Jリーグが2017年7月に会員サービス「JリーグID」を導入してから2年。登録数は130万を超えた。顧客の利便性を上げただけでなく、Jリーグおよび各クラブのマーケティング施策にも効果が表れ始めている。

名古屋グランパスなどのクラブチームは、JリーグIDを活用してサポーターを獲得している (C)J.LEAGUE
名古屋グランパスなどのクラブチームは、JリーグIDを活用してサポーターを獲得している (C)J.LEAGUE

 JリーグIDは、チケット販売サイト「Jリーグチケット」の会員サービスをリニューアル、拡張したものだ。試合チケットの購入に加え、グッズの購入、Jリーグ公式アプリ「Club J.LEAGUE」の利用、スタジアムで使えるWi-Fi接続など、Jリーグや各クラブが提供するサービスのアカウントを統合。1つのIDですべてのサービスを利用できるようにした。

 バラバラに管理しなければならなかったアカウントが1つにまとまったことで、利用者の利便性は大きく向上した。導入から2年で会員数は順調に増加し、当初、約38万だったアカウント数は約130万に増えているという。

 同時に、Jリーグと各クラブは、JリーグIDで得たデータを分析し、さまざまなマーケティング施策に生かせるようになった。現在は、新規ファンの獲得や、個々のファンのスタジアム来場回数の増加、ダイナミックプライシングなどによるチケット収益の拡大などに取り組んでいる。

新規ファンにはJリーグ、常連にはクラブが施策

 JリーグIDでは、アカウント取得時に、メールアドレスや生年月日、住んでいる都道府県、性別といった属性情報のほか、任意で好きなクラブを登録する。以降はチケットやグッズの購入、公式アプリの利用、キャンペーンへの参加、スタジアムへの入場といった各種履歴情報をIDごとに収集・管理する。

 興味深いのはその活用方法だ。集めた情報から、年間のスタジアム来場回数別に会員を6層に分類。年0~2回までの潜在ファン層に対してはJリーグが、3回以上の常連ファン層に対しては各チームが重点的にマーケティング施策を行っている。

 というのも、常連化すれば、そこからは各クラブがサポーター向けのダイレクトメール(DM)などを使い、観戦回数や収益率を上げる施策を打てる。マーケティングの成果を出しにくいのはその前段階。潜在ファン層は、スタジアムに足を運んでもらうところから始めなければならないからだ。そこをJリーグが引き受けることで、各クラブは既にサポーターになっている人向けの施策に予算や人的コストを集中させられる利点がある。

 Jリーグが受け持つ施策の中でもユニークなのが試合のペアチケットをプレゼントする「Jリーグチャレンジ」だ。

 これは、公式アプリから参加できるサービス。スタジアムで試合を3回観戦するなどしてアプリ内のコインを3枚をためると、会員は抽選にチャレンジする権利が得られる。抽選で当たれば、試合のペアチケットがもらえるというものだ。

公式アプリ「Club J.LEAGUE」内の「Jリーグチャレンジ」。スタジアムで観戦するなどしてメダルを3枚ためると、ペアチケットプレゼントに応募できる
公式アプリ「Club J.LEAGUE」内の「Jリーグチャレンジ」。スタジアムで観戦するなどしてメダルを3枚ためると、ペアチケットプレゼントに応募できる

 このサービスの面白いところは、ペアチケット当選者が誘える相手が、スタジアムに試合観戦に行ったことがない人(公式アプリの観戦チェックイン未経験者、およびプロモーションコード未使用者)に限られていること。「当選者の多くはJリーグに詳しい常連さん。その人たちに、Jリーグを生で見た経験が少ない人を試合に連れて来てもらうきっかけになる」とJリーグデジタル プラットフォーム戦略部部長の笹田賢吾氏は狙いを語る。

 笹田氏によると、スタジアムでの観戦には慣れていない人も「詳しい人と一緒なら」と来場のハードルが下がるし、誘った人も「誘ったからには」と積極的に楽しませる工夫をするとのこと。当選者に好評で、招待チケットとしては異例の約80%という高い着席率だという。この施策は、新たなサポーター獲得のチャンスと、クラブ側からも好評だ。

 一方、年間観戦回数3回以上の常連ファン層に向けては、各クラブがアプローチ。J1からJ3までの全55クラブ中、46クラブがJリーグIDのデータを基に、DMを配信したりイベントを実施したりしている。例えば、「シーズンチケットを購入しているのに、チームグッズの購入頻度は低いサポーター」に、クラブのグッズのセール情報を送るといった方法だ。クラブの取り組みとJリーグIDの活用によって、年間入場者数を4年間で約1.5倍に伸ばした名古屋グランパスのような成功例もある。

