
神奈川県横須賀市から千葉県富津市まで、300キロメートル超をぐるっと回る環状道路、国道16号線。ショッピングモールや紳士服チェーン、ファミリーレストランなど、ロードサイド店が軒を連ねるこの環状道とその周辺エリアに今、再び熱い視線が注がれている。その理由、経緯と魅力に迫る。
国道16号線が通り抜ける街は1都3県の27市町。その人口を足し上げると実に1100万人を超える。もっとも船橋市のように端っこをかすめて通るだけで、街全体が16号経済圏にあるとは言い難い市もある。一方で我孫子市や流山市のように柏市と商圏を共有していることで、市内に16号線は走っていなくても影響下にある街も存在する。差し引き約1000万人が国道16号経済圏にいるという数字は決して過大ではないだろう。
テレビ東京「ワールドビジネスサテライト」などのビジネス情報番組のみならず、TBS系「マツコの知らない世界」「坂上&指原のつぶれない店」といった情報バラエティー番組でも、このエリアが取り上げられるケースが増えてきた。東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授の柳瀬博一氏が著した書籍『国道16号線 「日本」を創った道』(新潮社)も、2020年11月の発売後、ロングセラーになっている。
16号エリアに再び注目が集まったきっかけは、20年以降の新型コロナウイルス感染拡大に伴うテレワークの浸透。そこから、都心に住む必要性の見直し機運が高まったことにある。21年は東京23区で転出者が転入者を上回る「転出超過」になり、都全体でも例年7~8万人の転入超過が21年は5433人にまで激減。東京からの転出先として16号線エリアの自治体名が挙がったことから、注目度が高まった。
ただし、数字の見方には注意を要する。東京23区で転出超過と聞くと「脱・東京」の大移動が始まったかのような印象を抱くかもしれないが、実際に起きているのは東京からの転出者増を上回る他県からの転入者減だ。つまり、出ていく人は確かに増えてはいるが、それ以上に入ってくる人が減った。すなわち本来、上京するはずだった人がコロナ禍で見合わせた結果である。
ちなみに、緊急事態宣言などの行動制限がなくなった22年は、再び都内への転入が増加中だ。22年1~6月の転入超過人口は累計で約4万人と、コロナ禍前の水準に戻りつつある。
では国道16号ブームは一過性のものかと言えば、それも正しくない。そもそも16号線エリアへの転出は、コロナ禍で急に降って湧いた現象ではなく、コロナ禍以前から起きている。転出の理由は、テレワークの浸透よりもむしろ昨今のマンション価格高騰の影響が大きい。
不動産経済研究所の「首都圏新築分譲マンション市場動向」によると、東京23区のマンション平均価格は、12年の5283万円から21年は8293万円にまで高騰。平米単価は80.1万円から128.2万円へ、9年間で60%も上がった。高収入の共働き夫婦「パワーカップル」がタワーマンションを購入する現象も見られるものの、給与は頭打ち、税負担が高まって物価も上昇基調にある中では、おいそれと手を出せる水準ではなくなった。必然的に都心から同心円状に位置する16号周辺が、都心への通勤にも支障がない居住・購入候補地に浮上する。
住宅価格の推移は、国道16号エリアの浮沈を左右するバロメーターとなっている側面がある。かつて地方から上京してきた団塊の世代は1970年代半ば~80年代前半にかけて16号エリアにマイホームを構え、団塊ジュニアの成長とともに何かと物入りになることが当該エリアの消費を活性化させた。バブル経済崩壊後の90年代、国道16号経済が脚光を浴びたのは、人口の多い団塊ジュニアが高校~大学~若手社会人に当たる時期で、団塊親子が消費の担い手であったことが大きい。
その団塊ジュニアが2000年代に入り、社会人になって数年がたつと、都心通勤圏ではあっても相当数が親元の16号エリアを離れる。地価下落が続き、時代は「都心回帰」「職住隣接」がキーワードだった。団塊親子が生み出した消費パワーはここでピークアウトする。16号線エリア残留組の一部は「マイルドヤンキー」などとも称され、16号線が持つイメージは均質な店舗が立ち並ぶ無機質な空間へと変わっていった。「週刊東洋経済」13年5月11日号の特集「不動産 2極化時代」では、「都心への逆流が始まった」「国道16号線沿いの下落が深刻 広がる都心との格差」といった見出しが躍る。この頃、マンションのショールームが盛況だったのは、豊洲などの湾岸エリアや武蔵小杉の物件だった。
潮目が変わったのは13年9月のこと。
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