※日経エンタテインメント! 2022年12月号の記事を再構成
2016年当時、ラジオ界は今ほど活況ではなかった。そんなときにスタートしたのが『星野源のオールナイトニッポン』。22年で7年目に突入したが、星野は17年に「ANN」では初めて「ギャラクシー賞ラジオ部門DJパーソナリティ賞」を受賞するなど、今や“ANNの顔”の1人だ。55周年記念で制作したジングルの話から、人気コーナーへの思い、自ら行ったラジオ改革、そしてラジオに魅了された学生時代の話まで、語り尽くしてもらった。
遊び場みたいな感覚はすごくあります。顔の知らない人と遊んでる場所(笑)。そして、自分がやっているいろいろな活動のハブにもなっている場所。それぞれの活動の宣伝もしますし、それぞれの作品についての感想をみんなが言い合える。そんな場所でもありますね―――。
パーソナリティーを務める自身の『オールナイトニッポン』(以下、ANN)について、こう話すのは星野源。その言葉通り、2016年3月のレギュラー番組スタート以降、音楽活動、俳優業、文筆業と、多彩な活動をする星野ならではの名物企画をいくつも送り出してきた。17年には『ANN』のパーソナリティーとして初めて「ギャラクシー賞ラジオ部門DJパーソナリティ賞」を受賞。番組も7年目に突入し、今ではすっかり『ANN』の顔と呼べる存在となっている。
その星野は“『ANN』代表”として、CM前などに流れる「ジングル」も手掛けている。17年から5年間全番組で使われていたのに続き、2022年10月4日の放送から55周年を記念して新たに制作したものへと切り替わった。ヒップホップの要素の強い曲や、サックスの音色が染みる曲などバラエティ豊かな“新作”は、アルバムを作るような気持ちで臨んだという。
ジングルは時代の鏡。ただ反応は全然ないんです(笑)
ラジオのジングルについては似たようなものがあまりにも多いなぁと感じたことがあったんです。本来ジングルっていうのは、時代の鏡だと思うんです。昔録ってあったラジオ番組を数年ぶりに聴き返すと、今とは違うジングルが流れることで当時の記憶や空気が一瞬にしてよみがえったりするじゃないですか。だから、オリジナリティーもありながら、長く聴かれて愛されるものにしたいなと思って今回も作りました。
5年間一緒のジングルが流れ、もはや空気みたいな感じになっていると思ったので、リスナーを揺さぶり目が覚めるようなものにしたいなと。ラジオって同じことの繰り返しになっていくと衰退していく感覚があるので、『ANN』のイメージを揺さぶって変えていくものにしたかった。自分の音楽のモードも5年前とは大きく変わっているので、それを素直に出せば揺さぶれるようなものになるんじゃないかなという気持ちで作りました。
ただ、正直ジングルに対しての反応って全然ないんですよね(笑)。サブリミナル的にずっと脳に残り続けるものだと思うので、ジングルが変わってからある程度時間がたたないと、「こういう音楽のジングルだったんだ」っていう大事さに気付かないのかなと思ってます。
一方でジングルといえば、リスナーから番組内で使用するものを募集する「ジングルのコーナー」もある。こちらは放送第1回から続く最長寿コーナーだが、毎週、本格的な楽曲からネタソングまで様々な力作が送られてくる。
すごくいい場所になっているなと思います。今でも面白いものから音楽的に素敵なものまで幅広くハイレベルな音源が届くのは、培ってきたものの大きさを感じますね。みんなが驚くようなアイデアを持ち寄ってくれるので、全く飽きないんです。今では誰もが気軽に自作の曲をネットで発表できますが、僕が小さい頃は音楽を発表できる場所は限られていましたし、プロにならないと聴いてもらうことすらできなかった。このコーナーでは、専門的な音楽の知識がなくても、ラジオで自分の音源がかかるって、やっぱりすごいことなんだなって改めて思います。
数週間前には放送で使用するファンファーレを募集する「F-1グランプリ」をやったんですけど、もともと番組のノベルティーだった「ねぶり棒」をテーマにした、声だけの音源が送られてきたんです。本来、広く使えるファンファーレの音源が欲しいのに、焦点が絞られている上に声しか入っていないから使いづらい。でも、そこがめちゃくちゃ面白かった(笑)。僕だったらこれに音楽を付けるなと思い、リスナーに「曲つけてよ」って振ったんです。そうしたら最高な音源が送られてきて、素晴らしいジングルが完成しました。何か思いついて1つ誘導すると、それに対してリスナーがそれぞれの感性で応えてくれて、思ってもみなかったムーブメントが起こる。それって、やることが決まっているラジオだとなかなか起こらないんです。そういうアメーバみたいになれる展開にはパーソナリティーとして幸せを感じますね。
番組スタート当時のラジオは今と違う雰囲気で
