになる」だ。ブランド価値が高く、戦略性、運営力がある、つまり「ブランディング、ストラテジー、オペレーションのトライアングルをかなりの高確度で実現していく」のが目標だ。

 高級素材を使った商店街の中の1号店は、中に入ると驚くほどアットホームな雰囲気だ。総菜パンが多く並んでいるからだけではない。レジに立つ女性は、滞りなく会計が済むよう、顧客の列に何度も声を掛けていた。また別の従業員は、「クルミが入っているからお子さんが食べるときには(喉につかえないよう)注意してくださいね」と購入者にひと言添えていた。マーケティング戦略と、顧客に寄り添うサービスがどこまで地域に受け入れられていくか。今後の展開が楽しみだ。

イシカワホールディングス 社長兼最高経営責任者の石川康晴氏(写真左)とメルシー ベーカリーシェフの渡邊大氏(写真右)
イシカワホールディングス 社長兼最高経営責任者の石川康晴氏(写真右)とメルシー ベーカリーシェフの渡邊大氏(写真左)
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