マーケター・オブ・ザ・イヤー2022 第5回

「マーケター・オブ・ザ・イヤー2022」の4人目は、驚異的な売れゆきで品薄状態が続く「Yakult(ヤクルト)1000」(宅配用)と「Y1000」(店頭用)のマーケティングをけん引したヤクルト本社業務部企画調査課の金安輝起課長だ。ヒットのキーワードは「密度」。過去最高となる乳酸菌 シロタ株の菌数と菌の密度が「ストレス緩和」と「睡眠の質向上」の機能を果たし、現代人が抱える健康課題にフィットした。「ヤクルトレディ」と店頭で機能を丁寧に説明した高密度の販促が、口コミを生み全国規模の大ヒット商品になった。

ヤクルト本社 業務部 企画調査課 課長の金安輝起氏。2002年、ヤクルト本社に入社。スーパーやコンビニエンスストアの営業担当として、小売店のバイヤーとの交渉や販売拡大に取り組む。11年から業務部企画調査課に配属され、「ジョア」ブランドを中心にマーケティング戦略の立案・推進に携わる。18年から「Yakult1000」「Y1000」のマーケティングの実務を担当し、21年に現職。刀(大阪市)の森岡毅最高経営責任者(CEO)の著書を愛読し、数学的に物事をとらえる思考方法を学んでいる
ヤクルト本社 業務部 企画調査課 課長の金安輝起氏。2002年、ヤクルト本社に入社。スーパーやコンビニエンスストアの営業担当として、小売店のバイヤーとの交渉や販売拡大に取り組む。11年から業務部企画調査課に配属され、「ジョア」ブランドを中心にマーケティング戦略の立案・推進に携わる。18年から「Yakult1000」「Y1000」のマーケティングの実務を担当し、21年に現職。刀(大阪市)の森岡毅最高経営責任者(CEO)の著書を愛読し、数学的に物事をとらえる思考方法を学んでいる
「Yakult1000」(宅配用)と「Y1000」(店頭用)には1ミリリットル当たり10億個の乳酸菌 シロタ株が入っている
「Yakult1000」(宅配用)と「Y1000」(店頭用)には1ミリリットル当たり10億個の乳酸菌 シロタ株が入っている

 良い睡眠はつくれる――Yakult1000とY1000は、ストレスを抱え睡眠時間が短い日本人の悩みにアプローチする新しい市場をつくり出した。「ヤクルトといえば乳酸菌 シロタ株」。こう連想する人は多いかもしれない。だが、「あのヤクルトで私の睡眠が変わるの!?」という驚きは大きかった。多くの消費者が抱える悩みに応える新規性と期待感がヒットを生んだ。

 Yakult1000とY1000には1ミリリットル当たり10億個の乳酸菌 シロタ株が入っている。菌の密度は店頭の定番商品であるNewヤクルトの3倍強だ。試験やプレゼン前など、一時的な精神的ストレスがかかる状況でのストレスを和らげるほか、睡眠の質(眠りの深さとすっきりとした目覚め)を高める機能が報告されている。Yakult1000については実際に医学部生を対象に、進級するのに重要な学術試験の8週間前から飲用してもらい、ストレス緩和や睡眠の質向上に効果があることを裏付けた。

 脳と腸がお互いに密接に影響を及ぼし合うことを「脳腸相関」と呼ぶ。ストレスを感じると腹痛が起き、便意をもよおすなどが分かりやすい脳腸相関の例だ。ヤクルトの研究機関が脳腸相関に注目して研究を進めた結果、乳酸菌 シロタ株がストレス緩和などの機能を果たすには、菌の数だけではなく菌の密度が重要ということが分かった。

