LGエレクトロニクス・ジャパン(東京・中央、以下LGEジャパン)が2017年に発売した「LGスタイラー」。韓国発の衣類家電は新市場を開拓し、日本でも売り上げを伸ばしている。東洋学園大学でマーケティングを教える八塩圭子教授が商品・サービスのマーケティング戦略を聞く連載の第1回。「八塩圭子の話したくなるマーケティング」は音声コンテンツも同時に配信する。

東洋学園大学の八塩圭子教授(左)とLGEジャパンのマーケティング統括責任者、宇佐美夕佳さん
東洋学園大学の八塩圭子教授(左)とLGEジャパンのマーケティング統括責任者、宇佐美夕佳さん

 「プロダクトアウトだからできた」――そう聞いた瞬間、「キタキタキタ~!」と胸躍る思いがした。正解など一つではないマーケティングの世界において、理論に忠実な事例に出合うと「さすがマーケティング」と思いわくわくし、それとは正反対のことをやって成功したケースに出合うと「これぞマーケティング」と、またまたわくわくしてくる。そうなると人に話したくなる。取材先で出会ったマーケターの方に、大学の授業の中で、学会の会合で……そんな「話したくなるマーケティング」について連載させていただくことになった。

 第1回に選んだ商品は、韓国LGエレクトロニクスの「LGスタイラー」だ。ジャケットやシャツをかけておくだけでシワや臭いをとり、花粉やウイルス、ハウスダストまで低減してくれるという全く新しいカテゴリーの衣類ケア家電だ。家電というイメージからは逸脱している。見た目は、ちょっと細身のクローゼットといった感じで、使用中の音もほとんどない。コンセントにつないでいることすら忘れそうな、インテリア然とした形状をしている。

細身のクローゼットのような感じ。扉がミラーになっているタイプなど、数種類がある
細身のクローゼットのような感じ。扉がミラーになっているタイプなど、数種類がある

 実は私、2017年に大学で担当しているゼミでLGEジャパンと産学連携活動をしていたことがあり、その際に日本で発売されたばかりのLGスタイラーに出合っていた。そのときは、「面白い商品を作るものだ。あればあったでありがたいけど、これ、十何万円も出して買う人いるの?」と思った程度だった。でもそこから6年で、22年の出荷台数は初年度(17年)の約2.6倍に拡大した。

東洋学園大学では2021年から現代経営学部教授。マーケティングを教える
東洋学園大学では2021年から現代経営学部教授。マーケティングを教える

 そのヒットの背景にある「話したくなるマーケティング」は3点ある。(1)プロダクトアウト型の強みを発揮、(2)STP(セグメンテーション、ターゲティング、ポジショニング)の適切な変更、(3)BtoB(企業向け)で価値体験の提供、という順に話を進める。

●LGスタイラー 3つのマーケティング
LGスタイラー 3つのマーケティング 「プロダクトアウト」型の強みを発揮し、ファッション好きに機能訴求した
「プロダクトアウト」型の強みを発揮し、ファッション好きに機能訴求した

LGスタイラーは「プロダクトアウトだからできた」

 LG韓国本社の当時40代の社員(後のCEO、最高経営責任者)が出張中、脱いだYシャツをクローゼットにかけておいたら次の日にきれいな状態になっていたらいいのに、と思いついたところが発想の原点だった。

 そのアイデアを、白物家電を管轄するホーム&アプライアンス事業部で商品化することになった。新事業開発の企画募集をしていたわけでも枠組みがあったわけでもないのにすんなり開発ルートに乗れたのは、企業としての強みや文化が後押しをしたからだと言う。

 「新規性のある良いコンセプトがあれば、社内にある技術や特許を組み合わせて早いスピードでプロダクトアウトできるところが、LGらしさだと思う」と話すのはLGEジャパンのマーケティング統括責任者、宇佐美夕佳さん。洗濯機などで採用されていたスチーム技術と冷蔵庫の高い密閉性を保つ技術を活用し、密閉空間で効率よくスチームを循環させるようにした。その結果、対流スチームとハンガーラックの振動、低温乾燥により、衣類を傷めずシワと臭いを除去し、ウイルス、花粉、ダニを低減させるという機能を持つ衣類ケア家電が誕生した。「クローゼットにかけておくだけで、翌日きれいな状態に仕上がっている」という理想が現実になった。

