※日経トレンディ 2019年10月号の記事を再構成

欧米に比べて創薬分野への投資額が少ないといわれる日本では、ベンチャーの存在感はまだ小さい。だが、そんななかでも、独自のアイデアで世界に戦いを挑んでいるベンチャーがある。未来を変える可能性を秘める気鋭の創薬AIベンチャー3社の取り組みを追った。

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 さまざまな業界で大変革を起こしているAI(人工知能)の技術が、創薬の仕組みをも大きく変えようとしている。今回取り上げる国内ベンチャー3社は、どこも独自技術や斬新なアイデアに強みを持つ。オプジーボに代表される高分子の抗体医薬品だけでなく、実は“枯れた技術”と見られていた低分子薬にも革新を起こす可能性がある。

 AI導入の最大のメリットは、従来は人間が行っていた薬のもととなる候補化合物を探し出す膨大な実験や作業の手間を、劇的に軽減できる可能性があることだ。通常、1つの医薬品を市場に出すまでには、約10年の歳月と1000億円以上もの莫大な開発費が必要とされ、最終的に販売までたどり着く成功確率も2万分の1程度といわれる。その新薬開発のサイクルを短縮し、さらには成功率を高めることで、結果的に開発コストの圧縮が期待されるのだ。

抗体医薬品の“種”をAIで高速探索

 なかでも製薬会社から注目を集め、VC(ベンチャーキャピタル)や大手企業も積極的に投資する日本発のスタートアップがある。慶応義塾大学先端生命科学研究所からスピンアウトして2013年に創業した、MOLCURE(モルキュア)だ。NEDO(国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構)が募集した16年度の「次世代人工知能・ロボット中核技術開発」の1つとして採択されるなど、次世代のAIベンチャーとして産官学で注目を集める。

抗体/AI創薬
MOLCURE

DATA
  • 本社:東京都品川区北品川5-5-15 大崎ブライトコア4F
  • 創業:2013年5月
  • 代表:小川 隆(CEO)
  • 従業員数:9人(19年7月末)
東京・大崎のオフィスでは、AIやマシン関連の研究開発を行っている。写真右はCEOの小川隆氏。左はCTOの興野悠太郎氏
東京・大崎のオフィスでは、AIやマシン関連の研究開発を行っている。写真右はCEOの小川隆氏。左はCTOの興野悠太郎氏
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バイオ関連のラボは山形県鶴岡市にある
バイオ関連のラボは山形県鶴岡市にある
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開発中の創薬スクリーニング自動化マシン「HAIVE」
開発中の創薬スクリーニング自動化マシン「HAIVE」
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 同社は、AIを駆使した世界初の抗体医薬品開発プラットフォーム「Abtracer」を開発。複数の製薬会社が既に導入を開始している。

 対象にするのは、オプジーボやキイトルーダのような高分子の抗体医薬品だ。抗体医薬品とは、疾患に関連する細胞の表面にある目印の抗原だけを狙い撃ちできる抗体を開発し、従来にはない高い治療効果を期待するもの。抗体には特定の抗原を識別する部位があり、「敵」にだけ特異に結合し、排除する仕組みがある。この抗体の結合部となる分子を自由に組み立てられれば、効率的に攻撃ができるだけでなく、さまざまな疾患に対応した抗体医薬品を生み出すことも可能になるのだ。

 だが、「現状では、分子量の極めて大きい抗体を分子レベルで自由に設計できる実用的な技術はない」(モルキュアCEOの小川隆氏)。そのため、製薬会社は、候補となる抗体を大量に作り出し、ひたすら標的分子に結合させてヒットを探すという力業を行っている。熟練技術者の手作業による抗体の作製と抗原とのマッチング(スクリーニング)は、抗体医薬品開発の長期化と高コスト化の一因にもなっている。

 それに対してモルキュアは、独自開発のAIにより、膨大な抗体のライブラリーから目標抗原にマッチする候補抗体を短時間で設計・抽出できるのが特徴だ。

捨てていた候補もAIで掘り起こし

 それだけではなく、AIを駆使すれば、これまで発見が難しかった新薬を発掘できる可能性もある。従来の実験ベースのスクリーニングの場合、基本的に最後まで残った抗体を用いて次のステップに移行するため、それまでの過程で脱落した抗体は捨てられてしまう。一方モルキュアの場合は、最終結果だけでなく、スクリーニング過程のデータも蓄積してAIで分析するため、「従来は見落とされていた抗体候補を拾える可能性が高く、既存手法と比べて10倍以上多様なヒット抗体を見つけられるという実証結果が出ている」(小川氏)。

 ヒット抗体が多数あれば、製薬会社は複数のプロジェクトを同時に走らせることが可能になる。開発が進行するなかで、順次ドロップアウトしたとしても、最終的な失敗のリスクを低減できる。結果的に創薬にかかる時間とコストを大幅に減らせるというのだ。

