スマートフォンやパソコンの画面に絶え間なく表示される広告に、嫌悪感を持つ消費者も少なくありません。広告ブロッカーにお金を払ってでも広告を避ける人もいる状況で、果たして従来の「マーケティング」や「広告」に、どのような意味があるのでしょうか? マスターカードを世界的ブランドに押し上げ、『フォーブス』誌の「世界で最も影響があるCMO(最高マーケティング責任者)」の1人にも選ばれたラジャ・ラジャマナー氏による著書『クオンタムマーケティング 「プライスレス」で世界的ブランドを育てたCMOが教える最新マーケティング論』から一部を抜粋し、これからのマーケターやビジネスパーソンが持つべき新しい視点を紹介します。今回は、「消費者行動」をコストをかけずに予測する方法ついて。

日経BOOKプラス 2023年1月12日付の記事を転載
▼関連書籍(クリックで別サイトへ) 『クオンタムマーケティング 「プライスレス」で世界的ブランドを育てたCMOが教える最新マーケティング論』

「行動経済学」は戦略立案に使える

 私はこれから活躍するマーケターには、21の要素が必要だと考えている。そのうち、「科学」について解説している5番目を紹介しよう。

5. 企業の成長をマーケティングで最大化するクオンタムCMOは、マーケティングで現在主流の領域、あるいは最新の領域についても深く理解している。彼らはデータドリブンやパフォーマンスを中心としたマーケティングに精通している。さらに、体験型マーケティングや神経科学を取り入れたマーケティングに関する知見を持っている。そして、それらにも通ずる「行動経済学」を知っている。

 今回は特に、複数の選択肢を前にした消費者は、どのように判断を下しているのだろうか?という疑問にある程度の答えを示してくれたり、マーケターがよりよい戦略を形成したりしていくうえで役立つ「行動経済学」を紹介する。
 

「人の行動理由」を知ればマーケターの武器になる

 行動経済学は新しい学問ではない。1970年代の初頭から研究が行われており、ダニエル・カーネマンやリチャード・セイラーといった先達が優れた業績を挙げてきた。

 端的に言えば、行動経済学は、心理的、感情的、社会的影響といったさまざまな要素が、個人や組織の経済的判断にどう作用するのかを研究している。マーケティングに最も関連性が高い分野の一つであり、その内容も学んでいて大変楽しい。

 私たちは、行動経済学を駆使して、複数の選択肢に直面した消費者が、その意思に反してとる行動を読み解くための方法を探ろうとしている。彼らの判断は、従来の理性的な経済モデルやロジックだけでは説明しきれないものだからだ。

 例えば、なぜ消費者は、経済的な魅力が高い選択肢を提示されているにもかかわらず、魅力の低いほうを選んでしまうことがあるのだろう?

 かなり単純化した例で説明しよう。マーケターが、ある腕時計について、プロモーション割引を含む価格設定に取り組んでいる。一つ目の方法では400ドルと値をつけたうえで10%のディスカウントを設定した。正味の販売価格は360ドルとなる。二つ目の方法では価格を500ドルにまで上げたうえで、20%分をディスカウントすることにした。

 この場合、正味の売価は400ドルで、一つ目の場合と比べれば40ドル高い。さらに、自社商品とまったく同じ機能、品質、ブランド力を持った主要競合ブランドが現在450ドルで売られているとしよう。

 私たちがとるべきアプローチとして、二つのうちどちらがよいだろうか? あるいは、収益を大きくするために競合とまったく同じ値をつければよいだろうか?

 経済的、論理的に考えれば、一つ目の方法をとったほうが、消費者にとっては魅力的なはずだ。そうすることで十分なマーケットシェアを獲得できるし、販売も勢いづくはずではないのか? 

 いや、結論にはまだ早い!

