クリエイティブディレクターの佐藤可士和氏が主導する団地再生プロジェクトが発足して10年を迎えた。舞台は横浜市の洋光台団地で、50年前に同団地を整備した都市再生機構(UR都市機構)が発案。「オープンイノベーション」をテーマに“仕事のやり方“そのものからデザインしたと言う佐藤氏に話を聞いた。今回は前編。

プロジェクトの舞台は横浜市の洋光台団地
プロジェクトの舞台は横浜市の洋光台団地

 「団地の未来プロジェクト」は、団地の魅力を社会に発信するためUR都市機構が発案。団地の再生を核に、地域・行政との連携で取り組む郊外住宅地活性化のモデルとして「ルネッサンスin洋光台」と銘打ち、11年末より「アドバイザー会議」、12年より「エリア会議」を立ち上げている。この2つの会議で指摘された検討事項を具現化していくものとして、15年から「団地の未来プロジェクト」が始動している。

 洋光台団地はUR都市機構が日本住宅公団時代に、207.5ヘクタール、計画戸数8558、計画人口3万3000人のニュータウン開発で誕生した。1966年に開発がスタート、70年に入居を開始した。当初は抽選倍率約5000倍で、宅地分譲の過去最高倍率を記録するほどの人気を博したが、高度経済成長期に多数建てられた各地のほかの団地同様、老朽化と少子高齢化の影響でかつての輝きは失われつつあった。

 新たな集合住宅などに建て替えられる団地も多い中、UR都市機構は広大な洋光台地区のうち、自身が所有する洋光台北、洋光台中央、洋光台西の賃貸3団地をあくまで「団地」のフォルムを残したまま「次世代まちづくり」という付加価値を与えることにした。

大きくリニューアルした洋光台団地の概観。住民以外も立ち寄るようになり、まちの人の流れも変わった
大きくリニューアルした洋光台団地の概観。住民以外も立ち寄るようになり、まちの人の流れも変わった

 11年末に発足したアドバイザー会議には、クリエイティブディレクターの佐藤可士和氏のほかに、建築家の隈研吾氏、現・東京大学名誉教授の上野千鶴子氏、現・東京大学教授で建築計画学者の大月敏雄氏などが名を連ねた。複数領域にわたる専門家らによる約3年の話し合いの中で、洋光台団地だけでなく、より大きな社会課題の解決を目指すプロジェクトへと広げることに。そこで佐藤氏が「プロジェクト全体をブランディングする」ことを提案。佐藤氏が名付けた「団地の未来プロジェクト」は15年にスタートし、ロゴも作成した。

 ルネッサンス in 洋光台時代を含めて足かけ約10年にわたる同プロジェクトは、佐藤可士和氏がこれまで手掛けたプロジェクトで最も長期間を要したものとなった。その詳細について佐藤氏に聞いた。

団地のリニューアルではなく、社会課題の解決を目指す

――「団地の未来プロジェクト」の前身となる「ルネッサンス in 洋光台」に参加された経緯を教えてください。

佐藤 可士和氏(以下、佐藤) 隈さん(隈研吾氏)と話していたときに、唐突に「団地やらない?」と声をかけていただいたんです(笑)。隈さんから「団地」というワードが出たことのインパクトが大きすぎて驚きましたが、地域再生に向けた興味深い切り口だと感じてやってみたいと思いました。

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