DX(デジタルトランスフォーメーション)などビジネス環境の急激な変化で、社会課題の解決に産業レベルでの大きな変革の必要性が高まっている。そんな中、関連プレーヤーとビジョンを共有しながらN対N型で進める新世代のオープンイノベーションに取り組んだのがJR東日本だ。2017年に設立した「モビリティ変革コンソーシアム」において約130社との取り組みをまとめた『新世代オープンイノベーション JR東日本の挑戦 生活者起点で「駅・まち・社会」を創る』から、そのポイントや事例を紹介する。
私たちを取り巻く世界は激動の時代に突入している。新型コロナウイルス禍や国際紛争、気候変動問題、少子高齢化など、社会環境が大きく変化し、社会課題が顕在化してきた。その一方で、AI(人工知能)や量子コンピューターなど革新的な技術が生まれている。「将来の予測が困難なVUCA(変動性・不確実性・複雑性・曖昧性)と言われる時代における社会課題の解決」という「時代の要請」に応えるためには、従来のような個別企業による製品開発や顧客との共創といった視点だけでは難しくなってきている。このため、幅広いプレーヤーと課題解決のためのビジョンを共有し、どのようにしたら課題が解決できるのかを社会や産業の仕組みの枠を超えて考え直す必要がある。
こうした取り組みは国内でもいくつか登場し始めている。例えば、2019年ごろから始まったソフトバンクとトヨタ自動車の合弁会社MonetTechnologiesによる「Monetコンソーシアム」、社会課題を解決する新ビジネスの創出を目的とした三菱地所と独ソフト大手SAPの日本法人であるSAPジャパンによる「Inspired.Lab」などだ。このような取り組みは、複数の企業が業種を超えてオープンに協働し、イノベーションを生み出そうとする点に特徴がある。個別企業が製品やサービスを開発するのではなく、コンソーシアムやラボに様々なプレーヤーが結集し、主従関係なくN対Nの企業がオープンイノベーションで共創することで、新たな価値や成果を生み出そうとするものである。
JR東日本が新世代オープンイノベーションに取り組む訳
そうした動きの先駆けとなった日本初の取り組みがある。それが、2017年9月に東日本旅客鉄道(以下JR東日本)がスタートさせた「モビリティ変革コンソーシアム(Mobility Innovation Consortium:MIC)」である。通常ではあり得なかった多様な産業界やあるいは大学の研究室やスタートアップ、さらには自治体・地域や周辺住民までを巻き込みながら、モビリティの在り方や周辺エリア・技術、その存在価値から変えようとする活動である。
JR東日本がなぜこうした革新的なエコシステムを構築して新世代のオープンイノベーションに取り組むことになったのか――その背景や意図を紹介する。同社がMICをスタートさせることとなった背景には、社会・産業・生活への洞察がある。
1つは「3つのパラダイムシフトが同時に起きている前例のない時代」であること。「ICT変革」、「産業変革」、そして(多くの社会要請や革新技術を伴う)「社会変革」が同時に起きている。
その結果、社会に必要な機能や価値の実現を可能にする革新技術(イネ―ブラー)と、ESG(環境・社会・ガバナンス)や少子高齢化など時代をけん引する社会要請(ドライバー)が、あらゆる分野で同時多発的に登場している。複雑化し、簡単に解決できない大きな社会課題を解決するためには、これらのイネーブラーとドライバーの相互作用をうまく活用することが望まれている。また、業種を問わずあらゆる企業に新たな価値の創造が求められており、あらゆる人が変革に関わる時代になっている。
もう一つは「イノベーション創造の在り方の大きな変化」だ。社会課題を解決するための枠組みが大きく変化していることを指す。
これまで国や自治体などの行政が担ってきた社会課題解決を、民間が主体となって進めていく枠組みである。その一つの考え方として、CSV(Creating Shared Value)があり、これは自社の事業で社会的課題を解決することにより、経済価値と社会価値を同時に創造しようとする企業戦略の1つの選択肢といえる。言ってしまえば、社会的課題解決のビジネス化という試みである。
また、イノベーションを創造するモデルにも転換が起きている。1980年代には「商材サービス開発による価値創造」が主流だったが、90年代以降は「顧客との共創による価値創造」が求められるようになり、2010年以降は「社会産業構造そのものの変革」が始まっている。これは1社の努力では不可能であり、多数の企業が協働して大きな価値創造を生み出す流れが必要になる。投資家もそうした企業に好んで投資するようになったことも、この変化を後押ししている。“ものづくり”の次に“コトづくり”が現れ、それがさらに「“場づくり”による価値創造」のモデルが求められている。
イノベーションの仕掛け方は、時代とともに大きく3つの段階を経て進化してきた。まずは古くから1990年代にかけては、技術革新によるイノベーションが盛んに行われた。例えば、テレビがブラウン管から液晶ディスプレーに変わり、ハードディスクがSSD(ソリッド・ステート・ドライブ)に変わる、蛍光灯がLED(発光ダイオード)に変わるなど、新たな技術が従来製品のコア技術を塗り替えて新たな生活シーンを生み出してきた。これを「イノベーション1.0」と呼んでいる。一般にイノベーションと聞くと、このモデル を想起する方が多いのではないだろうか。
イノベーション1.0では、新技術こそが価値の源泉となる。「技術起点のイノベーション」である。一般的には、企業組織内の研究開発部門がそれを担ってきた。また「コーポレートベンチャーキャピタル」として、外部に有力な技術シーズを求め、投資したり買収したりすることによって獲得するような動きもここには含まれる。
ただし、このモデルが有効になるのは「技術進化にフロンティア(開拓余地)がある場合」のみだ。例えば、バイオテクノロジーや脳科学など、技術が急速に進化している分野においては、現在でも有力なモデルとなっている。
