23年に開催される美術展で、まず見たいのは1月26日からスタートする「レオポルド美術館 エゴン・シーレ展 ウィーンが生んだ若き天才」だ。オーストリア・ウィーンにあるレオポルド美術館は世界有数のエゴン・シーレコレクションを所蔵する。今回はそのシーレコレクションの中から油彩画、素描など合わせて約50点が来日。10代での作品から世界的な評価が高まった25~27歳を経て晩年に至るまで、画業を見通せる構成だ。シーレの作品は、挑発的でグロテスクな画風でありながら、早熟で繊細な感性を感じさせ、見る者を引きつけてやまない。おそらくは世紀末のウィーンでも物議を醸したに違いないその魅力を、彼の画風や影響を与えた人生のトピックから「5つの秘密」を取り上げ読み解いた。
※日経トレンディ2023年1月臨時増刊号より。詳しくは本誌参照

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【秘密1】自画像
自分が何者かを追求し続けた“世紀末のセルフィー”
エゴン・シーレは短い生涯の中で油彩334点、素描2503点の作品を残したが、そのうち約100点が自画像だったという。「自画像」という断わりのない作品の中にも、明らかに自身を描いたと思われるものが多数ある。まさに、“世紀末のセルフィー”だ。
シーレが自画像を描き始めたのは15~16歳の頃。それから晩年に至るまで、あるときは『ほおずきの実のある自画像』のように挑発的な、また別のときは露悪的な、そしてときには自分の世界に籠もったような自画像を描き続けた。
成安造形大学教授の千速敏男さんは、自画像はシーレの自己探求の手段だったのではないかと推測する。「シーレは自らの計り知れない才能を前に、常に恐れおののいていたのではないでしょうか。『背を向けて立つ裸体の男』もそうですが、彼はよく自らの裸体を描いています。それはポルノグラフィーと言うよりも、自分の肉体という器の中に収まり切らない、自分自身でも制御できない自分の才能が何を目指しているのかを問い続けていたからだと思います」

【秘密2】恋人
“糟糠(そうこう)の彼女”をポイ捨て 良家の子女と電撃婚
1911年以降のシーレの作品にしばしば登場するブロンドで青い瞳の女性が、ワリーことワルブルガ・ノイツェルだ。ワリーはグスタフ・クリムトから紹介された絵のモデルで、シーレと恋愛関係となり、二人は4年間にわたり同棲生活を送った。出展作の『悲しみの女』やオーストリア絵画館が所蔵する『死と乙女』など、シーレの代表作と呼ばれる作品にはしばしばワリーの姿が描かれている。ワリーはシーレに献身的に尽くすが、シーレの手ひどい仕打ちで二人は破局を迎える。

その原因となったのが、『縞模様のドレスを着て座るエーディト・シーレ』でぎこちないポーズを取るエーディト・ハルムス。14年にシーレはアトリエの向かいに住む育ちの良さそうなエーディト姉妹に興味を抱いた。15年2月には、妹であるエーディトとの結婚をほのめかす手紙を友人に書き送っている。その年シーレの入隊が決まったことから、シーレはエーディトと兵役に出発する直前に教会で挙式する。その際、シーレはワリーを呼び出し、「これからも毎年夏にはバカンスを共にしよう」という手紙を渡すが、ワリーはそれを拒絶。シーレの下を去って赤十字の看護師となり、17年に従軍先の病院で猩紅(しょうこう)熱により命を落としてしまう。