LGEジャパンのマーケティング統括責任者、宇佐美夕佳さん
LGEジャパンのマーケティング統括責任者、宇佐美夕佳さん

 マーケティングでは、「プロダクトアウトからマーケットインへ」発想を変えることが大切だとずっといわれてきた。それはマーケティングが生まれた歴史や意義を説明する際に、「作った製品を売れば自然と売れる時代ではなくなった。そのため、売れる(人々が欲しいと思う)製品を作るという発想に転換しなければならない」という文脈で語られてきたフレーズだ。もちろん、顧客志向、社会志向の製品作りは重要だが、プロダクトアウトを否定するわけでもないし、どちらか一方に絞る必要もない。

 だから、LGスタイラーが「プロダクトアウトだからできた」という理由には、その製品ならではの開発過程やそれに適した環境があったに違いない。そこには参考になる要素が必ずあるはず。いいケースに巡り合えた?の「キタ!」だった。

 その答えの一つは、テレビ・AV機器をはじめ、生活家電、パソコン・周辺機器など多岐にわたるLGの事業展開にある。全世界の有機ELテレビのほぼ全てにLGの有機ELディスプレーが搭載されていることは有名で、テクノロジーのR&D(研究開発)に強みを持つ。つまり、所有する技術や特許の組み合わせで開発にこぎ着けられるので開発コストが下がる。

 さらに、グローバル市場で展開できるため、ある程度のボリュームを見越して生産効率よく製造販売に踏み切れることが大きい。垂直統合でバリューチェーンの全てを内製しているため、コンセプトを製品やデザインの隅々まで行き渡らせやすく、機動的に商品開発ができる面もある。また、F(first)、U(unique)、N(new)を重視する「FUN経営」をうたっていて、「いち早く」、「唯一」で「新規性」のある商品を提供して、顧客価値を創造していくことに重きを置いている経営ミッションが果たした役割も大きい。これらがそろってこその「プロダクトアウト」の成功だった。

八塩さんが記事のポイントなどを紹介する音声コンテンツも配信。「Voicy(ボイシー)」の「日経クロストレンド音声編集部」で無料配信する
八塩さんが記事のポイントなどを紹介する音声コンテンツも配信。「Voicy(ボイシー)」の「日経クロストレンド音声編集部」で無料配信する

 一方で、マーケットインをおろそかにしているわけではない。まずは、プロダクトアウト、その後に国や局面に合わせてマーケットインを連動させる。

 「新規性の高い商品をプロダクトアウトで世の中に出して、お客様がそこに反応している最中に、マーケットインでニーズを吸い上げ次のモデルに反映させていく。プロダクトアウトとマーケットインの両輪が最も安定的だと考えています」(宇佐美さん)

 同じ商品でも米国と台湾と日本では市場も消費者も全く違うので、それに合わせたカスタマイズや訴求の仕方が必要だ。顧客の声に応える形で、日本向け商品には、部屋を広く見せ、姿見の代わりにもなるミラーモデルや「花粉ケアコース」を搭載した。STPの設定の仕方やコミュニケーションの仕方を「現地化」していく過程にこそ、マーケットインは不可欠だ。

●両輪のマーケティング
LGスタイラーは、プロダクトアウトとマーケットインの両輪でマーケティングを展開したのがポイント
LGスタイラーは、プロダクトアウトとマーケットインの両輪でマーケティングを展開したのがポイント

STPの変更でファッション好きの必須アイテムに

 日本で発売した17年からしばらくは、市場を、年齢や収入などのいわゆる「デモグラフィック要因」でセグメンテーションし、経済的に購買に至りそうなセグメントにターゲットを定めていた。「かけておくだけで衣類のシワ取りや消臭ができる」というUSP(その商品にしかない売り込みポイント)を打ち出し、機能によるポジショニングを行っていた。非常にオーソドックスなSTPと言えるが、イノベーティブな商品に対しカテゴリーニーズを喚起するのは容易ではなかった。

 そこで21年末に、思い切ってSTPをがらっと変更した。「ファッションを愛する人にとっては必須アイテム」という非常にシンプルなメッセージに切り替えて、ファッションに関与の高い人たちに対して、体験イベントを開いたり集中的に雑誌やWEBで広告を投下したりした。すると、今まで見たことがないようなポジティブな反響があった。

