私自身はバブル真っただ中の1980年代後半からマーケティングの仕事に従事してきました。その後、バブル崩壊後の90年代中盤に、今でいうところのCRMと出合い、その実行手段としてのFSP(フリークエント・ショッパーズ・プログラム)構築に参画し……その頃には、顧客理解をベースとした売上高・利益の創造が、自身のライフワークになるとは思ってもいませんでした。
振り返るに、経営を学ぶうえではマーケティング以外にも、財務、労務、IT全般など重要項目はありますが、人間を探求する観点から顧客起点経営を追求することが自身のテーマになり、顧客起点経営の追求が企業業績の向上に必須であるとの確信を得ることができました。そして売り上げ&利益を向上させる定石があることをぜひ知っていただきたいと考えたのが本書を上梓した背景です。
テクノロジーの変化や生活者の成熟化によって、顧客の洞察力が高まっています。今後も、分からなかったことが分かるように、できなかったことができるようになっていくでしょう。それでも、人間の本質を理解することで快適な体験を提供する、この根本思想は変わりません。
私は2021年1月より、「QuizKnock」を運営するbaton(バトン、東京・品川)という会社でマネジメントに参画しています。20年12月より個人事業主となり、委託契約の形です。
QuizKnockは、「楽しいから始まる学び」「身の回りのモノ・コトをクイズで理解する」をコンセプトとするメディアです。メディアとしてはYouTubeでの動画配信、自社メディアにおける記事提供、「QuizKnock Games」(クイズノックゲームス)などを展開しています。
既にYouTubeのメインチャンネルの登録者数は177万人、動画再生回数は14億回を超える人気メディアです(数字は21年9月時点)。それでも、6章で触れたビジネスの状況でいえば、まだ「ステージα」の段階です。私自身、ステージαから顧客勘定PDCAサイクルを実施中の立場にあります。
マーケティングモデルとしてはB2Cがメインですので、より多くのユーザー・顧客に見ていただく・読んでいただく・遊んでいただきながら、顧客の維持・育成・獲得を手掛けています。多くのLTV追求型ビジネスと同様です。
一方、ビジネスモデルの観点では、YouTubeであればお金をいただくのは広告費を払ってくれる企業になります。したがって、集客のフックがコンテンツで、売り上げ・利益の回収エンジンが広告収入になります。自社でコンテンツを制作していますので、その意味ではD2C企業の側面もあります。
今までの多くのB2C企業は、顧客に商品を売って対価を都度支払ってもらうのが基本でした。これからの戦略フレームワークには、ビジネスモデルとプラットフォームの2つの概念を入れて考えた方がよいと思います。
ビジネスモデルは、都度課金か定額課金のサブスク型か、あるいはプリンターにおけるインクのようなリカーリングか、フリーの要素を入れるか入れないかなど、しっかり概念設計しておく必要があります。
プラットフォームについては、ビジネス展開の場が自社メディアか他社メディアか、他社メディアであれば無料メディアか有料のメディアか、といったことも考えておく必要があります。ちなみに、QuizKnockの動画コンテンツをマーケティングミックスの構成要素で考えると、商品(Product)は動画コンテンツ、価格(Price)は無料、販路(Place)はネットメディア、広告宣伝(Promotion)は自社メディア、SNS、テレビ出演など。ビジネスモデルは広告収入、プラットフォームはYouTubeになります。
QuizKnockは、従来のリテーラーと何が違って何が同じなのでしょう? 上記の通りビジネスモデルやプラットフォームはだいぶ異なります。それでもB2C業態であり、顧客のLTVを追求するモデルは一緒です。
一方、B2C企業を取り巻く環境についても考えてみましょう。今ご自身が取り組まれている事業のビジネスモデルは、今後も変化の可能性はないか? 「モノからコトへ」「コトから体験へ」の潮流において、既存の提供価値を再考する必要はないか? ターゲティング手法がマス↓属性↓状況へと変化する中、顧客理解や施策は今のままでよいか? 競合環境が複雑化する中、ベンチマーク企業は今のままでよいか。
皆さんにとって、QuizKnockは競合だと思えるでしょうか? 「いやいや、クイズの動画でしょう? 競合ではないよ」という反応が大半かもしれません。私は、少なくともB2C企業であれば、QuizKnockの競合であると考えています。