 ただ菌を増やせば増やすほど、賞味期限内で生きたまま長持ちさせるのは至難の業だった。また、乳酸菌は自ら乳酸を出すため、多く入れれば入れるほど酸味が増す。味とのバランスを保つために原材料の選定や培養時の温度や時間などを工夫して高菌数、高密度化を目指した。その試行錯誤の結果、2019年10月に菌数が1000億個、菌の密度は1ミリリットル当たり10億個というYakult1000の発売にたどり着いた。それ以前の最高菌数は1999年に発売した「ヤクルト400」。菌数は400億個で密度は1ミリリットル当たり5億個。約20年の時を経て菌の密度は2倍になった。

 ただ、良い商品が必ず売れるとは限らない。金安氏は「商品としてはエビデンスがあるので自信を持っていたが、市場はほぼないようなものだった。本当に売れるのか、不安は常にあった」と話す。というのは、Yakult1000を発売した2019年当初、睡眠にアプローチする飲料の市場はまだ小さく、脳腸相関の考え方も消費者に理解されるかどうかが不透明だったからだ。さらに、自社の技術を結集させたYakult1000の希望小売価格は、ヤクルトシリーズとしては当時最高の130円(100ミリリットル。税別、以下同)。価値を正しく伝えられるかどうかが成否の分かれ目だった。

地域限定で「高密度」に商品の価値を伝えた

 そこで、「まずは限られた地域の宅配で、ヤクルトレディによる丁寧な説明が重要」(金安氏)と判断し、ストレスを抱えるビジネスパーソンが多いとみられる関東1都6県で宅配の商品として展開することにした。ヤクルトレディは1963年から持つ独自の販売ルートだ。宅配員が自宅まで出向き、直接話をしながら新商品の説明をしたり、商品を届けたりする。Yakult1000の効果を正しく伝え、価値を理解してもらうには対面での説明が不可欠だった。

 「ヤクルトレディにも実際に飲用してもらい、その感想や効果を直接説明してもらうようにした。SNSなどネットの情報が過多になっている今だからこそ、顔を知っている信頼できる人からの説明は大きな力になった」。さらに、宅配をメインにしながらも一部の百貨店や高級スーパーで販売し、消費者の間口を広げる工夫をした。店頭であっても担当者を置くなどして、丁寧な説明に力を入れた。いきなり全国展開するのではなく、まずは地域限定で「高密度」に商品の価値を伝えていったのだ。現在、Yakult1000の店頭販売はしていないが、新商品の発売時に宅配と店頭の両方で販促を実施したのは、ヤクルトシリーズでは同商品が初めてだったという。

 こうした草の根の活動は、ネットの力で一気に拡散。効果を実感した人がSNSに投稿し、一部の地域で始めた口コミ作戦による効果は全国に広がった。販売地域も徐々に拡大し、21年4月に全国で宅配を開始。同10月には店頭用のY1000を一気に全国発売した。19年に発売したYakult1000の22年4~6月の販売数は1日当たり157万本、Y1000は1日当たり29万本の大ヒットとなった。

 両商品はストレスを抱えやすい30~50代のビジネスパーソンをターゲットに設定。これまでヤクルトの商品は全世代をターゲットに作られてはいたものの、「なんとなく子供の飲み物というイメージをもたれていた」(金安氏)。そこで働き盛りの層にアプローチするため、パッケージや味わいも工夫した。

 パッケージはメタリックで光沢感のある赤色を採用したほか、機能の説明を前面で目立つよう訴求するなど大人向けのデザインにした。味わいも従来より甘さを抑えてすっきりとした口当たりに。一方で、働く人々を満たす飲み応えを出すためにYakult1000は100ミリリットル、Y1000は110ミリリットルと、Newヤクルト(65ミリリットル)よりも量を増やした。

 価格設定も工夫。Newヤクルトの希望小売価格は1本40円だが、Yakult1000が1本130円、Y1000は1本150円と、機能に見合う高付加価値商品に位置づけた。一方で6~7本パックにした際の価格を税込みで900円台と1000円以下におさめ、続けて買って効果を実感してもらいやすくした。

