次の改革のターゲットは金融業界だ。8月27日、マーケティング精鋭集団「刀」が、丸亀製麺に続く新たな提携を発表した。相手は、ファンドの農林中金バリューインベストメンツ(NVIC)。年金2000万円不足問題を皮切りに、ゆうちょ銀行やかんぽ生命の不適切販売など、相次いで表面化した金融業界の“闇”。分かりにくい金融に、消費者視点で切り込む協業だ。その狙いと挑戦を日経トレンディ編集長が独占取材した。
ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)をV字回復させた森岡毅氏が率いるマーケティング精鋭集団「刀」。2019年6月に丸亀製麺との協業の成果を明らかにしたばかりの同社が、金融業界にも進出していた。長期厳選投資の先駆者的存在であるファンドマネージャー、奥野一成氏が率いる農林中金バリューインベストメンツ(NVIC)とタッグを組んでいることを公表したのだ。
森岡氏と奥野氏は、19年6月に掲載した2人の対談記事(森岡 毅×奥野一成対談【前編】 日本の金融商品が分かりにくいワケ)で表明したように、共に日本の金融業界を改革したいと考えている。奥野氏が資本主義社会を生き抜くために長期投資の必要性を訴えれば、森岡氏は旧態依然とした金融業界にこそ市場を戦略的に捉えるマーケティング意識が必要と説く。
協業の概要は次の通りだ。NVICは一貫して長期厳選投資を追求。高付加価値、競争優位性、長期的な潮流の3つの観点から、「構造的に強靭な企業」を選び抜いて投資を募る。その実績の高さで注目が集まっており、最近は一般の個人投資家へも販売している。これに対して刀のミッションは、消費者の金融リテラシーを高めつつ、NVICのブランディングを通じて長期投資の意義を世に広めることだ。
両者が目指すのは、「豊かに暮らし続ける」方法の確立。人口が減少する低成長時代において、豊かな人生を送るためには、各自が「資本主義社会のプレーヤー」となって企業を動かす側に立つことが肝要と言い、投資に消極的な日本人の思考に変革を促す。
「金融でも『感動体験』を実現させる」(森岡氏)
農林中金バリューインベストメンツ(NVIC)と協業する意義は?
森岡氏 投資を消費者の豊かさにつなげるという考え方に共感したからです。金融業界は、プロと素人の間の情報格差が甚だしい市場です。この「情報の非対称性」と呼ばれる構造が、消費者に対してものすごく不利に働いています。要は、情報を持っているプロが素人相手にお金をもうける構造が根強く残っているのです。通常であれば、消費者の価値に寄り添った企業や商品が現れ、競争が始まりますが、金融業界は規制に保護されているので、消費者のプレファレンス(相対的な好意度)に基づいた競争が起こりにくい。
高度成長期には、それでも人々が豊かに暮らせたでしょう。しかし、今の日本は市場全体が縮小気味で、低成長時代を迎えている。そこで問われるのが個人の資産形成の在り方。消費者が、金融や投資に関してある程度の知識を持ち、最適な金融商品を選択できる社会への変革が必要です。それには奥野さんの「長期投資によって人は豊かになる」という考えが有益に働きます。
中短期投資では金融業界は変えられないのですか?
森岡氏 素人が金融のプロと勝負して勝てるわけがないですよね。短期投資は投資ではなく、実は「投機」なのです。といってプロと戦える知識を身に付けるまで勉強する余裕は、普通の人には無いはずです。日々の株価に一喜一憂するのも、精神的に良くない。そんなことに時間を費やすなら、本業を一生懸命やった方が有意義です。
しかし長期投資ならば、無駄な悩みを抱えずに済む。世界経済は過去から現在、そして未来へ向かって年平均9%のペースで成長し続けているからです。基本的な潮流をベースにして、資産形成の手順を提供しているのが、奥野さんたちNVICのチームです。
以前から、金融業界にマーケティングが必要だと訴えていましたね。
森岡氏 構造的なゆがみを正すには、マーケティングが最も有効です。カギは、消費者の中に選択の軸を持たせること。無知は罪なのです。今までの金融業界は積極的に伝えてきませんでしたが、私たちは商品を選択するための軸をシンプルに提供するつもりです。それによって消費者がプレファレンスに基づく行動を起こせば、他の企業も従わざるを得ない。最後には金融業界のすべてが変わるでしょう。
NVICのブランディングの方向性は既に決まっていますか?