競合の軸は、「ウォレットシェア」(財布の取り合い)から「タイムシェア」(時間の取り合い)に移っています。QuizKnockのメインターゲットは高校生から大学生、社会人数年目の若者ですが、コロナ禍で外出機会が減っていることから、「自分磨き、内面磨きに時間をかけよう」と視聴するようになった人も少なからずいるようです。コロナ禍という事情が大きいとはいえ、衣料品や化粧品を買い求める時間やお金の使い方が変わったといえます。
何が競合なのか分かりづらい、非常に複雑な時代になっています。ですので、見聞きする話を「これは業界が違う」「自分の勤務先には関係ない」と切り捨てるのではなく、「この部分では競合する」という意識を持つこと。そして若者に人気の商品、メディア、コンテンツは、どんなマーケティングモデル、ビジネスモデルで展開されているのか、参考にしてみようと思う気持ちが非常に重要だと思います。
本章で記した通り、顧客勘定PDCAサイクルのフレームワークは、
- 現状の可視化&基盤整備(顧客勘定の見える化)
- 目標設定(顧客勘定のあるべき姿の設定)
- 目標達成に向けた階段設計(あるべき姿の実現に向けたPDCAサイクル構築)
の3つです。
現状の可視化においては、何はさておき言語化することが重要です。顧客勘定軸で可視化、言語化することが大事な理由は、経営の統制可能範囲を飛躍的に拡大させるからです。
QuizKnockにおいても、「1客単価いくらの顧客を何人にするか」「それによる目標売上高をいくらにするか」を考え、メンバーと共有しました。さらに、仮説の仮説を立てて、ステージ1のシナリオを構築しました。これに基づいて、目標達成に向けた階段設計を進めています。
YouTube配信は、直接ユーザーからお金を徴収していないビジネスです。それでも動画を見ているユーザー・顧客が「1客単価いくらで何人いるか」「これを1客単価いくらで何人にするか」「その間の階段をどのように設計し実行していくか」を構築しています。このようにして顧客勘定PDCAサイクルの推進に取り組んでいます。
記事コンテンツについては、自社サイトで展開していますので、ユーザーが記事を読むうえでのペインポイント、チャンスポイントを探って、小さな改善を積み重ねています。抜本的なリニューアルを実施するうえでの留意ポイントも、状況ターゲティングの考え方で進めています。6章の取り組みは一本道ではないので、できるところからどんどん進めていきましょう。
QuizKnockも含めたLTV追求型ビジネスで変わらないのは、顧客勘定PDCAサイクルのフレームワークであり、人間が顧客であるということです。一方、マーケティングモデル(4P、分析、施策立案、実行レベルの高度化など)やビジネスモデル、プラットフォーム、競合環境はそのときどきで変化していきます。既に新しいモデルが多く出ているとともに、今後もさまざまなモデルが開発されていくと思います。自社でも取り組みができないか、あらゆる可能性を否定しないで考えてみていただければと思います。
私はQuizKnockをあえて「ネオ・リテーラー」(新型小売業)と呼んでいます。これには2つの思いがあります。1つは、QuizKnockのメンバーに対するメッセージです。「顧客に最高の価値を提供し、太く長く活用していただけるように頑張り続けよう」という内容です。2つ目は、私が長く関与してきた小売業の皆さんへのメッセージです。
「今のドメイン、ビジネスモデル、プラットフォームに改善、方針転換の余地はないか? QuizKnockに限らず新たなサービスにヒントがあるかもしれないのでぜひ参考にしてほしい」というものです。
世のLTV追求型ビジネスに取り組んでいる皆さんも私どもも、「温故知新」をガンガン進めていく必要があります。「温故」の1つが顧客勘定PDCAサイクルのフレームワーク。「知新」は新しいアイデアを考えて実践していくことです。私自身も新たな挑戦の場に再び立っています。皆さんと一緒に、ビジネスを通じて素敵な世の中をつくっていきたいと考えております。
本書の執筆に当たり、たくさんの方にご協力いただきました。オイシックス・ラ・大地の奥谷孝司さん、富士フイルム(取材当時)一色昭典さん、ビジョナリーホールディングス川添隆さん、CaTラボ逸見光次郎さん、お忙しい中、快く取材に応じていただきありがとうございました。ビービット藤井保文さん、今、私と一緒に奮闘してくれているQuizKnock伊沢拓司さん、帯へのコメントをいただきありがとうございました。過去、一緒に仕事をさせていただいたビービットカスタマーサクセスチームの皆さん、タワーレコード旧オンライン事業本部の皆さん、数多くのインプットをいただきましたこと、心より御礼申し上げます。そして現在、一緒に仕事をさせていただいており、本書執筆においてさまざまな助言をくださったbatonの衣川洋佑社長、マーケティング部他batonの皆さん、深く感謝しております。本書をまとめるうえでは、その他多くの方々にも大変お世話になりました。本当にありがとうございました。
