“時空”を超え、過去の音楽ライブやイベントに参加できる──。VR(仮想現実)の特性を生かした世界初のアーカイブ機能を、クラスター(東京・品川)が開発した。元引きこもりという異色の経歴を持つ加藤直人CEO(最高経営責任者)は、壮大なビジョンでバーチャル経済圏を広げようとしている。

クラスターは、過去のバーチャルイベントに参加できるアーカイブ機能を実装した。1度限りの熱狂や興奮を、何度でも追体験できる
クラスターは、過去のバーチャルイベントに参加できるアーカイブ機能を実装した。1度限りの熱狂や興奮を、何度でも追体験できる
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 「全人類が引きこもりながら使えるバーチャル経済圏のインフラになる」。こんな奇抜な目標を掲げるスタートアップが、東京・五反田にある。京都大学を卒業後、引きこもり生活を経て起業した加藤直人氏率いる、技術者集団クラスターだ。サービス名は「cluster」。バーチャル空間上で誰もが音楽ライブやイベントを開催できる国内最大のプラットフォームに成長した。

 オフィス、レクチャーホール、和室、水上コテージ、教室、運動場、クイズ会場、ライブハウス、南の島──。会場を選択し、公開日時などを設定するだけで、あっという間にバーチャルルームが生まれる。そこにアバターをまとったゲストが訪れ、現実世界のように交流できるシステムだ。

 “定員”は最大5000人。Oculus Rift、HTC VIVEといったVRデバイスに加え、パソコンのブラウザーを介して同時接続できる。少人数の会議から、大規模な音楽ライブまで、日夜さまざまな催しが、このプラットフォーム上で開かれている。

clusterにはアバターをアップロードする機能があり、誰でも自分以外の「顔」を持てる。写真は、バーチャル広報部長「くらすたーちゃん」とゆるく触れ合うイベント「ゆるくら会」のワンシーン
clusterにはアバターをアップロードする機能があり、誰でも自分以外の「顔」を持てる。写真は、バーチャル広報部長「くらすたーちゃん」とゆるく触れ合うイベント「ゆるくら会」のワンシーン
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空間を丸ごと保存するタイムマシン

 2019年6月5日に加わったアーカイブ機能は、言わば、バーチャルの“時空”を自在に操るタイムマシン。過去を旅するように、ライブ当日の会場に“潜入”し、360度ぐるりと動き回ることができる。動画再生のようにシークして、好きな時間に飛べるのはもちろん、一時停止してお気に入りの瞬間を何度でも見返し、好きなアングルで撮影できる。当時客席にいたファンならば、声援を送る過去の自分と“遭遇”できる。

 いったい、どれほど画期的なことなのか。加藤氏は「音楽ライブやイベントを映像として保存することはできても、空間として保存するのは、絶対に不可能だった」と表現する。画面の外から映像を眺めるしかなかった音楽ソフトの限界を打ち破り、熱狂や興奮を空間ごと保存し、いつでも空間の中に入り込めるようにした。

 現状、追体験できるのは、クラスターが主催した過去の音楽ライブのみだが、ユーザーがつくり上げたバーチャル空間をアーカイブする機能も「近いうちにさっと出す」(加藤氏)。バーチャルの可能性を大きく広げるだけでなく、マネタイズの切り札にもなり得る。

クラスターの加藤直人CEO。かつて引きこもり生活を送っていた経験から「全人類が引きこもりながら使えるバーチャル経済圏のインフラ」を目指している(写真/古立康三)
クラスターの加藤直人CEO。かつて引きこもり生活を送っていた経験から「全人類が引きこもりながら使えるバーチャル経済圏のインフラ」を目指している(写真/古立康三)
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 例えば、clusterには「Vアイテム」というギフティング機能がある。ハート、星、花束、打ち上げ花火などのバーチャルアイテムを購入し、イベント中に使えば演出が華やかになり、出演者の収益にもなる仕組みだ。

 「アーカイブでもこの機能が使われ始めたら、1度価値あるイベントをつくり上げさえすれば、ずっとそれで稼げる状況が出来上がるかもしれない。将来的にコンテンツが増えてきたら、月額制で見放題というサブスクリプションにも移行できる」と加藤氏は説く。

 「VRとは、物理空間を無視できる新しい表現の場。その場をつくるのはクリエイター。ものすごくもうかる必要はないが、バーチャル空間内で遊んでいるだけでも生活費が稼げるところまでいかないと、インフラにはなりえない」(加藤氏)。アーカイブ機能は「引きこもりながら使える」という目標に一歩近づく原動力になる。