 CMでは各界のプロフェッショナルに登場してもらい、仕事で大切にしていることや信念を語ってもらった。歌手のMISIAに「今こそ心の栄養が必要」、力士の貴景勝に「睡眠が稽古のうち」と語ってもらうなど、第一線で活躍するプロフェッショナルにビジネスパーソンが共感できるつくりにした。

 品薄の状態は今も続くが、Yakult1000は秋に、Y1000は年内に生産体制を増強する計画。23年3月期の販売計画はYakult1000が1日当たり145万本から180万本、Y1000は1日当たり31万本から41万本に上方修正した。両者がけん引し、23年3月期のヤクルト本社の連結純利益は過去最高となる見通しだ。

マーケターとして大切にしている“3カ条”

 商品の新規性とそれを着実に伝えていった高密度のマーケティングがヒットのポイントだった。ただ、当時は小さかった「睡眠を改善する飲料」という市場に着目できたのはなぜか。そこには「『健康課題を解決して社会の役に立ちたい』という昔から変わらない思いがあった」(金安氏)という。それを理解するには時計の針を一度、約90年前に戻す必要がある。

 ヤクルトが初めて発売されたのが1935年。ヤクルトの創始者で医学博士でもある代田稔氏は当時、衛生状態の悪さから感染症で命を落とす子供たちがいる日本の現実に危機感を抱いていた。「栄養を吸収するのは腸。病原菌が暴れるのも腸。つまり腸を丈夫にすることが健康につながるのではないか」という問題意識の中で研究を続け、腸の中の悪い菌を抑える乳酸菌を発見し、強化培養することに成功した。それが乳酸菌 シロタ株だった。

 社内では「予防医学」「健腸長寿」「誰もが手に入れられる価格で」の3つが“代田イズム”として浸透している。その根底には金安氏が話した「人々の健康課題を解決したい」という思いがある。現代の日本は衛生状態や栄養状態の悪かった当時とは異なるが、ストレスを抱え睡眠に悩む人が多いという新たな健康課題に直面している。確かにYakult1000とY1000はストレスを軽減して睡眠の質を向上するという新規性のある商品だ。だが、その元になる考え方は最初にヤクルトが発売された1935年から変わっていない。

 「顧客視点を持つこと」「多様な視点を持つこと」「目的と手段を間違えないこと」――。これは今、金安氏がマーケターとして大切にしている3カ条だ。顧客視点によって健康課題を把握し、多様な視点で柔軟なマーケティングにつなげる。そして「健康課題の解決」というパーパス(企業としての存在意義)を見失わないこと。この3カ条がYakult1000とY1000のヒットにつながったと言える。

「『健康課題を解決して社会の役に立ちたい』という昔から変わらない思いがあった」と金安氏
「『健康課題を解決して社会の役に立ちたい』という昔から変わらない思いがあった」と金安氏
審査員コメント

鹿毛 康司氏
かげこうじ事務所代表・クリエイティブディレクター
ヤクルトレディという「インフルエンサー」を使った丁寧な販促や、乳酸菌 シロタ株の機能性といった「ヤクルトイズム」を生かしたことを評価したい。宅配で培った人と人のつながりによる販促と、パッケージの分かりやすさがかけ算になり、店頭でもヒット商品となった。SNSで拡散すればいいという単純な手法に走るのではなく、自社の強みやブランドを生かすという、世の中が忘れかけていたマーケティングの本質を突いている。

音部大輔氏
クー・マーケティング・カンパニー代表取締役
販促活動自体は新しいものではないかもしれないが、乳酸菌飲料による睡眠の質向上を訴求することで、「いい乳酸菌飲料」という製品カテゴリーを再創造しつつ、「いい睡眠」というベネフィット市場も再創造した。腸に働きかける基本機能を通して、健康に関わる多面的なベネフィットを提供してきたブランドだからこそ、日本人の睡眠が短いという現代的な問題にアプローチする意義深い商品を開発できたのだろう。

(写真/岡田真)

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