「ストリートファイターV」をはじめ格闘ゲームでプロゲーマーとして活躍するネモ氏。2022年9月には初の著書「思い込む力 やっと『好きなこと』を仕事にできた」を出版した。「この本はゲーマーだけでなく、ビジネスパーソンが実践できるヒントが詰まっている」というnote(ノート、東京・港)プロデューサーの徳力基彦氏が、対談を通じて「好き」を仕事にしたネモ氏の思考法をひもとく。
ネモ氏といえば、eスポーツが日本で脚光を集めるようになる以前から、格闘ゲームのプロプレーヤーとして世界を舞台に活躍してきた1人だ。高校時代から数々のゲーム大会で優勝するなど、華々しい結果を残してきた。
ただ、ほかのプロゲーマーと違うのは、長きにわたり会社員としての顔も持ち合わせていたこと。大学卒業後、IT企業でシステムエンジニア(SE)として働くかたわら、2016年にデルのゲーミングブランド「ALIENWARE(エイリアンウェア)」とスポンサー契約を結び、プロゲーマーとしての活動を開始する。スクウェア・エニックスに転職後も、会社員とプロゲーマーを両立。21年に同社を退社するまで、「社会人プロゲーマー」の道を歩み続けた。
初の著書である「思い込む力 やっと『好きなこと』を仕事にできた」では、ネモ氏がどのようにしてプロゲーマーになったのか、その時々でどんな決断をしてきたのか、さらに仕事とゲームを両立する働き方や、プロゲーマーとして、ビジネスパーソンとしての仕事観を赤裸々につづった。
その本を読んで「この本はゲーマーだけじゃない、あらゆるビジネスパーソンが実践できる現実的なヒントが詰まっている」と語るのがnoteプロデューサーの徳力基彦氏だ。自らもゲームが大好きだという徳力氏。対談は、自身の興味をネモ氏にぶつける形で始まった。
プロになる前、ゲームは完全に趣味だった
徳力基彦氏(以下、徳力) 今はeスポーツやゲーム実況などが活況ですが、「ゲームを仕事にしたい」と思っても「それは難しい」と感じてきた世代としてはその変化に少し驚かされています。僕もゲームが大好きなので、ゲーム実況などを仕事にされている人たちを見ると、心の底からうらやましいと思うんですよね。妬みに近いと言ってもいい(笑)。
だからネモさんにもある種の憧れを感じています。今はeスポーツにかかわる企業向けにコンサルティングなどもされていますが、自己紹介をされるときはどんな肩書を名乗っていらっしゃいますか?
ネモ氏(以下、ネモ) 「『ストリートファイター』のプロゲーマー」ですね。以前は会社員もしていましたが、今はもう専業になったので。プロ活動以外にコンサルティングもしていますが、それはプロゲーマーとしての活動あってのことですから。
徳力 兼業でゲーマーをしていた頃は?
ネモ 社会人プロゲーマーです。SEとして働いていた会社の名刺と、プロゲーマーとしての名刺を使い分けていました。
徳力 プロになる前、ゲームは趣味だったんですか?
ネモ 完全に趣味ですね。当時はゲームで食べていけるなんて全く思っていませんでしたから。全国大会に出たりはしていましたが、趣味の延長です。意識が変わったのは、13年に「EVO」(Evolution Championship Series)という世界最大級の対戦格闘ゲームの大会に出てからです。米国ラスベガスで毎年夏に開催されるオープントーナメントで、1度は行ってみたいと思っていたのが、当時の職場の理解もあって実現したんです。当時は今ほどの規模ではありませんでしたが。
徳力 ネモさんが最初に出たときはどんな感じだったんですか。
ネモ 場所こそ今と同じラスベガスですが、ホテルのパーティールームのようなスペースを貸し切りにして、そこに折り畳み椅子を並べてやっていました。
徳力 なるほど。では、ネモさんはその頃からeスポーツというジャンルが成長する過程をずっと見てきたんですね。でも、最初は趣味なのか……。いや、「思い込む力」を読んでいても、若い頃から海外でも活躍していて、趣味と呼べるレベルには見えないんですよ。仕事はされているけれど、まるで会社員の方が“仮の姿”のような……しかもゲームとは直接関係ないSEですよね?
ネモ もともとゲームがすごく好きでしたから、学生時代にはゲームメーカーに勤めたいと思ったりもしたんです。
徳力 ゲーム好きの男の子はみんな1度は思うことです。
ネモ でも、就職活動を始めるとき、ゲームセンターで知り合った社会人の友人に相談したら、「ゲームを仕事にするとゲームが嫌いになっちゃうかもしれないから、やめておいた方がいい。それなら福利厚生のいい会社に入って、趣味でゲームを続けた方がいいんじゃないの?」と言われました。ゲーム会社はとにかく忙しくて、大会に出ている時間なんてないぞと。結局、アドバイスの通り、内定をもらった中でもっとも福利厚生のいい会社を選びました。その方がゲームを続けられそうだなと思ったので。それがたまたまSEだったという感じです。
結果的にプロという選択肢が生まれた
徳力 ネモさんの場合、大学卒業後の就職先もゲームを軸に選んだということですよね? いつかゲームを仕事にするかもしれない、プロゲーマーになるかもしれないというイメージがあったんですか?