【秘密3】支援者
その類いまれなる才能でクリムトやベネシュ父子を魅了する
人間的には未熟な部分も目立つシーレだが、その圧倒的な才能は人を引きつけた。中でもグスタフ・クリムトはシーレを高く評価し、自ら手掛ける美術展に出品させたり、有力な画商やパトロンを紹介したりした。「クリムトとシーレは親子ほど年が離れていますが、師弟というより共に戦う同志でした。ウィーン分離派を離れたクリムトは新しいアートシーンを創出するため、自陣に多くの才能ある若手を引き入れる必要がありました。シーレにとっても破天荒な自分のやり方を受け入れてくれるクリムトは、強い尊敬と信頼の対象だったはずです」(千速さん)
シーレはパトロンにも恵まれていた。本展には、豊田市美術館が所蔵する『カール・グリュンヴァルトの肖像』も出展されるが、そのカール・グリュンヴァルトはシーレが兵役に就いていた頃の上官で、退役後は繊維業を営みながらシーレの作品を購入し支援した。シーレにはこうした“上客”が何人かいたが、中でもシーレが10代の頃からの長い支援者がハインリヒ・ベネシュだ。ベネシュの息子のオットーも、後に高名な美術史家となりウィーンのアルベルティーナ美術館の館長を務めた際は、シーレの素描を熱心に収集した。シーレの作品が散逸せずウィーンに多数残っているのは、ベネシュ父子らパトロンの尽力によるところが大きい。

【秘密4】モチーフ
「ヴィジョン」シュルレアリスムに先駆け直感で描く
天才シーレのテクニックで千速さんが高く評価するのは、現代の巨匠パブロ・ピカソにも通じる「線と色の両方をコントロールする力」だという。「自らの情念的なものを色や形、線で表現する際には、普通なら、この線でいいか、対象を左右どちらに寄せるかといったところで迷うものです。しかし、シーレは自分の判断に自信があるから迷いがない。だからピカソ同様に“早描き”で、短い生涯にもかかわらず、多くの作品を残せたのだろうと思います」(千速さん)
シーレは自ら「ヴィジョン」と呼ぶ、自分の直感に基づいた作品制作を行った。千速さんはそれが、「無意識と理性の一致を目指すシュルレアリスムに通じる」と分析する。例えば、下の『装飾的な背景の前に置かれた様式化された花』の紫の葉の奇妙なフォルムは、シュルレアリスム時代のジョアン・ミロの作品を彷彿(ほうふつ)とさせる。

「アンドレ・ブルトンが『シュルレアリスム宣言』を発表したのはシーレが亡くなった6年後の1924年ですが、もしシーレがこのときまで生きていたら、シュルレアリスムのムーブメントにどんなふうに関わったのだろうと、つい想像を膨らませてしまいますね」(千速さん)

【秘密5】死
「死」取り憑いた死神「全ては生きながら死んでいる」
さらに、シーレの作品から強く漂ってくるのが「死」の香りだ。華やかな色彩で人間のエロスを描いたクリムトが「生の画家」だとすれば、陰鬱でペシミズムの色濃いシーレは「死の画家」と言えるだろう。
下の『母と子』は、一般的な聖母子像と明らかに異なる。尋常ならぬ悲しみにくれるマリアとカッと目を見開いたキリストは、あたかも迫りくる死への不安や恐怖に怯えているように見える。『自分を見つめる人Ⅱ(死と男)』の描写はさらに直截的で、シーレと思われる男性の後方から人の形をした死が近づいている。


世紀末のウィーンに生まれ、第一次世界大戦に巻き込まれたシーレは、無意識下で自分の生きる時代が没落の渦中にあると感じていたのかもしれない。
千速さんは、「もちろん時代的な背景もあると思いますが、それ以上に、若くして敬愛する父親を失ったことがシーレの死生観を決定づけたのではないでしょうか」と話す。「シーレは『本質的なものははかないもの』と思っていたのでしょう。クリムトの風景画『樅の森』に触発されてシーレが詠んだ同名の散文詩の中には、『全ては生きながら死んでいる』という一節があります」(千速さん)
場所:東京都美術館
会期:2023年1月26日~4月9日
(アドバイザー/千速 敏男=成安造形大学教授)

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【主な内容】
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●美術界をひっくり返した大事件! ピカソ、ブラックだけじゃない、キュビスムを巻き起こした作家たち
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