最新の第6巻の単巻初版発行部数が100万部、累計発行部数が800万部を超えるヒットとなっているのが漫画『SPY×FAMILY』。集英社が運営する漫画誌アプリ「少年ジャンプ+」で連載中だ。まだアニメ化されていないWeb発の作品として目覚ましいヒットを遂げた同作の人気の秘密とは?
すぐ読める、シェアできる強み
『SPY×FAMILY』は、遠藤達哉氏が2019年3月から「少年ジャンプ+」に隔週で連載している漫画だ。主人公は凄腕(すごうで)スパイの「黄昏(たそがれ)」。彼はある任務を遂行するため、自らの素性を隠し、孤児院から引き取った少女、街の仕立屋で出会った女性と偽の家族をつくる……だが実は、“妻”である女性は殺し屋、“娘”である少女は超能力者。互いに正体を隠し合ったまま、家族としての生活を送るという、アクションあり、笑いありのホームコメディーだ。
まだアニメ化などされていない作品だが、20年12月末に発売された第6巻の単巻初版発行部数は100万部、累計発行部数は800万部を超えた(電子コミック含む)。連載元の「少年ジャンプ+」にとっても快挙だ。
少年ジャンプ+の細野修平編集長は、「当初から人気が高かった。連載開始直後から、ジャンプ+上には閲覧数に基づくランキングを表示するようになったが、当時も今も不動の1位」とその人気ぶりを語る。
人気を押し上げた要因として担当編集者の林士平(りん・しへい)氏が挙げるのは「さまざまな賞の受賞タイミング」だ。「第1巻が発売される直前に『次にくるマンガ大賞 2019』のWebマンガ部門で第1位をいただき、弾みがついた」(林氏)。その後も「第4回みんなが選ぶTSUTAYAコミック大賞」(大賞)、「マンガ大賞2020」(2位)、「THE BEST MANGA 2020 このマンガを読め!」(5位)、「このマンガがすごい!2020」(オトコ編1位)、「第15回全国書店員が選んだおすすめコミック」(2020年、1位)と数々の賞を受賞。それに付随してテレビなどのメディアにも取り上げられ、口コミも加速度的に拡大し、新規読者の流入が続いたという。
その際、Web発であることがプラスに働いた。「賞を取って話題になったとき、検索して少年ジャンプ+のサイトやアプリからすぐに読めるのが漫画の強み。面白ければ、SNSなどでシェアもしやすい。伝播(でんぱ)に貢献したと思う」と細野編集長は振り返る。
初回限定で全作全話を無料公開
少年ジャンプ+にはそうして流入してきた読者をつなぎ留める施策もある。それが、初めて少年ジャンプ+アプリをダウンロードしたユーザーは同媒体のオリジナル連載作品、全作全話を初回に限り無料で読めるというものだ。
当初は1~3話と最新の3話のみを無料としていたが、初回の閲覧に限り、対象を公開済みの全話に広げたことで、受賞やメディアでの紹介をきっかけに少年ジャンプ+の連載作品に興味を持った読者が、いきなり最新話まで追い付けるようになった。結果的に新規読者の定着率が大きく向上したという。
「連載作品は話数が増えるほど新規読者が入りにくくなる難点を抱えている。話題作の最新話に追い付こうとすれば全巻購入するか、漫画喫茶などを利用する必要があった。その点、少年ジャンプ+なら家で寝転がりながらでも、アプリをインストールするだけで全話が読める」(林氏)
全話を無料公開にするに当たって、漫画家からの反対はなかったのか。両氏によると、無料で読めるのは初回限りであること、作品の魅力を知ってもらうための施策であること、広告費の一部を漫画家にも還元することをしっかり説明することで理解を得られたという。
一方で、売り上げが減るのではという懸念も上がったという。しかし、林氏は「杞憂(きゆう)ですよ」とその考えを否定した。「無料公開で減る売り上げよりも、『面白い』という口コミで読者が増えるメリットのほうが大きい。自分の読書体験を振り返ってみても、人に借りて読んだ作品でも面白ければ改めて買った。無料公開の作品を“読む”という体験がそのまま広告として機能するのは漫画という商材の特殊性かもしれない」と分析した。
Web漫画は“細切れのエンターテインメント”
「週刊少年ジャンプ」をはじめとする紙媒体発の漫画と、アプリやWeb発の漫画では読者の傾向や読まれ方に違いはあるのだろうか?
林氏は「漫画が紙でもWebでも読める現在は、漫画と読者の距離が近くなっているのを感じる」そうだ。また、若い世代には紙の雑誌を買うことはその処分も含めて面倒と感じる人も多い。その点、アプリやWebはスマホなどで隙間時間に読める利点があるという。「1話数分で読めるWebの漫画は、YouTubeやTikTokと同じく“細切れのエンターテインメント”。自分の好きなペースで楽しめる」(林氏)。そのため、漫画をさほど読まない“ライト層”にも受け入れられやすい。
一方で、漫画誌アプリの中でも週刊少年ジャンプの流れをくむ少年ジャンプ+は「漫画を読む習慣があり、お金を払うことにも抵抗が少ない“ヘビー層”の読者も多い」と細野編集長。こうした層は、全体的に年齢層も高い傾向にある。
『SPY×FAMILY』はこうしたライト層とヘビー層、さらには年齢層も問わず支持された作品だという。「認知が広がれば、その分確実に読者が増えた。これは読者を選ばない作品だからこそ」(細野編集長)。
そこにはもちろん、作者である遠藤氏の意図もある。「遠藤先生は読みづらさや分かりにくさを徹底的に減らそうと工夫して執筆してくれる。幼い子供も年配の人も読めるネーム運び、紙で読んでもスマートフォンで読んでも面白さが変わらない絵の構成。こうしたことができる漫画家さんはそうそういない」(林氏)。
巣ごもり消費で売れ行き拡大化
「『SPY×FAMILY』のようなヒット作は少年ジャンプ+という媒体自体をけん引してくれる」。細野編集長がそう言うように、次のヒット作も生まれつつある。それが、松本直也氏の『怪獣8号』だ。
20年12月4日に発売された第1巻は、2カ月を待たずに紙とデジタルとを合わせた発行部数が55万部に到達。21年3月4日に発売された2巻の発売をもって、少年ジャンプ+連載作品として史上最速で累計発行部数100万部を突破した。この売れ行きは林氏も驚くペースだ。
作品としてのクオリティーはもちろんのことながら、背景にはコロナ禍での漫画購買行動の変化もあるのではと指摘する。「(外出自粛による)“巣ごもり需要”の高まり、さらに『鬼滅の刃』の大ヒットで書店への客足が伸びていると感じる」(林氏)。『鬼滅の刃』を買いに書店を訪れた客が別の漫画も「ついで買い」するケースも少なくない。「『怪獣8号』の第1巻発売もあえて『鬼滅の刃』最終巻の発売日に合わせた」と細野編集長。
「『SPY×FAMILY』と違って『怪獣8号』は賞もまだ受賞していないし、大きなプロモーションもしていない。Webで発信した漫画が電子でも紙でも売れる。そうした流れが生まれてきた」(細野編集長)。
次回は『SPY×FAMILY』を生んだ少年ジャンプ+の読者拡大までの取り組みについて聞く。
(写真提供/集英社)