 22年は大々的に、モデルの冨永愛さんや俳優の桜田通さんなどにブランドアンバサダーを担ってもらい、使い心地や使う意義を発信してもらうキャンペーンを行った。併せて、社内でこの商品がお客様に提供できる価値とは何だろうということを改めて考え直した。それは、シワや臭いを取るという機能だけではない。表現の一部ともいえるファッションをまるで新品のようによみがえらせてくれて、いつもフレッシュな気分で最高のコンディションの自分にさせてくれる。

 それが、LGスタイラーが提供できる価値だということを再確認し、製品の機能でのポジショニングではなく、顧客から見た価値によるポジショニングに転換した。このメッセージは、アンバサダーのリアルな声に載せて瞬く間に拡散され、ファッションにこだわりのある層から、ファッションに興味のある人へ、そして一般へ購買層が拡大する起爆剤となった。日本国内における「#LGstyler」のSNS(交流サイト)投稿数は、22年、前年比で約7.8倍になったという。

 購買層は30代後半から40代を中心に20代から60代まで幅広い。スタイラーに入れるものは、仕事に着ていくスーツばかりではない。ジーンズだってファストファッションだって、気に入って、長く美しく着たいと思うアイテムは全てスタイラーにお任せ――。そのような新しいライフスタイルが生まれた。

●STPの変更
STPの変更でファッションに関与が高い層に利用が拡大した
STPの変更でファッションに関与が高い層に利用が拡大した

「変なホテル」全室にLGスタイラーを装備

 STPの変更と同時にじわじわと効果を発揮してきたのは、BtoBのアプローチだ。新規性の高い商品、特にスタイラーのような使ってみなければ良さがわからない「経験財」の場合は、商品をトライアルしてもらう場面が絶対的に必要になる。その場づくりはBtoBが担った。スタイラーの長所が十分に発揮できる場所といえば、ホテルだ。なくても困らない高額な商品を購入できるゆとりのある層を想定すると、いわゆる星付きのラグジュアリーホテルを思い浮かべるが、そこは狙わなかった。なぜなら、そうしたホテルにはクリーニング部門が既にあるし、その顧客層なら衣類のケアはプロに委託するだろう。むしろ、スタイラーが狙うべきは、出張先で翌日も同じスーツで仕事に出なければならないビジネスパーソンであり、ビジネスホテルなのだ。

BtoBの需要も伸びている
BtoBの需要も伸びている

 そこで、HISが手がけたロボット接客を売りにしたローコストホテル「変なホテル」の開業のタイミングで、全室にスタイラーを装備してもらうことにした。「変なホテル」を選んで宿泊する顧客は、新し物好き、かつSNS発信好きの家族連れやビジネスパーソンだ。スタイラーを体験してもらうだけでなく、口コミで拡散してくれるという一石二鳥の効果があった。BtoBチームの働きかけで、その他、エステサロンやレストラン、グランピング施設などスタイラーの導入場所は拡大した。

 実際に自分で使ってみたり、口コミに刺激されたりした潜在顧客は、WEB上で展開されているLG提供の動画やアンバサダーによる記事などでしっかり検討し、ほぼ購買意思を固めた上で、量販店の店頭を訪れる。店頭で必要なことは、価格の確認と設置方法の相談のみ、という状態なのだという。

 (1)プロダクトアウト型の強みを発揮、(2)STPの適切な変更、(3)BtoBで価値体験の提供、という3つの施策により、LGスタイラーはヒットした。参考にできそうな鋭いマーケターの視点や、どの企業でも適用できるわけではない固有の要因もある。学生にはマーケティング思考やSTPのいい勉強になりそうだ。

 さて、23年の販売の伸びはいかがだろう。今後は、シューズケア専用モデルも発売される。LGEジャパンが目指す「一家に1台スタイラー」の時代が来るのか。なんてわくわくするケースなのだろう。あぁ、話したくなる。というわけで、この連載は日経クロストレンドが音声番組を配信している「Voicy」でも同時配信いたしますので、そちらもよろしくお願いします!

LGEジャパンの本社にて。米国で開催された「CES2023」では、靴のスタイラーも展示された
LGEジャパンの本社にて。米国で開催された「CES2023」では、靴のスタイラーも展示された
▼「Voicy」での音声配信はこちら 新コンテンツ「八塩圭子の話したくなるマーケティング」  日経クロストレンド連載記事連動で「LGスタイラー」を紹介!

(写真/志田彩香)

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