森岡氏 それは明確です。奥野さんの哲学の核心を抽出することでブランドは設計できます。NVICの商品の最大の強みは、消費者に「安心」を与えられること。これを正しく消費者に伝えることが最重要です。資産形成を考えている消費者のなかで、自分が正しい金融商品を選べると確信できる人は、1割にも満たないでしょう。その点、奥野さんたちは、安心を生む二重の構造を持っています。一つは「成長し続ける世界経済」に手堅く乗っかる構造。もう一つは、その世界から強靭な構造を持つ企業を厳選するノウハウ。ファンドのなかには、投資先の選択を海外の専門家に任せているところもあります。しかし奥野さんたちは、自らが汗をかく。だからファンドの手数料も低額に抑えられていますし、何よりも商品に信頼を持てるのです。
金融商品においても、消費者は「感動体験」を得られますか?
森岡氏 もちろんです。人は自分の期待をポジティブに超えられたときに感動します。消費者目線で本質的な欲求を捉え、その期待を上回る実績やサービスを提供すれば、ブランドは必ず顧客を感動させることができます。
「“敵”はこれまでの金融の在り方」(奥野氏)
刀との協業の狙いは?
奥野氏 まず森岡さんとは、目指すものが同じでした。既存の「常識」にとらわれずに「日本を元気にしたい」という点で考え方が一致したのです。
長寿化時代、引退後により多くのお金が必要になることは間違い無く、個人の資産形成に投資は絶対に必要です。私たちNVICは、「構造的に強靭な企業」を厳選してファンド(農林中金〈パートナーズ〉米国株式長期厳選ファンド)を作ってきましたが、お客様にもっと寄り添う形で展開したいと考えたときに、ロジカルなアプローチが不可欠になりました。中短期の投機が主流の日本において、長期投資をするには、目先の遊ぶ金を我慢しなければいけないときもある。それを理解していただくためには、長期投資の哲学、NVICの思想を、刀の皆さんと共に広めていきたいと思っています。まだまだ多勢に無勢で、桶狭間の戦いに臨む織田信長にも似た気持ちになりますが。
その場合、今川義元は既存の金融業界の在り方ですか?
奥野氏 そうですね。今までの金融業界は自分たちの都合を顧客に押し付けることが多く、消費者のニーズに応えるビジネスをあまりしてこなかった。金融機関の多くは、窓口を境にお客様と対峙しています。そして売買や業務が発生するたびに、手数料を取ってきました。これでは、いくら「お客様のことを考えている」と言っても説得力がありません。だから私たちの商品を提供する販売員の方には、まずはファンドのコンセプトをよく理解してもらっています。お客様に心から薦めたい商品だと思えることが大切だからです。
それだけ、NVICの長期厳選ファンドに自信があるのですね。
奥野氏 消費者視点に立ったときに、納得のいくファンドを作っている自負はあります。もともと私たちは、機関投資家を主な顧客としてきました。その頃からファンドのコンセプトを直接説明して信頼関係を築き、成果も上げられました。今はそれを一般の個人へ広げようとしているところです。
私たちは、投資対象の企業が今どういう状況にあるかを、現地に行って調べ、レポートとして顧客に伝えています。投資家の方を企業までお連れして、自分のお金の使われ方を、その目で確かめていただくこともある。我々の趣旨に賛同してくださった顧客への礼儀だと思うのですが、ここまでやっている金融機関はほとんどありません。
それはアフターサービスを充実させているということですか?
奥野氏 それもありますが、投資をする人に、資本主義社会に参加しているという意識を持ってもらうことが重要だからです。我々が何を信じ、どこに着眼して、銘柄を選んだのか。その根拠を理解していただくために、私たちは企業の経営者と面談し、必要ならば工場にまで足を運びます。それをつぶさに報告するのは、顧客の皆さんに、投資先を自分で選んだという「自覚」を持っていただきたいからです。
奥野さんが理想とする社会の在り方を教えてください。
奥野氏 投資の本質は、企業に対してオーナー意識を持って資産を投じること。日本人も、その考えを理解し、「構造的に強靭な企業」に長期投資をするようになってほしい。人は何もしなければ、単に労働力を提供して社会の歯車になるだけです。しかし投資をすることで、誰もが名だたる経営者を働かせる立場になれるのです。それが、資本主義の根幹の考え方ですから、何もしないのはもったいない。せっかく先進国に住んでいるのですから、資本家的な発想を持った人が、もっと増えることが望ましいですね。

(写真/大髙和康)