海外で売る! 日本ブランドの挑戦 第1回

日本では広く浸透しきった商品であっても、海外においては希少性や独自性のある製品として高い評価を得られることがある。三和酒類(大分県宇佐市)の麦焼酎「いいちこ」もそうした商品のひとつ。知名度の低さなどによる米国での当初の苦境から、大幅な販売手法の転換で乗り越えた担当者の奮闘記を紹介しよう。

米ニューヨークのハイエンドバー「Thyme Bar(タイムバー)」。ここでも提供されている高アルコール度数の「iichiko彩天」は海外のカクテル市場向けに開発した
米ニューヨークのハイエンドバー「Thyme Bar(タイムバー)」。ここでも提供されている高アルコール度数の「iichiko彩天」は海外のカクテル市場向けに開発した

 米国の利上げや日銀の金融緩和も続くという見方が広がり、2023年2月末で1ドル=135円前後と円安傾向が続いている。この円安と資源高の影響で、22年の貿易収支は過去最大となる約20兆円の赤字となった。

 足元では不安定な経済に対する懸念が広がる。それでも、日本の製品は高品質で安全という海外の消費者からの信頼はまだ根強い。この円安は輸出企業にとっての好機と捉えることもできる。

 現地のディストリビューター(流通・配送業者)任せで、大きな成果が得られるとは限らない。日本ブランドの優位性を生かした希少性や独自性をいかに訴え、利用者を引き付けるかは、マーケターの手腕に大きくかかっている。

 先進企業は海外で商品ブランドをどう高めているのか。その本質に迫る本特集の第1回と第2回は、米国を中心に麦焼酎「いいちこ」の海外戦略に取り組む宮﨑哲郎氏の手記をお届けする。


 私は麦焼酎の製造元、三和酒類の米国子会社iichiko USA(イイチコUSA)を9年前に立ち上げ、米国で「いいちこ」と焼酎文化を紹介する活動をしています。「いいちこ」といえば、日本ではお酒を飲まない人でも知っていただけているブランドだと思います。東京芸術大学の名誉教授であるアートディレクター河北秀也氏が手掛ける広告が印象に残っている、という方もいるかもしれません。

アートディレクターの河北秀也氏が手掛けた1984年4月の「いいちこ」広告
アートディレクターの河北秀也氏が手掛けた1984年4月の「いいちこ」広告

 そんな「いいちこ」をはじめとする焼酎が今米国のバー業界で、ちょっとしたブームを引き起こしつつあります。世界ランクで上位に入るトップバーでカクテルのベースとして使われ始めており、徐々にファン層を拡大しています。また米ニューヨーク州では22年7月に、従来はビールやワインのみを扱っていた一般的なレストランでも焼酎を扱えるようになる法律が制定されるなど、現地での焼酎の注目が大きくなっています。

 かつてまったく無名だった「いいちこ」が米国でどんな挑戦をして、焼酎の認知を拡大してきたのか。その軌跡を振り返っていきます。

「いいちこ」の海外戦略に取り組んでいる三和酒類の米国法人iichiko USAゼネラルマネジャーの宮﨑哲郎氏。米ニューヨークのジャパニーズバー「Katana Kitten(カタナキトゥン)」にて
「いいちこ」の海外戦略に取り組んでいる三和酒類の米国法人iichiko USAゼネラルマネジャーの宮﨑哲郎氏。米ニューヨークのジャパニーズバー「Katana Kitten(カタナキトゥン)」にて

焼酎にどっぷり漬かった大学時代

 三和酒類の創業は1958年。大分県の3つの酒蔵が共同で立ち上げたことが名前の由来になっています。最初は日本酒の製造から始まり、70年代には大分県発のワインの製造を開始、現在でも販売を行っています。その後、79年に発売した「いいちこ」が80年代の焼酎ブームを巻き起こし、大ヒット商品となりました。

 その三和酒類に、私は19年勤務しています。学生時代は、焼酎の産地である宮崎県の宮崎大学農学部応用生物化学科に進学し、焼酎に魅了され、焼酎用麹(こうじ)の研究室に所属。夜は現地の有名なバーでバーテンダーのアルバイトをし、卒業時には焼酎メーカーに絞って就職活動をしました。