 また、創薬の効率を高めるスクリーニング自動化マシン「HAIVE」も開発中だ。「創薬の現場では、今なお手作業が色濃く残っている。ヒット化合物の探索の効率は、熟練技術者の技が大きく左右する」(小川氏)というのが現状だ。同社はロボット技術を活用し、実験の自動化・効率化を目指す。さらに、マシンで自動化してデータを収集することで、実験の再現性を高めるメリットもある。AIと自動化マシン、この両輪で創薬の常識を塗り替える。

生体情報をデータ化 AIで「転用」を加速

 AIで既存薬を有効活用する方法を模索しているAI創薬ベンチャーもある。なかでも「ドラッグ・リポジショニング」への応用を積極的に進めている注目株が、国立研究開発法人産業技術総合研究所の技術を移転して設立されたSOCIUM(ソシウム)だ。

オミックス/AI創薬
SOCIUM

DATA
  • 本社:東京都中央区日本橋兜町17-1 7階
  • 創業:2017年9月
  • 代表:高橋 学(CEO)
  • 従業員数:8人(19年7月末)
研究所は東京・青海にある。写真右端がCTOの堀本勝久氏
研究所は東京・青海にある。写真右端がCTOの堀本勝久氏
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ドラッグ・リポジショニングやレスキューに加え、マーカー探索なども行う
ドラッグ・リポジショニングやレスキューに加え、マーカー探索なども行う
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AI関連のイベントでも注目を集める。写真はCEOの高橋学氏
AI関連のイベントでも注目を集める。写真はCEOの高橋学氏
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 ドラッグ・リポジショニングとは、承認されている既存薬を他の疾患にも有効かどうか調査し、創薬につなげるもの。例えば、もともと高血圧の治療薬として開発され、発毛剤として“転用”されたミノキシジル(商品名リアップなど)はその代表例だ。

 ただ、従来のドラッグ・リポジショニングは、「偶然の産物であることが多かった」(ソシウムCTOの堀本勝久氏)。専門家は知識や経験などから、標的分子が共通、もしくは似通っていると想定できる疾患の間で新たに適用できるものなどを想定。仮説を立て、実験的に実証するプロセスを繰り返す。

 対してソシウムの手法は、細胞内にある数万の分子群の変動などの生体情報である「オミックスデータ」をベースに、数理統計やAIによる解析と実証実験を駆使することで、「従来よりも効率的にリポジショニングの可能性を推定できる」(堀本氏)という。既にさまざまな疾患や薬剤投与に起因する分子変動パターンのデータベース化を進めており、AIを用いた探査システムの構築を目指している。またこの技術は、副作用などによって開発過程で捨てられた化合物を再検証し、新たな疾患への適用を目指す「ドラッグ・レスキュー」にも応用が可能だ。

AIで効果を予測 実験の手間を大幅減

 科学的な実験を行わず、AIを駆使してコンピューター上で薬のもととなる化合物の作用や効果を予測する画期的な技術を開発しているのが、大阪大学発のインタープロテインだ。

PPI/AI創薬
インタープロテイン

DATA
  • 本社:大阪市北区豊崎3-10-2
  • 創業:2001年5月
  • 代表:細田雅人(社長)
  • 従業員数:6人(19年8月末)
相模原市に研究室を置く。写真右端が社長の細田雅人氏
相模原市に研究室を置く。写真右端が社長の細田雅人氏
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分子設計は、スーパーコンピューターではなくパソコンを複数台利用して並列処理
分子設計は、スーパーコンピューターではなくパソコンを複数台利用して並列処理
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分子設計とAIを組み合わせ、薬のもととなる化合物の活性などを予測
分子設計とAIを組み合わせ、薬のもととなる化合物の活性などを予測
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 同社は、独自に開発した分子設計技術を活用し、標的分子の構造情報から高精度の3D分子模型を作製。結合部位の形などを基に、効果の高い低分子の化合物を効率的に複数抽出できるのが強みだ。高分子の抗体医薬品が得意とする、タンパク質-タンパク質間相互作用(PPI)を標的とした難度の高い創薬を、取り回しの良い低分子化合物で実現しようと試みている。

 加えて、ディープラーニング技術に強いエーアイスクエアと組み、AI技術を活用した創薬技術プラットフォームの開発も進める。同社のAI創薬技術を駆使すれば、低分子の候補化合物が、標的となるタンパク質にどのような形で結合するのかとその結合活性(標的となるタンパク質と化合物の結合の強さなど)を高精度に予測することができる。

 「将来的には、直接AIで候補化合物を設計し、その時点で非臨床試験や臨床試験といった先のステージの結果を予見することが可能になる。初期段階から候補化合物の数を大幅に絞り込めるので、不必要な実験や試験の手間を省ける」(インタープロテイン社長の細田雅人氏)。同社のAIにより、従来5年ほどかかるとされる探索研究の期間を、2年程度に短縮できるともいう。実験をせずに事前に有効性や安全性を予見できるようになれば、生産性は劇的に高まる。「AIが創薬のあらゆるプロセスに組み込まれることで、臨床試験の成功確度の改善も見込まれ、開発コストの低減につながる」と細田氏は語る。

 日本の創薬ベンチャーの技術が、がんをはじめとした難病治療の未来を大きく変えそうだ。

(写真/竹井俊晴)