ドーナツチェーン「クリスピー・クリーム・ドーナツ」が復調傾向だ。「2017年度は全店で売上高が前年を上回った。それまでは単月でも前年を上回ったのは1回だけだった」。クリスピー・クリーム・ドーナツ・ジャパンの若月貴子社長はこう明かす。かつて「行列のできるドーナツ屋」として人気を集めた同社だが、15年の「大量閉店」を機に「ブームの終焉」がささやかれるなど、苦境に立たされた。閉店後はアプリを活用した新たなCRM(顧客関係管理)手法の開発などに奔走した。アプリの成功により、売上高に占める会員比率は1年強で3倍に増加。効率の良いマーケティング施策の確立により、18年度には非効率な紙のクーポンをほぼ撤廃した。

1992年筑波大学卒、同年西友入社。経営管理本部企画室海外グループマネジャーなどを経て、2007年経営共創基盤入社。12年3月クリスピー・クリーム・ドーナツ・ジャパン入社。管理本部長、執行役員副社長を経て、17年4月より現職。
クリスピー・クリーム・ドーナツの日本一号店である「新宿サザンテラス」店をいまだ鮮明に覚えている人も少なくないだろう。06年に日本に上陸するや否や、連日長蛇の列ができる人気店となり平日でも1時間待ちの状況が続いた。その様子はさまざまなメディアに報じられ、さらなる集客につながった。ところが大きな話題を呼ぶことは、事業を長期継続するうえで必ずしも歓迎すべきことばかりではなかった。

毎年変わるマーケティング部長
それほど強烈な話題性を継続することは難しい。初年度の売り上げがあまりにも大き過ぎた故に、「翌年以降はどんなマーケティング施策を講じても、既存店の売り上げが前年を上回ることは全くなかった」(若月氏)。何をやっても手応えを感じられない。思うような成果が出せず「毎年マーケティング部長が変わる状態だった」(若月氏)。クリスピー・クリーム・ドーナツにおけるマーケティングの難易度の高さを象徴している出来事と言えよう。徐々に既存店の売り上げは減少していった。
それでも、会社全体の売り上げは右肩上がりで増え続けていた。積極的に出店をしていたからだ。既存店の落ち込みを新規出店で補う形で、成長を続けていた。クリスピー・クリーム・ドーナツが64あった店舗を46にまで減らした「大量閉店」が注目を集めた15年度も、実は「最も出店数が多かった年でもある」(若月氏)。積極的に出店した15年度の途中で、大量閉店という相反する決断をしたわけだ。その理由は会社全体の体制にある。店舗を増やすにつれ、多店舗展開に適した仕組み作りができていないことが浮き彫りになっていった。

課題のうちの1つが「マーケティング戦略の見直し」だ。「行列のできるドーナツ屋というメディアの作り上げたブームに甘えていた」(若月氏)。その結果、十分な効果検証をしないまま、戦略なきマーケティング施策に無駄金を費やしていた。このまま同じ施策を続けていても、やがてはジリ貧になり成長を維持できなくなる。そう判断して上陸10周年を目前に控えた15年に、次の10年を見据えた体制作りを進めるため、不採算店舗を閉店するなど一度事業を縮小することを決めた。
プライスカード1つ作るのに1600円
当時マーケティング部長を務めていた若月氏は、手始めにマーケティング予算の適正配分に着手した。「自分たちの思うブランドの世界観に合うものを作ることに躍起になっていた」と若月氏は言う。例えば、商品ごとに付けるプライスカード。プロモーションのたびに作り直しており、1つ作るのにおよそ1600円もかかっていたという。
ブランドの世界観を作ることにこだわりを持つのは大切だが、それを顧客がクリスピー・クリーム・ドーナツというブランドに求めているかと言われれば疑問だった。プライスカードがリッチだとしても、直接的に売り上げにつながるわけではない。効果が分からない施策より、数値目標を立てやすい集客施策に予算を使うべきと判断した。プライスカードをプラスチックカードに変えただけでも数百万円のマーケティング予算が浮く。そうして捻出したマーケティング予算をデジタル戦略などへの投資に回した。

