井上芳雄です。3月11日に東京芸術劇場プレイハウスで開幕するミュージカル『ジェーン・エア』の稽古に励む毎日です。僕が演じるロチェスターは謎めいていて内面が複雑な男。これまでに演じたことことがないタイプとあって、新たなチャレンジです。音楽でも新たな展開があります。僕が歌うNHKみんなのうた『ぼくは人工衛星』の放送が4~5月に決まりました。明るくポップな曲でとても気に入っています。テレビから流れてくる日が楽しみです。

ミュージカル『ジェーン・エア』は3月11日~4月2日東京・東京芸術劇場プレイハウス、4月7~13日大阪・梅田芸術劇場シアター・ドラマシティにて上演。ジェーン・エア/ヘレン・バーンズ役の上白石萌音とエドワード・フェアファックス・ロチェスター役の井上芳雄
ミュージカル『ジェーン・エア』は3月11日~4月2日東京・東京芸術劇場プレイハウス、4月7~13日大阪・梅田芸術劇場シアター・ドラマシティにて上演。東京千穐楽公演のLIVE配信あり。ジェーン・エア/ヘレン・バーンズ役の上白石萌音とエドワード・フェアファックス・ロチェスター役の井上芳雄(写真提供:東宝演劇部)

 『ジェーン・エア』の原作は、1847年に刊行されたシャーロット・ブロンテの同名長編小説。1800年代ビクトリア朝の英国を舞台に、孤児となった少女ジェーン・エアが、逆境を跳ね返して、自らの道を切り開いて成長していく姿を描きます。ストーリーはこうです。孤児となり、伯母にいじめられて不遇な幼少期を送ったジェーンは、寄宿生としてローウッド学院に入学。そこで、ヘレン・バーンズというかけがえのない友と出会い、「信じて許す」ことを学びます。ところが、ヘレンは病気で亡くなります。成長したジェーンは、家庭教師として訪れたお屋敷で、主人のエドワード・フェアファックス・ロチェスターと出会い、人生が大きく変わることになります……。

 ジェーンをダブルキャストで演じるのは上白石萌音さんと屋比久知奈さん。2人はヘレンもダブルキャストで演じます。演出はミュージカル『レ・ミゼラブル』や『ナイツ・テイル―騎士物語―』、舞台『千と千尋の神隠し』などを手がけた世界的な演出家ジョン・ケアード。彼が自ら脚本を担当して、1996年にカナダで初演。2000年にブロードウェイでロングラン上演して、トニー賞作品賞、主演女優賞など主要5部門にノミネートされました。日本では松たか子さん、橋本さとしさんの主演で2009年と2012年に上演されています。今回はキャストが代わり、新演出版での世界初演となります。

 稽古が始まって、あらためてとても魅力的な作品だと感じています。原作が有名な文芸大作で、ミュージカルとしての醍醐味にあふれていて、ミステリーの要素もあったりして、いろんな見方や楽しみ方ができます。

 まず僕が引かれたのは信仰のドラマであること。英国の話だからキリスト教の考えに基づいているのですが、クリスチャンじゃなくても、心を動かされると思います。ジョンも「テーマは許しだ」と言っていました。虐げられて育ったジェーンは、最初は周りの人たちを憎んでいます。でも友人のヘレンとの出会いによって、人を許すことを学びます。もっと言うと、許さないと生きていけない。とても精神性の高いテーマが含まれていて、僕はそこが心に残りました。

 女性の自立を描いた話として、今に通じる現代性もあります。原作者のシャーロット・ブロンテは女性作家の先駆けで、原作が書かれた当時は、恵まれない生まれ育ちをした女性が自分で人生を切り開いていく話はまだ珍しかったそうです。今も同じ問題を扱った作品がたくさん生まれているので、先進的なテーマでもあるのでしょう。

