紳士服チェーンのAOKIが2019年3月に始めた、オーダースーツ専門店「Aoki Tokyo」が好調だ。全体構想を手掛けたレイ・イナモト氏の指揮の下、デジタル要素を減らしアナログと融合した、新たな購買体験の構築を目指した。これが奏功。若年層開拓に成功し、店舗の想定売上高を約10%上回った。
2019年3月1日、銀座の一角に新たな店舗がお目見えした。紳士服チェーンのAOKIが手掛ける新業態「Aoki Tokyo」だ。ガラス張りの店舗の中をのぞくと、店の中心に据えられた長机に客が並び、店員と相談をしている。その様子は、さながら「Apple Store」のサポートデスク。「空間そのものや、サービスの体験によって、SNSでの口コミが広がり、顧客が顧客を呼んでいる。滑り出しは“上々”だ」と諏訪健治社長は顔をほころばせる。
Aoki Tokyoは、AOKIが手掛ける初めてのオーダースーツ専門店。利用するにはまず来店日を決めて、店舗のWebサイトで予約する(完全予約制ではない)。来店時にはスタイリストが最大約28カ所を採寸。猫背や反り身、肩の位置などを補正して、顧客の体形に合ったパターンを制作する。また裏地やボタンなども、自由に選び、自分好みのスーツを作れる。価格は1着3万8000円(税別)から。オーダー後、最短3週間で届く。
「既製服市場はダウントレンドだが、オーダースーツ市場は増加している。約400億円あるオーダースーツ市場のうち、5年で25%を取っていくことを目指す」と諏訪氏は高い目標を掲げる。ただし、同社はオーダースーツ市場では後発に当たる。コナカの「DIFFERENCE」、ベンチャー企業のFABRIC TOKYO(東京・渋谷)など、大小問わずさまざまな企業がオーダースーツ市場に照準を合わせている。先行する企業と差異化するうえで、AOKIがこだわったのは購買体験の質だ。「スーツができるまでの過程も含めて、高い購買体験を提供するサービス設計を目指した」と全体構想を手掛けたクリエイティブディレクターのイナモト氏は説明する。
なぜデジタル技術を使わないか
この高い購買体験を提供するために大きく2つの工夫点で、AOKI流の購買体験をつくり上げた。1つ目は戦略的なデジタルの排除だ。「最初は体形の3Dスキャンやオンラインで完結するオーダー方式など、テクノロジーを活用したサービスも検討していたが、自分好みの商品を作り上げていくことを楽しめるコンセプトに固まっていった」(諏訪氏)。このコンセプトの実現には、現時点では必ずしもデジタルが必須ではないと判断した。
例えば、オーダーシート。昨今、小売企業や飲食店でも、従業員がタブレット端末を持って接客するケースが増えている。ところが、Aoki Tokyoのオーダーシートは紙だ。普通に考えれば、タブレット端末を使えば、入力するだけでデータベースに登録されるなど、さまざまな手間が省ける。にもかかわらず、紙を選択したのは「カウンセリングを受けているという体験を、より実感してもらうため」だと、UX(ユーザー体験)設計を手掛けるParty(東京・渋谷)の高宮範有チーフストラテジストは説明する。
Aoki Tokyoでは事細かに、顧客の体形の特徴などをオーダーシートに書き込んでいく。「『出尻』という特徴を書き込んでいるのを見れば、それがどういう体形を示すのか会話が弾むかもしれない」(高宮氏)。あえて、見せるオーダーシートにすることで、コミュニケーションを活発化させ、スタイリストと共に作る意識を高めることを狙った。
体験重視で、あえてデジタル排除でつくり上げたAoki Tokyoだが、今後もデジタルを活用しないわけではない。ECの展開も見据えている。
Aoki Tokyoのカウンセリングは約2時間を要する。長時間にわたるカウンセリングを、ややストレスに感じる顧客も中にはいるだろう。時間短縮につながる、最も効率化が期待できるのは採寸だという。現時点では、3Dスキャンなどの採寸は精度が低く、体験の質を損なうと判断して今回は導入は見送ったが、「実は店舗内には、採寸の機械を設置することを見越したスペースを確保している」と空間デザインを手掛けるアーキセプトシティ(東京・港)の室井淳司社長は明かす。テクノロジーの進歩に合わせ、採寸の効率化に最適な技術を取り入れることを検討していく。
「3着、4着目の購入希望者であれば、ネットで気軽に注文したいというニーズも出てくるはず」(Partyの高宮氏)。店舗店員とコミュニケーションしながら、生地やボタンを選ぶといった、店舗で味わえる楽しさを失うことなく、デジタル活用による体験価値の向上を目指す。
デザイナーのアトリエをイメージ
新たな購買体験をつくるための、もう1つの工夫は店舗コンセプトだ。オーダースーツのテーラーと聞いて、どんな店舗を想像されるだろうか。木造のクラシックな内装、来店者は個室に通され、スタイリストの採寸を受ける。やや大げさかもしれないが、そんな店舗を思い浮かべる人も少なくないだろう。ところがAoki Tokyoの店舗内装はクラシックなテーラーとは全く異なる。「ブルーボトルコーヒー」、あるいは冒頭で引き合いに挙げたApple Storeのイメージが比較的近いだろう。AOKIは後発であるがゆえに、他社と異なるブランド価値をつくれないと、単なる比較論になってしまう。
「例えば、スターバックスコーヒー。カウンターでオーダーをして、好きな席に座る。必ずしもラグジュアリーな雰囲気ではないが、今の若年層はそうした自由さにホスピタリティーを感じている」(室井氏)。そんな若年層をターゲットにたどり着いたコンセプトが、「デザイナーのアトリエで一緒にスーツを作る店舗」だ。
ラグジュアリーな内装ではなく、あえて長机に横並びで来店客が座り、隣の来店客との距離を近づける。これにより店舗全体が活気に包まれて、ものづくりに取り組む雰囲気が生まれやすい店舗設計を目指した。ガラス張りにしたのも、そうした活気あふれる様子を店の外からも見えるようにするためだ。こうした従来のオーダースーツとは全く異なる購買体験が、「顧客の購買心理を刺激する。それが顧客単価の向上につながっている」(AOKIの諏訪氏)。
好調な出だしのAoki Tokyoだが、一足飛びに店舗数を増やす戦略は取らない。まずは既存の店舗で確実に成功の道筋を作ってから、徐々に店舗数を増やしていきたい考えだ。