 このほか、スタジアムへの来場履歴から、試合終了後にアプリを通じてアンケートを実施することもある。例えば、「売店での待ち時間が長い」「食べ物がすぐ売り切れた」「シャトルバスの待ち時間が長い」といった不満点を洗い出せば、来場者の満足度を高める改善策も打ちやすい。JリーグIDと公式アプリを活用することで、対面調査に比べ、時間と費用を大幅に軽減できるようになった。

チケットのダイナミックプライシングも導入

 JリーグIDを活用したマーケティング施策は今後もどんどん拡大していく予定だ。中でも注目は、各試合の入場料を動的に変化させるダイナミックプライシングと、独自の入場管理システム「ワンタッチパス」のスマホ対応だろう。

 ダイナミックプライシングでは、過去4年間のチケット販売データをAI(人工知能)が解析して試合ごとの“価値”を算出。席種ごとに最適な価格を提示し、1日1回のペースで改訂する。ただし、席種ごとの価格は各クラブで上限、下限を設定できるうえ、AIが算出した最適価格を採用するかどうかの裁量権もクラブにある。

Jリーグのチケットは公式アプリで購入できる。QRチケットで一部電子チケットにも対応
Jリーグのチケットは公式アプリで購入できる。QRチケットで一部電子チケットにも対応

 一方のワンタッチパスは、チケットの代わりに、各クラブが発行するワンタッチパスIDを端末に読み取らせることで、スタジアムに入場できるシステム。入場時の時間的なロスを削減できるうえ、転売目的のチケット購入を防ぐ効果もある。従来は、専用ICカードでワンタッチパスIDを発行していたが、JリーグIDとワンタッチパスIDを連携させることで、公式アプリ内の「アプリ会員証」で代用できるようにした。

 現在、ダイナミックプライシングは横浜F・マリノスと名古屋グランパスが全試合・全座席で導入、公式アプリを使ったワンタッチパスは鹿島アントラーズ、ベガルタ仙台、ガンバ大阪の3クラブが試験的に導入している。

 ほかにも、MA(マーケティングオートメーション)ツールを導入して、属性情報に基づいた会員の抽出からターゲットメールの送信までを自動化する構想や、スタジアムで各会員が何を購入したかをQRコード決済から可視化し、物販の売り上げ向上につなげる構想もある。

Jリーグデジタルのプラットフォーム戦略部の笹田賢吾部長
Jリーグデジタルのプラットフォーム戦略部の笹田賢吾部長

利用拡大の背景にクラブのコスト軽減と教育

 Jリーグ、クラブそれぞれで活用が進むJリーグIDだが、「導入した当初は1クラブも使ってくれないんじゃないかという不安もあった」と笹田氏は打ち明ける。クラブからは、デジタル技術の導入でどれだけの効果が見込めるかを疑問視する声もあったという。

 そんな声が消えたのは、クラブの経済的負担を減らす運用の仕組みと教育支援の賜物だ。JリーグIDの採用や公式アプリのリニューアルなど、Jリーグが推進するデジタルマーケティングにかかるシステム費用は、Jリーグとパートナー企業が負担し、クラブの負担はほとんどない。仮に各クラブが独自にアプリなどを開発・運用したら、億単位の予算が必要だろう。だが、JリーグIDを使えば月単位の利用料だけ。その利用料も、Jリーグが非営利団体であるために最小限に抑えている。

 しかも、利用は強制ではなく任意だ。JリーグはトップカテゴリーのJ1だけを見ても、クラブによってリソースや予算規模に差がある。J2、J3まで入れればなおのこと。規模や運営状態によって、データを活用しきれないクラブもあるからだ。

 そこで利用するクラブを増やすため、統計学やデータ活用のスキルがなくても担当者が使えるように、BIツールによる基本的な分析結果をスマートフォンなどで閲覧できようにしている。さらに、データ分析にたけた講師を外部の企業や団体から招き、クラブ向けにデジタルマーケティング分野の人材育成講座を定期的に実施。集積したデータをどうビジネスや来場者満足度向上につなげるかをレクチャーし、成功事例を共有している。

Jリーグが主催するデジタルマーケティング人材育成講座の風景。JリーグIDの採用で収集され、各クラブに提供される顧客データをどう生かすかはクラブ次第。成功事例を共有しつつ、リーグ全体としての顧客数と利益の拡大を目指す
Jリーグが主催するデジタルマーケティング人材育成講座の風景。JリーグIDの採用で収集され、各クラブに提供される顧客データをどう生かすかはクラブ次第。成功事例を共有しつつ、リーグ全体としての顧客数と利益の拡大を目指す

 JリーグIDを使う各クラブは、競技の上では敵対するライバルであっても、ビジネス上では運命を共にするパートナーだ。あるクラブがマーケティング施策に成功して集客力を向上すれば、対戦するクラブの利益にもつながる。クラブ同士が連携して来場者向けサービスを充実させるような取り組みも活発化している。

(写真提供/Jリーグ)

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