こんなふうに、多彩な企画を試せる自由さとリスナーとの濃密な関係性を持つ星野の『ANN』。その幸福な環境は、長年かけて築き上げたものだ。星野が初めて『ANN』に出演したのは、08年の『ANN クリエイターズナイト』という番組で、月1回のペースで数カ月の間、出演が続いた。そこからステップアップを果たし、16年にレギュラー枠を勝ち取った。ただ、当時のラジオ界を取り巻く状況は、今とは大きく違ったという。
08年当時、ニッポン放送にいた方が僕のライブを見て「この人はもしかしたらしゃべれるかもしれない」って思ってくれたみたいで、僕がラジオを好きだってことも知った上でオーディションに呼んでくれたんです。そこで、「10分間ブースで適当に話してください」と言われ、『ANN クリエイターズナイト』の出演が決まりました。
その後、単発で2回ほどパーソナリティーをやらせてもらって、16年にレギュラーのオファーをいただきました。今振り返ると、その時代はラジオ業界全体が割と殺伐としていて…。ニッポン放送の雰囲気も今とは違いましたね。radikoもありましたけど、タイムフリー機能が始まる前だったので、まだラジオを聴いてる人は一部だけという印象でした。
出演者も、本当にラジオが好きな人、もしくはテレビで活躍している人が、ギャラは少ないけど自由な場所として出るという感じ。あと、ラジオ局派閥みたいなものもありました。それはリスナー側にもすごくあって、「この局の番組に出るんだったら、あの局の番組には出るな!」っていうムードが強かったんですよね。
ただ、僕の中ではラジオはそういう狭い世界ではなく、もっと楽しい場所だったので、すごく嫌だなという感覚があって。それに、もともとTBSラジオでやっているバナナマンの『バナナムーンGOLD』に、日村(勇紀)さんの誕生日のタイミングで毎年呼ばれて出ていたので、『ANN』のレギュラーが始まったとはいえ、それは出続けたかった。それでお願いして局同士で話し合ってもらい、結果出られるようになったんです。すごくエポックな出来事でしたね。そこから一気に緊張状態が解け、局派閥みたいなものがどんどん緩和されていった印象があります。今は、レギュラーを違う局で掛け持ちする人もいますけど、それもここ数年のことで、以前は異常事態だったんです。
ラジオはもっといろんな形があっていいと思っていた
番組がスタートすると、前例はないが確信はあるアイデアをぶつけていくことから始めた。それが結果として、生バンドをラジオブース内に呼び込んでのライブ放送へとつながっていった。
他のラジオ番組がやっていないことで、やりたいことがたくさんありました。ただ、レギュラーをやらせてもらうことになったとはいえ、実績もなく期待されていなかったですし、ラジオ業界自体が盛り上がっていなかったので、今思うと気楽だったなと(笑)。ただ、『ANN』は特にパーソナリティーの入れ替わりが激しい場所で、人気が出なかったらすぐ他の方に交代するという印象があったので、しっかりと危機感を持ちながら、自由にラジオへの思いをぶつけようと思っていました。
当時の自分がラジオに感じていたのは、パーソナリティーは違えど、構成が同じようなものが多いなということ。それを「ラジオとはこうあるべき」って自分に要求されたらキツいと思っていました。もっといろいろな形があっていいし、その為には凝り固まったラジオ観を壊さなきゃと。前例がないし、勝算はないんですけど、「これを自分がやったら絶対面白いだろうな」っていうアイデアがたくさんありました。
それがまず形になったのは、16年8月に2時間ぶっ通しライブを初めてやった回で、今でも特に印象に残っています。基本通らない企画なんですけど、無理やり通してもらいました(笑)。狭いブースの中にぎゅうぎゅうにバンドを入れて、それをコーナーではなく2時間生放送でやりきる。僕のライブスタッフを総動員したのでスタッフの人数もすごく多かったですね。番組の終わり方も、「いやあ、良かったですね」って何となくトークをして終わるんじゃなく、ラストの曲が終わるタイミングで綺麗に番組も終わりたかったんです。そうなるよう曲やトークの調整もして、実際エンディング曲の『Friend Ship』の最後でバンッて番組を終えられた。達成感がありましたし、リスナーもたくさんメールを送ってきてくれて、一体感をすごく感じました。自分のラジオの形が1つできた感覚がありました。
『逃げ恥』(『逃げるは恥だが役に立つ』)の放送が始まって、あのドラマがヒットしたことで僕の番組を聴く人数が一気に増え、さらにチャレンジングな企画が通りやすくなったという実感もありましたね。
※後編「“開かれた内輪をさらに広げられる”のがラジオの魅力」に続く
「『ANN』のいいところが全部詰まっているのが星野源さんの番組だと思います。リスナーやスタッフのことを信頼しているからこそ、コーナーや企画が充実しているんだと思いますし、ときにはスタジオに全部楽器を入れてライブも行ったりする。そういう意味では、『ANN』はこうあるべきみたいなところを壊していってるというより、緩く広げていってくれている気がします」(ANNの番組プロデューサーの冨山雄一氏)
(写真/中川容邦 ヘアメイク/廣瀬瑠美)