リクルートキャリアが就活生の内定辞退率などを推定し、40社弱に売っていた「リクナビ問題」。新たな問題の指摘もあり、データ活用に二の足を踏む企業が今も少なくない。この問題をどう考えるべきか。データの専門家が集うデータサイエンティスト協会・草野隆史代表理事が重い口を開いた。
データサイエンティスト協会代表理事
リクナビ問題について、どう捉えているか。
草野隆史氏(以下、草野氏) 個人的な見解になるが、今回の件が業界に及ぼすインパクトは、2013年に起きたJR東日本によるSuicaの利用履歴データを外部提供した一件以上に大きいのではないか。リクナビの件の発覚後、利用者から同意を得る手続きが妥当だったかなどが議論されていたが、問題の本質はそこではない。パーソナルデータを扱う事業者の倫理観や知識、それが問われている。これがリクナビの件とJR東日本の件との、大きな違いだ。
1社でのデータ活用の段階から進み、例えばセブン&アイ・ホールディングスの「セブン&アイ・データラボ」のように、複数企業が匿名加工データを活用する枠組みができつつあった。だがリクナビ問題が発生し、さらに新たな問題が指摘されたりして、3カ月たった今でも、皆、物言えば唇寒しだ。
草野氏 確かに事業会社は事件の影響を受けて、データの利活用を進めるモチベーション維持が難しくなっているようだ。データ活用には、消費者などの理解を得ることが不可欠だが、まだそうした環境にない。
協会は本件の当事者ではないが、(リクナビを運営している)リクルートキャリアは協会の賛助会員だ。協会内部で議論したりしているのか。
草野氏 公式な議論はしていない。協会のミッションは、一義的にはデータサイエンティストという新しい職種の健全な発展を促すことだ。そして二義的にデータ活用の促進がある。(協会内部で)この件について議論をする場を設けたい気持ちはあるが、もう少し事態が落ち着いてからでなければ、実際には難しい。冷静な議論が必要だからだ。
ただ来年(2020年)には再び個人情報保護法の改正が予定されている。15年の改正よりも、“後退した”内容になる揺り戻しの可能性を懸念している。
結果をねじ曲げた報告でも、信じるしかない
データサイエンティストの倫理観が問われているというが、そもそも、あるべき姿や倫理規程のようなものを定めているのか。
草野氏 今はないが、個人的には(倫理規定の整備などが)必要だと考えている。ビッグデータは、専門知識を持った人間が処理をしないと、データの意味や内容を(一般の人は)理解できない。万が一、データサイエンティストが分析結果をねじ曲げて報告しても、(分析の)依頼者はその報告を信じるしかない。
逆に、依頼者が想定しているような分析結果が出なくても、データサイエンティストはそれを率直に、ありのままに説明する責任がある。こうした意味で高い倫理観が求められる仕事だ。
実際のところ、どれだけのデータサイエンティストが、そうした(高い倫理観が必要だという)意識を持っているのか。
草野氏 私はデータサイエンティストであれば当然全員が(高い倫理観を)持っている、それが必要なことを理解していると思っていた。だが今回の件を受けて、必ずしも、そうとは言い切れないと思うようになった。データサイエンティストが持つべき倫理観とはどのようなものか。いろいろな人と、改めて議論をする必要があると思っている。
データの利活用に逆風が吹く一方で、信用スコアや情報銀行など、パーソナルデータを利活用する新しいビジネスが登場している。どう見ているか。
草野氏 各事業者には、消費者の利益を重視するスタンスを明確にして、事業を進めてほしい。例えば、信用スコアは中国が日本よりも先行し普及しているが、これは世間が考えているように、中国が管理社会だから、だけではない。信用スコアが中国の消費者にとって便利な仕組みだからだ。日本でも消費者の利益、利便性を明確にすれば、こうした新しい仕組みも普及するだろう。
逆風が吹いているとはいえ、データ利活用を前提にした企業変革、いわゆるデジタル・トランスフォーメーション(DX)への関心は高い。データサイエンティストの求人数もうなぎ登りに増えているようだ。
草野氏 データサイエンティストを採用するだけで、ビジネスが変わると考えているなら、それは誤解だ。分析可能なデータがあって、分析した結果、何らかの知見が出てきたとしても、それを行動、アクションにつなげなければ意味がない。組織にデータ分析の結果を生かす文化がなければ、データサイエンティストを採用しても、活躍はできないだろう。はやりのキーワードをつまみぐいしても意味はない。日本の経営者が本当に自社を変革したいなら、ビジネスとITについて、自らが深く理解することが必要だ。
ところで、社長を務めるブレインパッドでは、この件に関連して何か議論をしたのか。
草野氏 ブレインパッドが提供するプライベートDMP「Rtoaster」で取得、利用するデータは、顧客企業のユーザーのサイト行動を委託されて集めているもので、個人情報の第三者提供などには該当しない。ただ、ブラウザーのCookie経由でWebサイトやモバイルアプリにアクセスした個人の行動トラッキングデータを当社のサーバーに預かって、顧客の指示に基づいて、それを分析したり、他のデータと連携させたりすることはある。
だからリクナビの件を受けて、改めてこうした作業の手続きや内容に問題がないか。もし顧客から倫理的に問題がある指示をされた時に、ノーと言うことができるか。ノーと言うために十分な知識を持ち説明ができるのか。それを確認する必要があると、社員に伝えた。
ブレインパッドは顧客からデータを預かるが、多くの場合、個人情報は含まれておらず、その活用も顧客の社内に閉じるケースがほとんどだ。リクナビのように、預かったデータを加工して第三者に提供することはない。ただ、極端な場合には、サンプル数が1件だけの(=個人を特定できるような)データも見られてしまうのが、データサイエンティストの仕事。
最新の法制度を理解するのは当然だが、それ以上に、我々の倫理観が問われるケースがある。データを詳細に深く理解できるデータサイエンティストと一般的な知識しか持たない経営者などには、情報の非対称性がある。それを認識したうえで、データサイエンティストは高い倫理観と十分な知識を持って、データ活用に携わる必要があるだろう。
(写真/桑原克典)