ネモ 全く考えてなかったです。最初に就職したときは、その会社に入ったらずっと勤め続けていくイメージを持っていました。
徳力 今は転職も当たり前ですが、ネモさんの世代だと、ぎりぎりそういう感覚が残っているかもしれません。
ネモ 仕事をしながらも趣味として続けた結果、今のような(プロゲーマーという)選択肢が出てきただけと言っていいと思います。
徳力 なるほど。ゲームを続けるために、仕事は比較的忙しくないものを選んだんですか?
ネモ そのつもりでしたが、SEとして就職して数年間はやはりすごく忙しかったです。客先の基幹系システムをオープン系に切り替えるという作業に携わっていたんですが、深夜まで残業することも多かったですし、泊まり込みもあってゲームどころじゃないという感じでした。ただ、そのシステムが運用段階に入ると、忙しさが一段落しました。いずれはまた別のプロジェクトに移ってまた同じようなことをするんだろうと思っていたんですが、たまたまそうはならなくて……。
徳力 忙しくならなかった?
ネモ その頃、会社の合併が続いたんです。ある会社に合併されて落ち着いた頃にまた合併することになって……本社は社内組織の整理統合を最優先に行うとかで、私のように他社に常駐している社員は半ば放置でした。
徳力 なるほど。SEってものすごく忙しい仕事ですが、そんな状況だったから少し余裕ができて、大会に出場する時間も取れたんですね。
ネモ 練習は仕事が終わった後に、大会は有給休暇を取って出ていました。今思うと、採用時の面接で、ゲームが好きなこと、全国大会などにも出場していることを伝えていたのがよかったと思います。仕事が終わったらすぐに帰ることも、時々有給休暇を取ることも、職場の人に説明しやすかったんです。
ただ、海外の大会に出たいと初めて伝えたときはやはり緊張しました。新システムへの切り替えが終わって時間に余裕があったタイミングで、上司に「海外の大会に出てみたいんですが」と相談したんです。私としては勇気を出して切り出したんですが「そんなに好きなら有休を取って出てみれば?」とあっさり言ってくれて。恵まれていたと思います。
就職したら趣味は後回しにならない?
徳力 好きなことや大切な趣味があったとしても、それとは関係ない仕事に就いたら、自分の中に占める仕事の割合がどんどん大きくなって、その分、趣味の領域は小さくなっていくというのが一般的だと思うんですよね。
でもネモさんの場合はゲームを続けてきた。なぜそれができたのか、個人的にすごく気になっています。仕事に就いて忙しい時期は一度ゲームが占める割合は小さくなったんですよね?
ネモ そうですね。小さくなりました。
徳力 就職して環境が変われば、自分の生活もキャリアも会社が中心のように見えてくるものじゃないですか。なぜゲームに戻れたんですか?
ネモ もともとゲームがとても好きだったことが一番の理由ですが、ゲームを通じて知り合った人たちとの付き合いが続いていたことも影響していたと思います。
現在活躍しているプロゲーマーには、プロになる前どころか、社会人になる前、学生の頃から対戦をしていた人が少なくありません。社会人になっても大会に出続けていましたし。
徳力 忙しくてもゲームはやめなかったんですね。
ネモ ただ、仕事が忙しい時期はゲームも手に着かない状態になりました。練習時間も限られて全然勝てなくなりましたし、一時期はゲームがつまらないと思うまでにもなりました。
でも少し仕事に余裕ができて、またゲームをする時間が取れるようになると、やっぱりその面白さに夢中になってしまって。ゲームへの思いを取り戻しましたね。eスポーツの大会がどんどん大規模になっていく時期とも重なって、海外大会に出る機会も徐々に増えていきました。
徳力 こうして聞いていると、ネモさんの仕事のフェーズと世の中におけるゲームの位置づけの変化がシンクロしている感じもしますね。就職した頃はゲームで稼げる時代が来るとは全然思っていなかった。でも仕事をしているうちに、ゲームが置かれる環境が変わっていった。プロゲーマーもどんどん登場して、活躍できるようになっていきますよね。
ネモ 確かにそういう流れですね。
徳力 そして、学生時代から対戦してきた人たちが今、そろってプロとして活躍しているということですよね。これに近いことは、ビジネスの世界でもあるんですよ。仲のいい起業家や経営者が集まるコミュニティーがあって、そこに属している人はみんな活躍している。でもそれはもともと活躍している人たちが集まっているのではなく、仲間内で「あいつにできるんだったら、俺にもできるかも」と刺激し合い、実際にそれぞれが行動した結果、みんなが活躍するようになったということだったりする。
僕のような一般プレーヤーから見ると、トップクラスのプロゲーマーってあまりにうますぎて、「こんな人たちと同じステージに立つなんて無理」と最初からあきらめてしまうようなところがありますが、ネモさんはそういう人たちと有名になる前から一緒にやってきたから「あいつがプロになれるなら……」みたいな思いを持てたということかもしれませんね。
ネモ プロになっていく仲間を見ていたことがプロになろうと思うきっかけになったという面はありますね。周囲の人にも「ネモくらいの実績がある人がプロゲーマーにならないのはおかしい」というようなことをよく言われました。
徳力 学生の頃から、今活躍しているプロゲーマーの人たちとメンバーもほとんど変わらないようなコミュニティーで活動し、そこできちんと強さを証明してきたわけですよね。ゲームセンターで負けまくって悔しい思いをしてきた自分からすると、想像できない世界です。
会社員と両立、そのバランス感覚はどこから?
