鹿児島市の中心部に、地方都市では珍しい「現金お断り」の商業施設がオープン。運営するのは地方銀行の鹿児島銀行だ。自らが先頭を切ってキャッシュレス化を進めることで、自社の独自モバイル決済サービスの普及に向けたモデルケースにする狙いがある。
2019年6月末、鹿児島市の中心部・天文館のほど近くに「よかど鹿児島」という商業施設がオープンした。地元の地方銀行・鹿児島銀行の本店ビル建て替えプロジェクトで完成したもので、鹿児島で人気の飲食店を中心に14のテナントが出店。今回オープンしたのは表通りから1本奥まった所にある「別館」で、20年4月には「本館」も完成する予定。本館には27のテナントが入り、県内外からの来客を見込む。
現地に行ってみると、入り口には、「現金」の文字にバツ印が付けられ、「CASHLESS」と大書きされた看板が立てられていた。14あるテナントすべてが現金を受け付けず、キャッシュレス決済にのみ対応している。使えるのはクレジットカードとデビットカード(国際ブランドとJデビット)、電子マネー、コード決済の4つ。電子マネーは、iD、QUICPay、楽天Edy、交通系ICカードに対応。コード決済は、中国人向けのアリペイ、ウィーチャットペイに加え、施設のオープンに合わせて鹿児島銀行が立ち上げた独自のコード決済「Payどん」が使える。
キャッシュレスのみの店舗は増えつつあるが、複数のテナントがすべて現金お断りという商業施設は全国的にも珍しい。相対的にキャッシュレス化が遅れていると言われる地方都市で、果たして完全キャッシュレスは受け入れられるのか。そして、現金を取り扱う代表的な業種である地方銀行主導で、キャッシュレス化に踏み切った背景には何があるのか。運営する鹿児島銀行を直撃してみた。
2~3割占める独自決済「Payどん」
首都圏など大都市圏ではSuicaやPASMOなどの交通系ICカードが普及しており、キャッシュレス決済をけん引している側面がある。これに対し地方では公共交通機関の存在感が薄い。鹿児島市内の場合、市電や路線バスで使えるICカード「Rapica」や「いわさきICカード」は普及しているものの、交通機関の利用に特化したもので、物品購入には使えない。従って、よかど鹿児島でもこれらを使う選択肢はなかった。
いわばキャッシュレス決済の素地がない状態でスタートしたわけだが、意外にも混乱は見られないという。「現金が使えないことを、県内のメディアを通じて広く周知できた結果ではないか」(鹿児島銀行営業統括部ITビジネス推進室長の米田正順氏)。現状は決済の約半分がクレジットカード決済で、次いで多いのが鹿児島銀行の独自コード決済・Payどん。これが2~3割を占めている。現金しか持っていない人の来店を想定し、館内に楽天Edyカードの販売機とチャージ機を用意したが、オープン直後の4日間での販売枚数は約100枚にとどまったという。
Payどんは、鹿児島銀行の口座を持っていれば特別な申し込みなしに利用が可能。アプリをダウンロードしてメールアドレスと携帯電話番号を登録。2段階認証を経た後、口座番号と暗証番号を入力すれば決済できるようになる。「よかど鹿児島に来店してから、ダウンロードの仕方などを訪ねてくる人も少なくない」(米田氏)といい、よかど鹿児島がこのコード決済の普及に一役買っている形だ。
それもそのはず。現状、Payどんが使える店舗はこのよかど鹿児島だけ。一般加盟店での利用は9月からになる予定で、よかど鹿児島が普及の先兵としての役割を担っているのだ。
10月の消費税率引き上げに合わせてスタートする政府の「キャッシュレス・消費者還元事業」。政府自らキャッシュレス決済の普及に力を入れていることもあり、「鹿児島でも小売業者の興味は高まっている」(米田氏)。ただし「どうすればいいのか分からないという弊行の取引先が多い」(同氏)。
そこで、よかど鹿児島は消費者に対してだけでなく、鹿児島銀行の取引先に、キャッシュレス決済の使い方や、メリットを伝える役割を担う。そもそも、よかど鹿児島の出店業者自身、鹿児島銀行が声をかけた地元の取引先。以前からキャッシュレス決済に取り組んできた店舗はほとんどないという。よかど鹿児島への出店に当たっては、鹿児島銀行がタブレット端末などを貸与。オープン前に研修などを実施した。現金を取り扱う場合と比べて、店舗スタッフの事務作業が軽減されるため好評とのこと。特に閉店時にレジの現金が過不足なくあるかを確認する「レジ締め作業」が不要になるため、「早い店では閉店してから10分後くらいに、スタッフが業務を終えられている」(施設を管理する鹿児島銀行総務部よかど鹿児島グループの瀬戸昭人氏)。
コード決済でバスに乗れるようになる!?