「情報は発信する人に集まる」「皆さんから色々学びたい」……そんな思いもあり、本書を執筆しました。私の意見、経験のみならず、私が大切にしてきた言葉の引用、また私が出会った方々、言葉なども引用させていただきました。これからもさまざまな方々との出会いに支えられていくことは間違いございません。さまざまな方々と切磋琢磨する中で、顧客勘定PDCAサイクルをさらに昇華させていくことができればと思います。本書をお読みいただいた方に心より御礼申し上げます。
2021年9月
前田徹哉
垣内勇威『デジタルマーケティングの定石なぜマーケターは「成果の出ない施策」を繰り返すのか?』日本実業出版社2020年
鈴木康弘『アマゾンエフェクト!「究極の顧客戦略」に日本企業はどう立ち向かうか』プレジデント社2018年
逸見光次郎『デジタル時代の基礎知識「マーケティング」「顧客ファースト」の時代を生き抜く新しいルール』翔泳社2017年
ジェームス・L・ヘスケット、W・アール・サッサー・JR、レオナード・A・シュレシンジャー『カスタマー・ロイヤルティの経営企業利益を高めるCS戦略』日本経済新聞出版1998年
ジェフリー・ムーア『キャズムハイテクをブレイクさせる「超」マーケティング理論』翔泳社2002年
フレッド・ライクヘルド、ロブ・マーキー『ネット・プロモーター経営〈顧客ロイヤルティ指標NPS〉で「利益ある成長」を実現する』プレジデント社2013年
ドン・ペパーズ、マーサ・ロジャーズ『ONE to ONEマーケティング顧客リレーションシップ戦略』ダイヤモンド社1995年
ブラリアン・ハリガン、ダーメッシュ・シャア『インバウンドマーケティング見込客を引き寄せ、永久顧客にする次世代のマーケティング戦略』すばる舎リンケージ2011年
フィリップ・コトラー、ニール・コトラー『ミュージアム・マーケティング』第一法規2006年
西内啓『統計学が最強の学問である』ダイヤモンド社2013年
奥谷孝司、岩井琢磨『世界最先端のマーケティング顧客とつながる企業のチャネルシフト戦略』日経BP 2018年
武田隆『ソーシャルメディア進化論』ダイヤモンド社2011年
角井亮一『オムニチャネル戦略』日経文庫2015年
マシュー・ディクソン、ニコラス・トーマン、リック・デリシ/神田昌典『おもてなし幻想デジタル時代の顧客満足と収益の関係』実業之日本社2018年
遠藤直紀、武井由紀子『売上につながる「顧客ロイヤルティ戦略」入門』日本実業出版社2015年
宮坂祐『顧客を観よ金融デジタルマーケティングの新標準』金融財政事情研究会2016年
武井則夫『選ばれる理由』現代書林2013年
藤井保文、尾原和啓『アフターデジタルオフラインのない時代に生き残る』日経BP 2019年
藤井保文『アフターデジタル2 UXと自由』日経BP 2020年
クレイトン・M・クリステンセン『ジョブ理論イノベーションを予測可能にする消費のメカニズム』ハーバーコリンズ・ジャパン2017年
朝倉祐介『ファイナンス思考日本企業を蝕む病と、再生の戦略論』ダイヤモンド社2018年
井上大輔『マーケターのように生きろ「あなたが必要だ」と言われ続ける人の思考と行動』東洋経済新報社2021年
佐藤尚之『ファンベース支持され、愛され、長く売れ続けるために』ちくま新書2018年
川添隆『「実店舗+EC」戦略、成功の法則ECエバンジェリストが7人のプロに聞く』翔泳社2018年
クリス・アンダーソン『フリー〈無料〉からお金を生みだす新戦略』NHK出版2009年
ティエン・ツォ、ゲイブ・ワイザート『サブスクリプション「顧客の成功」が収益を生む新時代のビジネスモデル』ダイヤモンド社2018年
P.F.ドラッカー『マネジメント【エッセンシャル版】基本と原則』ダイヤモンド社2001年
QuizKnock『東大発の知識集団QuizKnock オフィシャルブック』クラーケン2018年
江端浩人『マーケティング視点のDX』日経BP 2020年
西口一希『たった一人の分析から事業は成長する実践顧客起点マーケティング』翔泳社2019年
足立光、西口一希『アフターコロナのマーケティング戦略最重要ポイント40』ダイヤモンド社2020年
森岡毅『USJのジェットコースターはなぜ後ろ向きに走ったのか? 』角川書店2014年
森岡毅『USJを劇的に変えた、たった1つの考え方成功を引き寄せるマーケティング入門』角川書店2016年
森岡毅『誰もが人を動かせる! あなたの人生を変えるリーダーシップ革命』日経BP 2020年
野口竜司『管理職はいらないAI時代のシン・キャリア』SB新書2021年
鹿毛康司『「心」が分かるとモノが売れる』日経BP 2021年
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