 ここで行動経済学が力を発揮する。人の選択に影響を与える各種の要因同士の相互関係や相互作用を見事に把握するからだ。前記の例においては、500ドルが基準点に置かれると、正味の400ドルは格安価格に見えるので、そのほうがキャンペーンとしては成功したと言えるかもしれない。

 経済学者、ソースティン・ヴェブレンの比較的に古い理論(1899年)からも、価格設定やプロモーション戦略の重要な意味を見て取れる。例えば、ラグジュアリーグッズは、購入者のステータスを誇示する目的で購入され、目立つように陳列される。ヴェブレン効果は、この種の商品では「価格が上がるほど需要も高まる」と教えている。高額のほうが、製品の本質的価値あるいはステータス要素が高まるからだ。これは、古典的なミクロ経済学における、価格と需要は逆相関するという理論とは正反対だ。

ヴェブレン効果は、ラグジュアリーな商品では「価格が上がるほど需要も高まる」と教えている(写真:Shutterstock)
ヴェブレン効果は、ラグジュアリーな商品では「価格が上がるほど需要も高まる」と教えている(写真:Shutterstock)

行動経済学はテストや検証の負担を軽くできる

 心理的、感情的、社会的、文化的要素などのすべての領域から得られるインサイトをまとめると、一見理解不能な行動の裏には個別の合理性があるのだと分かる。つまり、行動経済学は、選択を求められる消費者にかかわる複数のパラメーターの関係や相互関係を理解するための枠組みを提供してくれる。

 マーケターとして、最良の結果につながるプロモーションやキャンペーンの組み立て方を理解しておくことは不可欠だ。また、多くのプロモーションにおいて、実験的手法を用いながらテストと検証を行うことは可能だ。

 しかし、それには多額の費用と長い時間がかかり、また現実的にはすべてのプロモーションでテストを行うことは難しい。リアルタイム・マーケティングを行っている状況であればなおさらだ。

 そこで私たちは行動経済学から、限られたテストや実験の結果に基づいて消費者の選択行動を予測する明確な枠組み、変数、考え方を学ぶ。そして、実際に進めていくにつれて、それらの仮説やモデルをリアルタイムで改善していく。さらに、AIを導入することによって意思決定にいたる経過をより深く理解し、予測の精度を高めていく。

 まとめると、行動経済学はマーケターが持つ消費者行動における疑問に対してある程度の答えを出してくれる。こうした行動経済学の活用は、B2Cマーケティング(企業と消費者のあいだで行われる取引)のみならず、B2Bマーケティング(企業間で行われる取引)においても顕著になってきた。

新時代マーケターは「科学」を使いこなす

 新時代のマーケティングであるクオンタム・マーケティングの考え方の一つは、「アート、テクノロジー、そして科学の力を融合して、消費者の頭と心へ分け入る」というものだ。つまり、私たちは、「消費者がどのように、なぜ、そのように考え、感じ、行動するのか」「どうすれば彼らの選好に影響を与えられるのか」を学ぶ必要がある。

 科学の世界では、大きな進化が続いている。テクノロジーの場合ほど急速にではないかもしれないが、それでもマーケティングに多大な影響を与えている。マーケティングは、つねにいくつもの科学に頼ってきた。心理学、社会学、人類学、数学、他にもある。

 しかし、行動経済学、神経科学(ニューロサイエンス)、知覚科学(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の研究)、そして匿名性の科学などの分野が、従来活用されてきた科学を補完する役割を担いはじめ、マーケティングをまったく新たな次元へと引き上げつつあるのだ。

(訳:三宅康雄)

世界中のビジネススクールで学ばれ、11カ国で翻訳

1人が1日に受ける広告メッセージの数は、平均3000から5000のあいだです。多過ぎる情報の中で、果たして“マーケティング”は本当にいまの消費者に刺さるのでしょうか? 多感覚ブランディングというクオンタム・マーケティングの考え方は、今後マーケターやビジネスパーソンが知っておきたいものです。『フォーブス』誌で「世界で最も影響力のあるCMO(最高マーケティング責任者)」にも選ばれたマスターカードのラジャマナーCMOが、歴史、最新技術、神経科学などから新時代のマーケティングを解説します。世界第一線で活躍するマーケターから「超実践的なマーケティング手法」を学びましょう。

ラジャ・ラジャマナー(著)、三宅康雄(訳)/日経BP/2420円(税込み)
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