東京パラリンピックで2021年8月29日の車いす400メートルに出場した58歳の伊藤智也選手を技術の面から支えたのは、製品のデザインや開発を手掛けるRDS(埼玉県寄居町)の開発チームだった。データ分析を駆使し、車体にカーボンを使った車いすを開発。今後は培った技術の社会実装も進める。
アスリートとしては不利な58歳という年齢ながら、日本発のテクノロジーの支援でメダルに挑んだ挑戦者がいる。30代半ばで多発性硬化症を発症。パラリンピック北京大会で2つの金、ロンドン大会で3個の銀メダルを獲得し、一度は引退したが、東京大会に向け現役復帰した伊藤智也選手だ。
これまでの大会では「T52」クラスで出場。今回の東京パラリンピックでもメダルが有力視されてきたが、国際パラリンピック委員会(IPC)による直前の国際クラス分けの結果、より障害が軽いとされるT53へ変更となった。突然の事態に日本パラ陸上競技連盟も抗議したものの、覆ることはなかった。
21年8月29日のT53の400メートル予選では57.16と自己ベストを更新するも、本選には通過できず。走行後には「トップスピードは30.4キロメートルに達していた。自分では見たことがない数字」と振り返った。T53の選手の中で普段のペースがつかめず、後半に疲れで腕が動かない展開だったというが「スタートラインからフィニッシュまで一生懸命走るのは変わらない」(伊藤選手)。その言葉通りのひたむきな走りだった。
12年のロンドン大会で引退していたはずの伊藤選手が復帰するきっかけをつくったのは、RDS社長の杉原行里氏だ。「テクノロジーとおっちゃんの融合だ」。伊藤選手とチームを組み、競技用車いすの開発を進めてきた杉原氏は、東京パラリンピックに向けて調整中の記録動画を見て驚いた。「今までの伊藤智也ではない。めちゃくちゃ速い。『うそだろ』と思った」(杉原氏)
カーボンを採用した競技用車いす「WF01TR」に乗った伊藤選手は、19年にドバイで開催された世界パラ陸上で400メートルは銀、100メートルと1500で銅メダルを獲得。千葉工業大学・未来ロボット技術研究センター(fuRo)と共同開発したホイールやシートの角度を調整するための車いす用のシミュレーター「SS01」も、東京大会に向けてさらなる進化を後押しした。
杉原氏が伊藤選手と出会ったのは16年10月。場所はスイスのチューリヒ、ロボット工学などの先端技術を使った障がい者の競技大会「サイバスロン」の会場だった。共通の知り合いに紹介を受けたのだという。ロンドン大会で引退したと話す伊藤選手に、20歳ほど年下の杉原氏は思わず「なんでやめたんですか」と言葉を投げつけた。「目の感じが引退している人のものじゃなかった」(杉原氏)からだ。
杉原氏は両親が設立したRDSへ08年に入社。その後は、ドライカーボン素材を使った松葉づえから始まり、冬季パラリンピックで活躍する森井大輝選手らのチェアスキーも手掛けてきた。パラリンピックの東京大会に向けても、新たな挑戦ができないかと模索していた。それらの話を聞いた伊藤選手は「勝てるマシンがあれば復活します。夢のようなマシンがあったら乗ってみたいわ」と、ひょうひょうとした表情で去って行ったという。
それから1カ月あまりが過ぎた頃。脂が焦げる臭いが充満する焼肉屋で伊藤選手と杉原氏は再会した。「作ってくれるんか」。地元の三重から上京した伊藤選手は、目の鋭さが増していた。杉原氏はもちろん同意したが「単にマシンを作って金メダルを取るだけでは面白くない」と返したという。車でいえば、F1レースで培った技術が、いずれ市販車にも実装されていくように、開発で培った技術を一般社会に落とし込んでいきたいと考えたからだ。そのビジョンに伊藤選手も賛同した。
「感覚の数値化」を目指す
伊藤選手の競技用車いすを開発する上では「姿勢によってパフォーマンスが異なってくる」という仮説を立てたという。シートの座角、ホイールの位置やキャンバー角(正面から見たときに車輪下部の広がりを表す角度)、車輪を回すときの手の動線。これらを少しでも変更しただけで、選手に影響を与え、結果が変わってくる。チェアスキー森井選手との連携やモータースポーツとの関わりで「エンジニアリング上で大事なのが『感覚の数値化』であることが見えてきていた」(杉原氏)
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