鹿児島銀行は、よかど鹿児島で実証されたメリットを紹介することで、クレジットカード決済などをまだ導入していない取引先への「Payどん」の普及を狙う。19年10月からの還元事業の対象決済事業者になるべく申請中という。
GMOペイメントゲートウェイが展開する「銀行Pay」、みずほ銀行が参加を呼び掛ける「J-Coin Pay」、Jデビットを運営する日本電子決済推進機構が立ち上げた「BANK Pay」など、銀行口座直結型のコード決済が次々と立ち上がっている。そんな中で鹿児島銀行が立ち上げたPayどんは、実はどの陣営にも属さない独自のものだ。
投資規模が限られる地銀でありながら、あえて独自システムとしたのは、「地域に合った機能を柔軟に搭載できるようにするため」(鹿児島銀行IT統括部IT開発グループの下迫哲男氏)。現状は、店舗側のタブレット端末でコードを読み取る支払い方法だけだが、今後は店舗側のQRコードステッカーをユーザーが自らのスマホで読み取る方法にも対応。「送金機能やポイント制度なども追加していきたい」(下迫氏)という。システム構築に当たっては、インフキュリオン デジタル(東京・千代田)が提供するASPサービス「ウォレットステーション」を活用。同システムはりそなグループの「りそなウォレット」にも機能提供されている。インフキュリオンによると、支払いを決済のタイミングから最大4週間後まで遅らせる後払い機能なども提供可能とのこと。柔軟な機能拡張が特徴だ。
地域密着型の電子マネーとして、鹿児島銀行が視野に入れているのが、鹿児島県内で普及している市電・路線バスのICカードシステムの代替。05年の導入から10年以上経過し、老朽化が進行している。実際、鹿児島に先駆けて02年にICカードが導入された長崎県の路線バス事業者では、交通系ICカード「nimoca」などへの更新が始まりつつある。
ただし非接触ICカードはシステムの維持コストが高く、収益力が乏しい地方の公共交通機関には重荷だ。そこで、QRコード決済で代替できないか、可能性を探っているという。
カードの中に残高情報が入っているICカードと異なり、QRコード決済では残高情報はサーバーに置かれている。そのため決済に際しては通信が発生し、ICカードと比べると少し時間がかかるのが課題だ。ただ、短時間で大勢の乗客をさばく必要がある大都市の鉄道と異なり、地方都市のバスならばある程度の処理時間は許容できそう。実際、中国では公共交通機関で既にQRコード決済が使われている。
鹿児島の市電・バスICカードでは、チャージによるボーナス額の積み増しや、乗り継ぎ利用や利用時間帯による割引、利用金額に応じたポイント付与など、複雑な特典が提供されている。仮にこれをPayどんに置き換えるなら、似たようなポイントプログラムが不可欠だろう。この点まで考えれば、独自のコード決済にこだわった鹿児島銀行の戦略は的を射たものといえそう。この構想を実現させるには、鹿児島銀行以外の金融機関との口座連携や、現金チャージ機能なども必要不可欠。その暁には、地域通貨的な機能も担うことになりそうだ。
(写真提供/鹿児島銀行)