しかし今日、多くの事業分野において技術はすでに成熟期に差し掛かっている。技術が成熟するにつれて革新の余地はどうしても少なくなり、有意義な課題設定も難しくなる。「可能性の追求」という意味において、技術起点によるイノベーション1.0のアプローチが否定されることはないが、このモデルでは大きなイノベーションが起こしにくくなってきているのも事実だ。
イノベーションで成果を出せない企業が増えている
そうした課題を解決するため、海外では2000年ごろから「イノベーション2.0」が徐々に主流となっていった。イノベーション2.0とは、顧客が抱えている課題を起点に、顧客との共創によって社会や産業の革新を目指す「顧客起点のイノベーション」である。顧客と個別に課題を共有し、顧客と1対1で取り組む。米IBMは世界に先行してこのモデルへの転換を進め、顧客企業とのコラボレーションプロジェクトを多数展開してきた。特定の顧客企業が直面している先進的な課題を共創によって解決し、そこで得た技術やノウハウを横展開する。それにより、大きなビジネスへとつなげていく。
日本では2010年ごろから日立製作所が「顧客協創」という名のもとに研究所の再編を行い、イノベーションモデルを1.0から2.0へと変革した。他の日本企業もこの動きに追従する形でイノベーション2.0は広まっていった。
イノベーション2.0でも技術はもちろん重要だが、それは1つの実現手段にすぎない。本質的な価値の源泉は「顧客接点」にこそあり、具体的には顧客が所有する課題やデータということになる。
しかし近年、イノベーション2.0に注力していても成果がなかなか出せないという企業が増えている。なぜだろうか。
個別課題としては、2社で共創した成果とその所有権について、共創した相手と奪い合いになってしまうといった知的財産関連の課題が挙げられよう。しかし、ことの本質は「社会システムが変わりつつある局面になると、顧客ですらその課題を明確に設定することが難しくなる」という事実にある。
イノベーション2.0で起点となるのは「顧客が抱える課題」であり、社会課題ではない。その結果、どこまで突き詰めても顧客が自身で気付いている困りごとの範囲内でのイノベーションに終始し、社会課題の解決や革新的な成果につながるような課題に取り組むことができないという状況が生まれやすい。
また、共創した顧客がいつまでその業界の中心的なプレーヤーでいられるかという課題もある。特に近年はビジネス環境の変化が速まり、産業の担い手そのものが入れ替わってしまう可能性も高まっている。
例えば、エネルギーのインフラは発電所を中心とする集中型から、再生可能エネルギーを地域内で循環する分散型へのシフトが始まっている。となると、現在の電力供給を担っている電力会社が、必ずしも未来永劫(えいごう)に電力供給の主役であり続ける保証はない。同じことは、新たなモビリティサービスの台頭に直面する鉄道会社などの交通機関、フィンテック系スタートアップ企業との競合に揺れる銀行や保険会社などの金融機関など、あらゆる産業分野で起こり始めている。
つまり、「顧客起点のイノベーション」は既存の業界や企業の枠から意図的に抜け出すのが難しい考え方であり、社会や産業レベルの変革に対峙するには有効なモデルになりにくいのである。
注目されるエコシステム型オープンイノベーション
今後、イノベーションの仕掛け方はどのように変革されていくのだろうか。社会や産業レベルの大きな変革が求められている中、技術開発を起点とするイノベーション1.0は、革新の余地があまりにも少ない。また、顧客課題を起点として1対1で進めるイノベーション2.0は、既存の枠に閉じてしまう。そうした行き詰まり感から、いま新たなイノベーションの仕掛け方として新世代のオープンイノベーションである「イノベーション3.0」への注目が高まっている。
「モビリティ変革コンソーシアム(MIC)」は、大きな社会課題解決の実現に役立つ研究開発を促進するために、2017年にJR東日本が中心となって発足させたコンソーシアムである。
通常であれば接点が限られる異分野のメンバーが協力し合い、これまで実現が難しかった大きなイノベーションを起こすのが狙いである。前章で解説した「イノベーション3.0」を日本で実現し、単純な製品やサービスだけでは解けない大きな社会課題の解決を目指す。
MICでは、テーマを発案した企業が会員に対してプレゼンテーションを行い、これに賛同する企業らと話し合ってメンバーが確定すると、秘密保持契約(NDA)を締結して実証実験の計画・実施に向けて進んでいく。このように、テーマごとに参加企業を募り、アライアンスを組んで活動するのが基本である。コンセプトをつくるだけでなく、実際に実験用のプロトタイプを開発し、「機能視点」「地域視点」「技術視点」という3つの視点から実証実験を行う。これにより、単なるプランに終わらない早期の社会実装や事業化を目指す。
書籍『新世代オープンイノベーション JR東日本の挑戦 生活者起点で「駅・まち・社会」を創る』では、9つの事例を取り上げ、MICの活動を紹介している。本連載では、2回に分けてそれらの事例を紹介する。
(写真提供/JR東日本)

新世代オープンイノベーション JR東日本の挑戦 生活者起点で「駅・まち・社会」を創る
2017年にJR東日本が中心となって発足させた複数産業横断型大規模コンソーシアム「モビリティ変革コンソーシアム(MIC)」の活動成果をまとめた1冊です。関連プレーヤーとあるべき姿やビジョンを共有しながらN対N型で進める新世代のオープンイノベーションである「エコシステム型オープンイノベーション」で、約130社と取り組んだ具体的な手法や事例などを紹介しています。個別企業だけでは難しい社会課題解決や産業レベルでの大きな変革に適した“新たな共創スタイル”。あなたの会社でも実践できる成功のポイントも解説しています。
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