毎年6月に南仏カンヌで開催される「カンヌライオンズ 国際クリエイティビティ・フェスティバル(Cannes Lions International Festival of Creativity)」。世界最大規模の広告・コミュニケーションフェスティバルで、全29部門のアワードに、毎年2万点を超えるエントリーが集まる。3年ぶりの現地開催となった2022年、「Brand Experience&Activation Lions」部門の審査委員長を務めた電通の佐々木康晴氏が、「カンヌがインサイトをどう捉えたか」というテーマで語った。※この連載は、日本マーケティング協会が主催するセミナー「JMAインサイトユニバーシティ」との共同企画です。
佐々木康晴氏 インサイトには、広い意味合いがあり捉え方が文脈によって異なります。私は、インサイトは「人を動かすための大きなエネルギー源」と捉えています。社会状況が変化する中、誰しも表には出てこない“もやもや”が心にあり、それが行動のトリガーになります。今回はカンヌライオンズのエントリー作品を事例として、インサイトをどう掘り当ててスポットを当てているのか、さらに事例を踏まえて見えてきたトレンドについてお話しします。
私はカンヌライオンズは、単なる広告祭ではなく、ブランドと社会の変革の祭典として捉えています。新しい表現、面白いアイデアというだけでなく、ブランドが中長期的に成長し、社会をどう変えるのかという表現が評価されています。クリエイターだけでなく、マーケターはもちろん経営者も無関心ではいられない祭典になりました。
2022年はポスト・パンデミックのクリエイティビティが見えた年でもありました。日本はまだパンデミックが終わっていない雰囲気がありますが、世界は終わったこととして、ブランドも次のステージを目指していると感じました。新型コロナウイルスの感染拡大が終わってブランドは何ができるのか、コロナで変わった人をどう動かすのかが問われていて、結果が出始めています。
ここで、社会に変化を起こしたポイントを改めて整理してみると、環境問題の深刻化(気候変動、環境汚染)、社会・人の分断(政治、経済、差別など)、COVID-19が挙げられます。
そして、人々の変化としても次の3つのポイントがあります。1つは、リアル・デジタルをシームレスに往来するようになったこと。パンデミックで、人々は学校や会社に通えなくなり、なかば強制的にデジタルツールを使って、社会に参加することになりました。その結果、デジタルツールを使った発信、情報の収集が定着し、デジタルの方が意見を言いやすい、社会に参加しやすい、いろいろなことができると感じた人も多かったと思います。
2つ目は、自助と利他です。大きな災害が発生したときは国ですら助けてくれないことがあり、「自分のことは自分で守る」という自助の気持ち、同時に若い世代を中心に自分が生まれた意義としての「世の中のために何かをしたい」という利他の気持ちが強くなりました。
3つ目が主権が個人に戻ったこと。これは、自分のデータの管理が個人に委ねられるようになったことを指しています。自分のデータをむやみに渡さず、どのブランドを選んで渡すのか、付き合うのかを選ぶようになりました。
こうした社会と人々の変化から、インサイトも変わっています。そのインサイトを捉えて、ブランドが成長し、社会を変革させ、人々もメリットを得られるという事例を中心に紹介し、それぞれの事例の「イシュー」「インサイト」「トレンド」をひもといていきます。
英国の歴史は正しかったのか?
私が審査委員長を担当した「Brand Experience&Activation Lions」には、多様で面白い事例がたくさん集まりました。
1つ目に紹介するのが、デジタルメディア「VICE(ヴァイス)」が異なる視点のジャーナリズムの新しいニュースメディアを立ち上げたときのキャンペーン「The Unfiltered History Tour」です。これは、大英博物館の展示品の多くが、過去に他国から略奪された美術品であることをテーマにしており、InstagramのAR(拡張現実)フィルターと没入型オーディオを組み合わせて、参加者に文化財の違法な持ち出し行為があることを伝えるツアーです。これは英国で大いに話題になったキャンペーンでした。
イシュー(課題や論点)として、英国にブレグジット(Brexit)や政治不信など国内外の問題がありました。インサイトとして、英国の若者たちが、自分たちの歴史に疑問を持ち始めていることがあります。植民地支配は正しかったのかというもやもやにイシューが重なり、英国人としての自信が持てなくなる一方、デジタルによって過去を振り返りやすく、自分たちの意見を発信しやすくなったということもあります。InstagramのARフィルターそのものは新しい技術ではありませんが、この企画には英国が抱えるイシューと若者のインサイトがあったことで、話題になって広がっていったと思います。
この事例から見えるトレンドが「Essential Disruption(本質的な破壊)」です。多くの企業が、本質的な変革を探っていたと思います。新型コロナウイルス、戦争、環境問題など難しい社会状況が重なり、「ちょっと便利」「ちょっとお得」「ちょっと面白い」では、人がついてこなくなりました。それでは世の中は変わらないということを見切ってしまっているので、その企業やブランドらしい方法で本質的な社会変革を目指す施策が求められています。この事例では、単に話題になるだけではなく、歴史観を変えるようないろいろな視点を持つことの重要性を伝え、変革が求められていることが表現されていました。
ステイホームを楽しむアイデア
2つ目の事例はコロナビールの施策「Plastic Fishing Tournament」です。プラスチックごみは、海洋汚染の問題として漁業関係者を悩ませています。しかし、漁師は日々の生活に精いっぱいでその問題に取り組むことができません。そこで、コロナビールが「プラスチックフィッシング」というプラスチックを収集する大会を全世界で開催しました。漁師は収集したプラスチックの量に対して報酬をもらうことができます。