 ジョンは「自分は強い女性の話がとても好きなんだ」と言っていました。男は愚かで、女性との出会いによって救われて、変わっていく話に引かれるそうです。たしかに、僕が出演したジョンの演出作は『キャンディード』も『ダディ・ロング・レッグズ』も『ナイツ・テイル』も全部そういう話でした。男性より弱い立場にある女性が立ち上がって、人生を切り開いていく話を描くときに、ミュージカルという形態はとても合っているように思います。生きていく上での支えや助けとなるようなテーマを持った作品はミュージカルになりやすい。この『ジェーン・エア』もミュージカルとしての強みというか、魅力をたくさん持っていると思います。

上白石萌音さんと屋比久知奈さん、それぞれの個性

ジェーン・エア/ヘレン・バーンズ役の屋比久知奈とエドワード・フェアファックス・ロチェスター役の井上芳雄
ジェーン・エア/ヘレン・バーンズ役の屋比久知奈とエドワード・フェアファックス・ロチェスター役の井上芳雄(写真提供:東宝演劇部)

 演出のジョン・ケアードと作詞・作曲のポール・ゴードンは、『ダディ・ロング・レッグズ』や『ナイツ・テイル』のコンビ。2人が初めてタッグを組んだのが『ジェーン・エア』だそうです。ポールはミュージカルの作曲家になりたくて、この作品のミュージカル化を熱望しており、それがジョンとの出会いで実現しました。彼の近年の曲は、歌い上げたり、激しかったりすることなく機微を表現するイメージだったのですが、『ジェーン・エア』は違います。ミュージカルの第1作ということもあってか、ダイナミックで歌い上げる歌が多いのです。当時ヒットしていた『レ・ミゼラブル』の影響もあると言っていました。歌うほうは大変で、歌の最後にロングトーンでわーっと伸ばすところが多いので、僕もジェーン役の萌音さんも屋比久さんもくらくらしながら歌っています(笑)。ミュージカルらしいという点で魅力的な曲ばかりです。

 萌音さんと屋比久さんは、稽古場でも仲が良くてずっとしゃべっています。ダブルキャストだから仲良くしたほうがやりやすいだろうし、昨今の若い俳優さんは自然にそうできるのがすごいと思うのですが、そういうのともまた違って、本当の仲良しに見えます。背格好もほとんど一緒だし、シンパシーを感じているみたいに2人で1つのようになって稽古に臨んでいます。

 そんな2人ですが、もちろんそれぞれ違ったジェーンになっています。萌音さんは、菩薩(ぼさつ)のようににじみ出る慈愛というのかな。すべて見透かされて、許されて包まれるみたいな感じが本人の中にあるので、ジェーンの許すところはぴったりです。ヘレンもそうですね。一方でジェーンはとても強い人で、そこにロチェスターは引かれていきます。その強さは萌音さん自身も持っているものでしょうが、それを前面に出す役はあまり見たことがないので、どんなふうに表現されるのか楽しみです。

 屋比久さんは、強さや自分への厳しさをもともと持っているイメージがあります。自然にストイックなので、無理をしているわけではなく、本当にそういう人だという気がします。一方で優しさや慈愛は、萌音さんのようににじみ出る、というよりも全力で相手に捧げ尽くすというイメージ。屋比久さん自身が努力して築き上げてきた道と、ジェーンが自分でつかみ取ってきた人生がリンクして、とても共感して演じているのが伝わってきます。

 とにかくジェーンは、ずっと出ずっぱりでタフな役です。稽古を重ねるにつれて、2人がどんどんジェーンになっていく感じがしています。

 僕が演じるロチェスターは、あまりやったことのない役柄です。謎めいていて、闇があって、弱さもあるけど、それを隠すために強く見せている。そういった部分はこれまで演じてきた役に通ずるところもあるのですが、一方で本当にとても男っぽくて荒々しい面もあります。そこは自分にうまくできるか分からないので、今回のチャレンジ。まさに今、役作りの最中です。