徳力 関係性としても実力としても近しく切磋琢磨(せっさたくま)していた仲間が専業のプロになっていく中、ネモさんも兼業ではありますがプロになります。SEとして経験を積み、思考回路が完全に仕事に向いてしまう前にゲームの世界に本格的に戻った。ぎりぎり間に合ったようにも見えます。
ネモ 仲間の姿に影響を受けたこともありますが、自分としてはやはり海外の大会に出るようになったことがもっとも大きいと思います。結果的に海外大会で活躍できたんですよ。
当時自分がプレーしていたゲームは米国のプレーヤーたちが一番強いといわれていました。その中でも当時最強だった2人とエキシビションマッチを行って、両方に圧勝したんです。その動画がネットで公開されて、「あの日本人プレーヤーを自分たちの国で行われる大会でも見たい」という声が上がって、いろいろな海外大会に招待してもらえるようになりました。
そうやって既にプロとして活躍していた海外プレーヤーたちとも交流するようになると、「なんでプロにならないんだ?」と頻繁に聞かれるようになりました。
徳力 でも著書「思い込む力」を読むと、プロになるまでの判断はかなり慎重ですよね。
ネモ 私の場合、父が病気だったという家庭の事情もありました。あまり母を心配させたくなくて。一方で、海外のプロプレーヤーにそれを話すと「お前が今プロになったらこれくらい稼げるはずだから、それで十分じゃないか」と具体的な話をしてくれるんです。そういった会話から、「どうすればプロになれるんだろう?」と考えるようになりました。
だからといって、その時点で家族に「プロゲーマーとして専業でやっていきたい」と話しても、否定的なことしか言われないと思ったんです。考えた末に思いついたのが、SEとして会社に勤めつつスポンサーを獲得する“兼業”という形でした。それなら家族も納得してくれるんじゃないかと。それでまずは兼業プロゲーマーとしての活動をスタートしたんです。
徳力 ネモさんのこういう思考過程って、ゲーマーに限らず、すごく参考になると思うんですよね。
僕は若気の至りで当時勤めていたNTTを飛び出してしまったけれど、当時の自分にアドバイスするなら「絶対に辞めるな」って言います(笑)。日本を海外と比べた場合、新たな一歩を踏み出してうまくいったときに得られるものはそれなりにあるんですが、失敗したときに受けるダメージがとても大きい。だからリスクを取ってチャレンジする人が少なくなってしまうのも仕方がないと思います。
僕はNTTを辞めた後、ベンチャー企業へ就職するんですが、そこで最初は仕事が全くうまくいかなかった。その後、ブログを書き始めたことが結果的にその後の仕事につながりましたが、それがなかったら今ごろここには多分いません。
当時のネモさんは、リスクを冷静に判断して踏み出したわけですよね。とてもバランス感覚に優れていると思うんですが、その感覚はどこから来たのでしょう?
ネモ ある意味、SE的な考え方かもしれません。バグを出さないようにチェックリストを作って、何か起きたときのために準備する。
徳力 なるほど。当時は自分の中で相当シミュレーションしたんでしょうね。
ネモ そうですね。SEとしての勤務経験がなかったら、そういう思考にはなっていなかったんじゃないかなと思います。大学生の頃は、ゲームをやりたければ、卒業後に専門学校に入り直してゲームメーカーに入ればいいのかなとか短絡的に考えていたわけですから。
やるべきこと、できることをリストアップして一つ一つ確認していく。これはある意味、SE的な考え方なんじゃないかと自分では思っています。
※この対談は第2回に続きます
(写真提供/大須晶、インタビュー写真/中村宏、編集/平野亜矢)