
李白酒造(松江市)は1882年(明治15年)創業の老舗酒蔵。1980年代から輸出に向けた取り組みを始め、今や世界14カ国・地域に輸出。最大の海外市場・米国で売れた秘訣は、酒にニックネームを付けたことだった。
「李白」のブランドは、大正、昭和期に2度首相を務めた、現松江市出身の若槻礼次郎が、“酒仙”と呼ばれた中国・唐の詩人、李白にちなんで命名したもの。ラベルの文字も若槻が揮毫(きごう)した。
李白酒造が李白の海外販売に向けた活動を始めたのは1980年代。現社長の5代目蔵元・田中裕一郎氏の父で、先代社長の征二郎氏が、「日本文化の一つである日本酒を世界に広めたい」と、輸出に向け啓発活動などの取り組みを進めた。
最初の輸出先は香港。90年に「香港西武」が設立され、「西武百貨店」(現西武)と取引があった同社に香港輸出への道が開けた。現在、李白は香港のほか米国、中国、シンガポール、オーストラリア、EUなど海外14カ国・地域に輸出している。「コロナ禍で、近年、国内販売が少し落ち、海外売り上げの比重が高まっている。2022年度の年間売上高予想は全体で約3億円。うち海外が約1億5000万円を占める」(田中氏)
クールな響きのニックネーム
輸出先の中で最も売り上げが大きいのは米国で、全輸出額の50%超を占めるという。
米国進出のきっかけは、先代が外国人に日本酒を知ってもらおうと、1999年に仲間の酒蔵十数社と共に「いい酒蔵元会」を組織し、日本酒を海外に紹介するサイト「esake.com」を立ち上げたことだった。
すると、サイトを見た米国の業者からすぐ連絡が入った。しかし、当時はまだ米国で日本酒がメジャーでなかったこともあり、話は頓挫しかかる。が、現在の取引先である、アルゼンチンワインを米国で輸入販売していた「Vin Connections(ワイン・コネクション:以下VC)」が話を引き継ぐことになった。米国は州ごとに酒類販売の法律があり、各州で販売免許を取得する必要があるが、VCは50州それぞれで免許を持つ2次卸業者とパイプがあり、全米での販売の道が開けた。2001年ごろのことだった。
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