イシューは海洋ごみの増加や海洋資源の減少です。漁師たちのインサイトは、環境問題はなんとかしたいが、生活のためにはそれどころではなく、自分だけがごみを集めても変わらないということです。コロナビールは太陽の下で楽しくビールを飲むことを目指しており、そのためには環境を守り海をきれいにする必要があります。そこで海洋資源減少という課題に直面している漁師を巻き込みました。最初はイベントとして開催しましたが、後々はサステナブル(持続可能)な活動として、魚が取れないときはプラスチックを収集すれば稼げるような仕組みを構築しました。
トレンドは「Togetherness」です。この事例のようにデジタルで発信力、行動力が強化されたユーザーの力を堂々と借りて、ブランドのパーパスを体現する、共創するというものが多くありました。
3つ目はクッキー「オレオ」の楽しい事例です。買ってきたお菓子を家に置いていたらいつの間にか子どもが食べてしまった、ということがありますよね。そこでオレオはパッケージの半分程度を広告スペースにし、一見オレオとは分からないような見た目にして、子どもに見つからないようにするというキャンペーンを実施しました。冷凍野菜のパッケージのようにして冷凍庫に隠す、Tシャツのふりをしてクローゼットに隠すなど、様々な企業がこのキャンペーンに協力しています。
イシューとしては、ステイホームによる閉塞感があります。インサイトとして、家族の時間が増えて良い面もある一方、少し窮屈で息が詰まるということがありました。子どもも大人もつらいという環境で、どうやったら家の中で楽しめるか、ブランドを好きになってもらえるかを考えた企画です。
トレンドは、「Fun & Positive」。ずっと我慢してきたからそろそろ気持ちを解放したい、動き始めたいというインサイトを、ポジティブな体験に作用させる作品がたくさん見られました。
社会課題の解決を通してブランドを成長させる
4つ目は、女性のためのマイクロローンサービス「Data Tienda」をメキシコで提供するWE Capitalの事例です。メキシコの女性は、信用情報がないためにローン申請が通らず、自分でビジネスを始めたり、大きくしたりすることができないといわれています。しかし、彼女たちは日々の生活の中で、近所の店舗で“ツケ”で商品を購入し、後から代金を支払うということを行っています。Data Tiendaでは、小売店の店主の帳簿に彼女たちの信用情報があると考えました。ローン申請をする女性は、アプリを使って普段利用している5つの店舗名を入力します。入力された店舗の店主はアプリから、その人の支払い履歴を入力します。WE Capitalは、その情報を見てローン審査を行い、女性たちへの融資判断をします。すでに1万3000人以上の信用情報が、5万店の店舗の協力により作成されました。
イシューは、女性の社会進出の困難、貧困、インフラ不足などがメキシコにあることです。女性たちのインサイトは、自分には能力、意欲があるが、それを金融機関に伝えることができない。理解者がいればうまくいくはず、ということです。そこで、「女性の理解者は普段の支払いのやり取りをしている店舗だ」ということを発見し、ローン審査を可能にしたのです。
トレンドは「Technology to Empower People(人に力を与えるテクノロジー)」です。テクノロジーそのもので社会変革を起こすのではなく、テクノロジーで人を動かし、その人が社会変革を起こすのです。この事例は、ハイテクではありません。スマートフォンで店舗の店主に情報を入力してもらうだけですが、それが女性たちのエンパワーメントにつながる。テクノロジーで人を動かしていることが分かります。
5つ目の事例は、オーガニックビール「Pure Gold」のメーカー、Michelob ULTRAの「Contract for Change」です。米国では、オーガニック商品が人気で多くの農家が有機栽培農業に転換したいと思っています。しかし、農業に求められているのは品質よりも速さ。従来の農業から有機栽培に転換するには約3年というそれなりの年月がかかりますし、転換後に取引先があるとは限りません。そのため、なかなかオーガニックの生産が伸びません。
そこでMichelob ULTRAでは、3年後の契約を保証するだけでなく転換する3年間の収入源の補償も行い、有機栽培の教育も行うプログラムを「変化のための契約」として展開しました。この契約をした農家は、安心してオーガニックの生産を開始できます。
イシューは、オーガニックを求める市場と現実との乖離(かいり)です。農家のインサイトは、効率主義の農業から逃れられず、長期的な変革をする余裕がない。しかし農家の矜持(きょうじ)として「いいものを作りたい」と考えているということです。そこで、有機栽培への転換を支援するプログラムによって、ブランドは有機栽培が増えて成長できる、農家は変革できる、ユーザーはおいしいビールが飲めるという三方よしの状況をつくりました。
トレンドは、「Creativity for Growth」です。クリエイティビティーを短期的な面白さ、アイデアの強さに使うのではなく、長期的なブランド成長や変革のために使うサステナブルな事例がありました。
改めてトレンドを整理してみると、次のようになります。
- Essential Disruption:人々が求める本質的な変革とブランド成長の両立
- Togetherness:ユーザーの力を堂々と借りて一緒に
- Fun & Positive:楽しく前向きに人を動かす。感情に深く作用する
- Technology to Empower People:人々に力を与えるテクノロジー
- Creativity for Growth:ブランドを成長させるクリエイティビティー
企業の成長と社会の変革を起こすために、人々のインサイトが「共創原動力」として使われています。ブランドは、ブランド哲学によって、ブランド体験、商品体験、社会参加体験に一貫性を持たせる必要があります。ユーザーとの共創を進めるには、インサイトを理解し、みんなが参加したい体験を提供することになります。それができると、ユーザーは深い共感を持ち、商品の購入につながり、最終的にファン化することができるのです。
グローバルでは、ブランド、人々、社会をつなぐ次の実践フェーズに入っています。その点では、日本は1~2年遅れていると言わざるを得ません。今、改めて強いクリエイティビティーを持って人々を動かす、社会を変革する必要があります。その原動力となるのが人々のインサイトなのです。