特に力を入れたのがリピート施策の強化だ。15年に実施したキャンペーンが強化のきっかけとなった。同年7月にクリスピー・クリーム・ドーナツでは対象商品を買うと、同じ商品がもらえるキャンペーンを実施した。その来店客に対して、次回の来店でドリンクが無料になるチケットを配布。さらにそのチケットの利用で再来店する時期を見計らってスタンプラリー企画を開催するなど、複数のキャンペーンを組み合わせて再来店を促した。これが奏功し、「その年の夏は既存店の売り上げが前年と同水準となった」(若月氏)。既存店の売り上げが前年を割り続けていただけに、同水準の維持につながったこの施策は最初のマーケティングの成功体験となった。
きちんとリピートにつなげるストーリーを組み立てることは、顧客の再来店を促し売上増につながる。このリピート施策で手応えを得た若月氏は、本格的にCRMの強化に動く。戦略の根幹にはスマートフォン向けアプリを据えた。アプリの肝となるのは、ポイントをためることで会員ランクが上がりクーポンを得られる会員機能。アプリ開発以前も従来型の携帯電話向けに会員サービスを運営していたが、より使いやすい会員サービスを提供するために16年8月にアプリ化した。
単にアプリ化するだけではなく、データに基づき優良会員を定義付けすることで会員制度を見直した。従来は来店頻度だけでランク付けをしていたが、それでは不十分との仮説があったからだ。その仮説は当たっていた。データ分析から売り上げ貢献度が高い会員は2種類いることが分かった。1つは来店頻度が高く1回当たりの購入金額は少額の会員。もう1つは来店頻度は低いが1回の来店で大量に購入する会員だ。つまり購入金額も加味しなければ、後者の会員はメリットを享受できない。そこで、来店で5ポイント、購入金額10円ごとに1ポイントを得られるように会員制度を変えた。
売上高に占める会員比率は1年強で3倍
アプリの利用を促進するために店頭での案内を徹底した。購入時にアプリの利用の有無を尋ね、非利用者の場合には勧める。これを浸透させるために、タブレット端末で動画を見て、ダウンロードにつながりやすい勧め方を学べるトレーニングプログラムを用意した。従業員はこの動画を見て学び、それをまねした自分の動画を撮影して投稿する。これに全国の従業員からアドバイスを受けられるため、さらなるスキルアップにつながる。
併せてアプリを推奨する妥当性をデータで示すべく、来店者向けにレシートからアンケートへ誘導する顧客満足度調査を実施した。アプリを勧めた顧客の満足度を調査したところ、勧めなかった顧客と比較して満足度と平均購入単価、共に高いことが分かった。こうしたデータによる裏付けで、アプリを勧めることの有益性を店舗の従業員に伝えていった。
こうして会員規模が拡大したことで、クーポン施策も効率化できている。クリスピー・クリーム・ドーナツは既存顧客へのクーポンを、アプリの会員のランクに応じたデジタルクーポンに一本化した。それだけでも印刷代や配布のコストは劇的に減る。「クーポンの回収率も高く、大量にばらまいても回収率の低い紙のクーポンより圧倒的に効率が良い」(若月氏)。そのため、18年度には紙のクーポンをほぼ撤廃した。こうした結果、売上高に占める会員の売上比率は、アプリ開始提供から1年強で3倍以上に上昇し、10%を超えた。これらの施策によって、17年度は上陸後初めて全店で売上高が前年を上回った。
「当社はメディアの作ったブームの虚像の中で大きくなっていった。それを見直して、自分たちの手足で未来を作るために一度事業を縮小したことで業績は順調に回復している」と若月氏は振り返る。改革を終えたクリスピー・クリーム・ドーナツは、18年に2桁以上の出店を計画するなど一転攻勢に出る。ここから、再び成長軌道に乗せることができるか。若月氏の手腕が問われる。
(写真/山田 愼二)