 彼はすごく偏屈で、ジェーンに引かれていることを直接は言わないし、彼女の本心を探るためにとんでもない手段に出たりします。かなりぶっ飛んでいます。それで通し稽古の最初では、内面の闇や弱みを前面に出して、千々に乱れる思いを表現してみました。すると、ジョンには「とても複雑な人間になっているけど、それをあまり見せ過ぎないほうがいいのではないか」と言われました。だとしたら、普通に振る舞おうとするところから漏れ出る弱さが伝わるほうがいいのかもしれません。彼の闇をどの程度のさじ加減で演じるのがよいのか、本番に向けて探っているところです。

 今回は新演出版になり、随所に新しい試みが取り入れられています。大がかりなセットや仕掛けがあるわけではなく、俳優自身の体や小道具などを使ってお客さまに想像してもらう工夫で、ジョンが得意とする演劇的な演出の真骨頂だと思います。音楽スーパーバイザーのブラッド・ハークも来日しているので、音楽のここをカットしようとか付け加えようといったたゆまぬ変更が加えられています。やっぱり作品って生きているんだと思うし、ジョンと一緒にそんな創造の場にいられる喜びを日々感じています。

 そして今この作品を上演する意味も大きいと思っています。昨今は世界中でヘイトクライムやヘイトスピーチが増えたりして、残念なことですが、人を許さない風潮が強くなっているように感じます。生活が苦しかったり、気持ちに余裕がなかったり、長く続いた新型コロナウイルス禍での変化だったりもあるでしょう。そんなときに、この作品を通じて、許すという選択を提示できるのは意味のあること。相手のために許すことも求められているし、同時に自分のために許すことも必要でしょう。相手は変わらないかもしれないけど、自分が先に許すというのは、とても大事な考え方ではないでしょうか。

4~5月はNHK『みんなのうた』に初登場

 僕が歌うNHKみんなのうた『ぼくは人工衛星』の放送が4~5月に決まりました。シンガーソングライターの堂島孝平さんに作詞作曲していただきました。とても明るくてポップな曲です。僕も子どもと一緒に番組をよく見ているので、自分が歌う歌が流れるのはうれしく、新鮮な気持ちです。

 堂島さんは、僕の初めての全曲オリジナルアルバムの中の1曲『Diary』を手がけていただいた方です。以前ちょっとお会いしたことがあって、ご本人はとても明るくて朗らかな方で、ポップな曲調と一緒だなと感じました。

 曲はメロディーが先にあって、いろんな世界のことを堂島さんが歌詞に書いてくれました。最終的に『ぼくは人工衛星』という宇宙がテーマの歌詞になりましたが、全然違う歌詞のバージョンもあって、それぞれがうまくメロディーにはまっているんですね。やっぱりプロの作詞作曲家はすごいなと感心しました。

 独りぼっちで宇宙にいる人工衛星が誰かとつながりたい、でも独りも悪くないんだけど、という歌で、ただ誰かに会いに来てほしいというだけではないところも気に入っています。途中でちょっとセリフっぽく言ってみたりとか、自分なりのテイストも入れながら歌ってみました。自分でも納得の出来上がりになっています。歌手としてまた新しい展開なので、ありがたいことです。放送が始まるのが楽しみです。

『夢をかける』 井上芳雄・著
 ミュージカルを中心に様々な舞台で活躍する一方、歌手やドラマなど多岐にわたるジャンルで活動する井上芳雄のデビュー20周年記念出版。NIKKEI STYLEエンタメ! チャンネルで連載された「井上芳雄 エンタメ通信」を初めて単行本化。2017年7月から20年11月まで約3年半のコラムを「ショー・マスト・ゴー・オン」「ミュージカル」「ストレートプレイ」「歌手」「新ジャンル」「レジェンド」というテーマ別に再構成して、書き下ろしを加えました。特に20年は、コロナ禍で演劇界は大きな打撃を受けました。その逆境のなかでデビュー20周年イヤーを迎えた井上が、何を思い、どんな日々を送り、未来に何を残そうとしているのか。明日への希望や勇気が詰まった1冊です。
2020年12月21日発売/発行:日経BP/発売:日経BPマーケティング/定価2970円(税込み)
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「井上芳雄 エンタメ通信」は毎月第1、第3金曜に掲載。第131回は第4金曜の3月24日(金)の予定です。

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