細谷正人氏が新たな視点でブランディングデザインに斬り込み、先進企業に取材する連載「C2C時代のブランディングデザイン」。今回からは番外編として、連載に大幅に加筆して発刊した書籍『ブランドストーリーは原風景からつくる』の内容を一部抜粋して紹介する。
書籍『ブランドストーリーは原風景からつくる』は、1972年に出版された奥野健男著『文学における原風景─原っぱ・洞窟の幻想』(集英社)から出発している。
特に建築界の中で名著とされる一冊で、著者が言う“原風景”とは“原っぱ”のことを表している。奥野はこの著書の中で文学者の作品には、イメージやモチーフを支える土台として自己形成空間が色濃く投影されていると論じている。それは、文学においてどのような意味を持つのかという視点で、文学そのものを総合的に捉えるために“原風景”を解析している。
島崎藤村の信州馬籠の宿、太宰治の津軽、井上靖の伊豆湯ヶ島、大江健三郎の愛媛の山中などのように、文学の軽やかなモチーフとも言うべき、どれも鮮烈で奥深い“原風景”を持っていると述べている。単に旅行者が眺める風土や風景ではなく、自己形成とからみあい、作家の血肉化した深層意識とも言うべき風景である。そして私たち読者は、その土地を知らなくとも自分の中にある風景を重ね合わせ、その情景をイメージしながら文学を読み進めている。
“原風景”は奥野によって言われ、その後定着した言葉である。“懐かしい風景”や“ノスタルジー”といった文脈においても使われている。『大辞林』では“原風景”とは「原体験から生ずる様々なイメージのうち、風景の形をとっているもの。変化する以前の懐しい風景。」とされている。しかしながら奥野が『文学における原風景─原っぱ・洞窟の幻想』で述べた“原風景”の意味は即物的ではないことが分かる。
この長編評論では、東京・山の手の都会育ちである奥野自身の“原風景”(自己形成空間)として子供の頃を振り返ると、“原っぱ”と“隅っこ”の2つが浮かび上がってくるという。“原っぱ”と“隅っこ”は、タイムトンネルのように狩猟採集の縄文時代に遡ったり、近未来の都市にイメージを広げたりしながら、子供の妄想の中でまるでSF映画のように繰り広げられるイマジネーションが掻き立てられていた場所である。その場所を“原風景”として、奥野が日本文化と文芸の本質を探っていることが興味深い。
奥野は作家固有の自己形成空間としての“原風景”が存在していることに触れており、このような文学の母胎でもある“原風景”は、その作家の幼少期と思春期で形成されていると語っている。記憶研究においても、まさしく“原風景”は個人の自伝的な記憶として主に幼少期から思春期にかけて形成されると言われている。
ではこれからの私たちにとって、その“原っぱ”とは、一体どこに存在するのだろうか? LINEやTwitterなどのSNSもしくはショッピングモールやコンビ二なのか。もしくは、現代の“原っぱ”は全く異なるものへと変貌してしまったのであろうか。
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