 そもそも、この機能は「すべての情報をサーバーに集め、集めた瞬間に全部保存しておけば、再生できる」というシンプルな発想から生まれた。しかし、実装への道のりは険しかった。技術的な壁が次々と立ちはだかったのだ。

 「一言でいうと、フォーマットがなかった」(加藤氏)。例えば、動画の世界には、mp4など、確立されたフォーマットがあり、ストリーミング再生する場合も、手軽に配信できるよう、共通規格が厳密に定められている。

 一方でVRの場合、「動画形式も、通信形式も各社ばらばら。データをやり取りするためのフォーマットすらも存在しなかった」(加藤氏)。データを保存し、順次ストリーミング再生して、一時停止もシークもできるようにする。さらに、今後サービスをバージョンアップしても、互換性があるフォーマットでなければならない。まさに、ゼロからシステムを構築する挑戦だった。

インターネットに体験を乗せる

 なぜ、加藤氏は、バーチャルの世界を突き進むのか。原点は、引きこもり生活にあった。

 ガンダム好きが高じ、宇宙の世界を探究したいと、京都大学理学部の門をくぐった加藤氏は、宇宙論研究の傍ら、友人に誘われて量子コンピューターの研究を掛け持ちし、大学院に進んだ。しかし、「このまま続けても自分のつくりたいものは生まれない」と悟り、1年で中退。その後、働きたい場所がないと、「ぐだぐだと3年間引きこもっていた」と言う。

 人生に悲観していたわけではない。「すごく楽しく引きこもっていた。インターネットでいつでも世界の動向に触れ、友人とも瞬時にコミュニケーションが取れる。欲しいものもインターネットですぐ手に入る。不便さを感じない。すごくポジティブだった」(加藤氏)。

 唯一、フラストレーションがたまっていたのが、大ファンである声優・水樹奈々のライブや、コミックマーケットに行けないこと。「ライブ映像はブルーレイで見られる。同人誌も後から流通に乗る。じゃあ、なぜ行きたいのか。あの熱狂空間、お祭り空間を共有したいからじゃないか」(加藤氏)。そう仮説を立てた。インターネットにどっぷりと漬かる暮らしに満足する一方、悶々とした思いも抱いていた。

 そんな折、VRデバイスを開発するオキュラス社を、フェイスブックが、20億ドル(約2200億円)もの高値で買収するというニュースが飛び込んできた。14年3月のことである。当時はまだ開発者キットしか出回っていなかったが、加藤氏はすぐさまデバイスを取り寄せ、VRの世界に触れた。カルチャーショックだった。「これを使えば、インターネットに乗せられなかった熱狂体験を届けられる」。誰かがやるのを待っていては遅いと考え、2015年7月、クラスターを設立した。

 加藤氏には持論がある。「サービスは、お金が回らないと、死んでしまう。お金はまさに血流。血流が回る仕組みをつくらないといけない」。サービスをつくっては壊す日々。思うようにユーザーが集まらない時期が続いたが、1つだけ確信があった。「バーチャルなアイドル、タレントが、VRの中でパフォーマンスする時代は100%来る」。裏方作業が好きだった性分もあり、イベントビジネスの土台となるサービスをつくろうと心に決めた。

 エイベックス・ベンチャーズや、秋元康氏が出資するイグニスのVR子会社パルスと資本業務提携し、17年5月末、「ひきこもりを加速するVRイベントアプリ」として正式版をリリース。有力スタートアップが集うインフィニティ・ベンチャーズ・サミットでいきなり優勝し、頭角を現した。

 その名が全国に轟いたのは、18年8月。cluster上に「Zepp VR」というライブ会場を創出し、「VTuber四天王」の一翼を担う人気VTuber、輝夜月(かぐや・るな)が史上初のバーチャルライブを繰り広げた。5400円(税込み)のチケットがわずか10分で完売。全国7都市15劇場を結んだライブビューイングと合わせて5000人以上を動員し、“カグヤルナライブ”がTwitterトレンドランキングで1位となるなど、興行的に大きく成功した。これ以降、clusterへの問い合わせは加速度的に増え、「気づいたら、VTuber業界のど真ん中に立っていた」(加藤氏)。

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人気VTuber輝夜月が繰り広げた史上初のバーチャルライブは「Zepp VR」で行われ、大きな反響を呼んだ
人気VTuber輝夜月が繰り広げた史上初のバーチャルライブは「Zepp VR」で行われ、大きな反響を呼んだ
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 自らが構築したバーチャル経済圏をどこまで広げていくのか。加藤氏は、世代を超える、国境を越えるという2つの目標を立てた。