学生当時、実際に宮崎市内で働いていたバーのメニュー。ジンベースなど世界の蒸留酒はあるが焼酎ベースのカクテルはなかった
学生当時、実際に宮崎市内で働いていたバーのメニュー。ジンベースなど世界の蒸留酒はあるが焼酎ベースのカクテルはなかった

 他にも多数の焼酎メーカーに応募したのですが、三和酒類を選んだ理由は「焼酎を世界の酒に」という企業理念に引かれたからです。バーテンダーをしていた当時、日本のカクテルバーは欧米の文化、異文化を体験する場所でした。庶民的なお酒である焼酎は置かず、カクテルには使わないという暗黙のルールがありました。

 カクテルメニューを開いても、ジンベース、ウオッカベース、ラムベース、テキーラベースはありますが、焼酎ベースはありません。お店に焼酎があったとしても、バーの棚には並ばず、見えないところに隠されている状態です。しかし、かつてメキシコの庶民的なお酒であったテキーラも今では世界中の人が魅力を感じて親しまれている。

 日本の伝統的な蒸留酒である焼酎が、魅力あるお酒として、世界中のバー、日本のバーテンダーの方々にも受け入れてもらえるようになったら面白いと感じていたのです。まさにそんな社是を掲げている三和酒類へ、2004年に入社しました。

社内で初めての支店であり駐在員

 すぐに海外関連の仕事ができたわけではなく、新人として地道な下積みの日々が続きました。3年間は焼酎の製造部門で勤務し、その後3年間は「いいちこ」の地元、大分県で営業を経験しました。6年目でようやく「焼酎をウオッカやジンのように世界の蒸留酒にしたい」という希望を会社に伝えて、海外営業部に異動します。

 海外営業部への配属されたものの、当時の英語力はまったくと言っていいほどゼロに近く、英語能力テスト「TOEIC」は410点という悲惨な状態でした。そこから1年ほど猛勉強し、何とか900点を超えることができ、会話についていけるくらいにはなりました。

 そして14年5月、米国子会社として設立したiichiko USAへ最初の駐在員として出向し、カリフォルニア州サンフランシスコで勤務を開始します。

米サンフランシスコで三和酒類として初めての支店を開設した。現在はニューヨークとロサンゼルスに拠点を構えている(写真/Shutterstock)
米サンフランシスコで三和酒類として初めての支店を開設した。現在はニューヨークとロサンゼルスに拠点を構えている(写真/Shutterstock)

 私たち三和酒類は、日本国内でも大分県本社以外には支店を置かない組織体系となっていて、営業担当者は月曜日に担当エリアへ出張し、金曜日に大分県へ戻ります。そうした営業スタイルもあって、このiichiko USAは、三和酒類にとって国内外を含めて初めての支店、また初めての駐在員でした。スーツケース2個だけ持って渡米し、知り合いも誰もいない、本当に何もないゼロからのスタートでした。

 私自身にも会社にとっても海外事業所運営のノウハウがない状況からのスタート。会社関連法、会計業務、営業、プロモーション、ブランディングと全てにおいて一歩一歩進んできました。

ステレオタイプの破壊、日本食からバーへ

 現在は、米国駐在9年目を迎えています。その活動を振り返ってみると、最も困難な部分だったのが、焼酎に対するステレオタイプを変えることでした。といっても、米国人は焼酎のことをもともと知らない。ここでいうステレオタイプというのは、私自身も含め「日本人が持っている焼酎に対するステレオタイプ」でした。

このコンテンツ・機能は有料会員限定です。

有料会員になると全記事をお読みいただけるのはもちろん
  • ①2000以上の先進事例を探せるデータベース
  • ②未来の出来事を把握し消費を予測「未来消費カレンダー」
  • ③日経トレンディ、日経デザイン最新号もデジタルで読める
  • ④スキルアップに役立つ最新動画セミナー
ほか、使えるサービスが盛りだくさんです。<有料会員の詳細はこちら>
37
この記事をいいね!する