 「ロボットも、AI(人工知能)も、IoTも(世界との競争が)きつくなってきたなかで、日本国内からVTuberなる者が出てきた。韓国でも、中国でも、欧州でも、北米でも、中東でもなく、このカルチャーが日本から出てきたことに意義がある。バーチャルアイドルがここまで盛り上がっている以上、このカルチャーを生かしたプラットフォームが必要。日本発で世界にがっと広げられたらいい」と展望を語る。

1億人が集う音楽ライブへ

 なかでも、音楽は世代を超え、国境を越えるキラーコンテンツだと見る。バーチャルなら場所の制約はない。数十万人、数百万人どころか、「もしかしたら、人類史上初めて1日で億を超える人が集まる音楽ライブが開催できるかもしれない」(加藤氏)。

 実は、ネットワークのボトルネックは、いくらでも解決しようがあるという。世界の何百万人、何千万人が同時に見る世界は、ユーチューブなどの動画配信で既に実現しているからだ。一方、難しいのは、描画のボトルネック。clusterの個性でもあるアバターの処理が追いつかなくなる。「数千万オブジェクトをそのまま描き出したらパンクする。重要なのは、数千万のオブジェクトを表示することではなく、数千万人が集まる熱狂感をつくることにある」(加藤氏)。

 実は、clusterでは、参加者全てがアバターで表示されるわけではない。例えば、5000人が参加したとして、5000人分のアバターを描画すれば、ネットワークの負荷は大きく増す。そのため、ある程度の人数で「ゴースト表示」に切り替えている。参加しているが、他人から姿が見えない処理を施すことで、負荷を低減しているのだ。このゴースト表示をうまく使うことで、人類がこれまでなしえなかった、数千万人、数億人が集まるバーチャル空間に挑みたいと考えている。

観客や熱狂をもつくり出せるか

 目指すのは、観客一人一人の個性まで描き出すこと。加藤氏の頭の中には、1つの解がある。「バーチャル上の人の動きが、clusterを通じて少しずつサーバーにたまり始めている。そのデータを機械学習すれば、“存在しない観客”すらも生み出せるかもしれない」。自らと同じ熱量を持ち、同じように動くであろう“分身”のような存在を、あたかもそこにいるかのように集められたとしたら、リアルタイムで会場にいなくても、見る者の感情を揺さぶる最高に「エモい空間」をつくり出せると分析する。

 「その上で、エモい空間を機械学習し、一人一人に合わせた気持ちのいい空間をつくり出せたとしたら、clusterは、生活の一部になれる。朝起きたらclusterにログインして、そのままバーチャル空間内で生活し、ログインしたまま寝る。そこまで行きたい」と加藤氏は力を込めた。

 バーチャルならば、手軽にイベントを開催できる。会場の設営や、誘導、警備に人手を割かなくていい。会場を確保する手間もなく、場所代も不要。カメラや照明など高価な機材も不要で、順番待ちという概念もない。プラットフォームさえ進化すれば、爆発的に広がる可能性を秘めている。加藤氏は「会社をつくっちゃったので、今は全然引きこもれていないが、僕がかつて引きこもっていた時代に、これがあったらいいのにと思っていたサービスを、どんどんつくっていきたい」と意欲を燃やす。

バーチャリティの時代が来る

 実際、clusterはインフラとして日に日に進化している。19年7月5日にはオリジナルのイベント会場を自由にアップロードできる機能を公開。7月14日にはバーチャル版の「イオンシネマ」をオープンさせる。VR史上初のアニソンフェス「Vアニ」(コロプラ主催)もcluster上で開催されることが決まり、最終日の8月18日には、樋口楓、富士葵、YuNi(ユニ)らトップクラスの人気を誇るVTuberがそろい踏みする。今後は対応するデバイスも増やしていく。スマホのみでも視聴できるように開発を進めており、「年内には届けたい」(加藤氏)と断言した。

19年7月14日には、cluster上に「イオンシネマVR」がオープンする
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こけら落とし公演は、くらすたーちゃんがMCを務め、バルス所属のVTuber夜子・バーバンク、銀河アリスがゲスト出演する。今夏上映予定の映画の見どころを、ネタバレギリギリでトークする
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 元号が令和に変わったとき、加藤氏はネット上に私見をつづった。「人類は物理的な束縛から解き放たれ始めた。今後の200年間は、バーチャリティの時代が来る」。バーチャル(virtual)とは仮想ではない。実質的、本質的と訳すのが正しい。加速度的な進化により、バーチャルこそが世界の中心になる未来が、本当に訪れるかもしれない。