進研ゼミこどもちゃれんじなどの通信教育、学習塾や英語教室などの教育系事業に加え、介護施設、介護人材事業など、介護系事業も大きな柱となっているベネッセホールディングス。同社では、インサイトをDX(デジタルトランスフォーメーション)にどう生かしているのか、各種事例とともに、DXの背景にあるディスラプター(破壊的企業)の存在について、ベネッセコーポレーション専務執行役員 CDXO(Chief DX Officer)兼 Digital Innovation Partners本部長の橋本英知氏が語った。※この連載は、日本マーケティング協会が主催するセミナー「JMAインサイトユニバーシティ」との共同企画です。
橋本英知氏 我々は通信教育講座「進研ゼミ」の事業を展開していますが、データ活用により、この解約率を下げることに成功しています。通信教育という特性から考えると解約に至るきっかけがいくつかあり、ここに注目しました。
1つは塾や学校と違って、先生が生徒を直接見守ることができないこと。子どもが自ら学習に取り組まねばならないので、1人で続けることが難しく、あきらめて解約してしまいます。
2つ目は、教材を使うのは子どもですが、お金を支払うのは親ということ。そのため使用感について親と子でギャップが生まれることがあります。親が忙しければ、子どもの学習状況を常に見ていることはできません。そのため、親の立場から見ると「うちの子は教材を使っていない。毎月、教材がたまるし、続けてもしょうがないのでやめよう」と考えがちです。親のインサイトとしては「教材があればもっと頑張ってくれると期待したのに、うちの子には向いていなかった」ということです。
このケースの場合は、解約の受け付けをするコールセンターのオペレーターとのコミュニケーションでそのギャップを埋めることができます。進研ゼミの教材はデジタル化が進んでおり、利用状況や学習の進捗がデータで可視化されるようになっています。コールセンターでは、会員の情報を特定できるようになっており、オペレーターがその場でお子さんの利用状況を確認しながら、学習法の提案などを行えます。
例えばオペレーターが利用状況から「今月はあまり利用されなかったようですが、先月まではかなり教材に取り組まれていました。今月は何かあったのですか」と問えば、親は自分よりもオペレーターのほうが子どもの状況を把握していることに驚きます。さらに、これまでの利用状況に応じた学習アドバイスをすれば、「さぼっているように見えたけれども先月はきちんと学習していた。アドバイスを生かせばまた勉強してくれるかな」と親の気持ちも変わります。
デジタル化で学習状況を取得できるようになる前は、オペレーターは解約の電話を受けても引き留める根拠がないため、自信を持ったコミュニケーションができませんでした。コールセンターにデータを共有するソリューションをつくったことで、オペレーターが親のインサイトを推し量ってコミュニケーションできるようになり、解約率の削減につなげることができました。
次に紹介するのは、我々が展開している介護施設での事例です。最近の介護施設では、室内に見守りカメラを設置して、入居者の容体を把握したり、適切なサービスが行われているかをチェックしているところも増えてきました。これらは安心な半面、24時間監視されているようにも感じ、入居者にとって心地よいものではありません。これが介護施設でのユーザーインサイトです。
そこで機械が監視をするのではなく、人間が提供するサービスの品質を高められないかと考えました。参考にしたのは、優秀な介護スタッフの動き方や観点です。
ベネッセには約1万人の介護スタッフがいます。その中には、知識と経験が豊富で、はたから見ると「第六感が使えるんじゃないか」「○○さん、マジ神!」と思ってしまうほど、相手に応じた適切なケアを提供できる介護の匠がいます。そこで、我々は高い専門性を持つ介護スタッフを「マジ神」と認定する社内資格制度を設けています。
普通のスタッフも“マジ神”のようになれないか。そう考えて開発を進めているのが、センサーデータとAI(人工知能)を活用した「マジ神AIソリューション」です。
“マジ神”スタッフのノウハウでサービス向上
例えば、夜間の見回り。そうした業務でもマジ神と普通のスタッフでは、入居者の睡眠状態や気分など、気がつく内容に差があります。そこで排せつセンサーや睡眠センサーを使って、入居者の状態をデータで記録しています。マジ神がそのデータから実際にケアを見直す際のノウハウを考察。それをAIの教師データとしています。
AIの予測を活用することで、全スタッフのオペレーションレベルを上げ、結果として入居者のQOL(生活の質)を上げていくことを目指しています。マジ神のノウハウがサービスの品質向上につながっているのです。
施設介護は、人の生死に関わる緊張感のある職場で、離職率が高いことも課題です。データが蓄積されAIが予測を出してくれることで、普通のスタッフもそれを参考に対応できます。一つひとつの判断をサポートする仕組みでスタッフを支え、心労を少なからず減らすことも期待しています。
センサーによる仕組みがあることは、入居者やその家族にとっては施設選択時の期待値につながり、入居率の向上にもつながっています。ハイテクで機械化された近未来的なサービスをうたう施設よりも、人による温かいサービスがあって、裏側で機械が動いて判断の精度を上げているというほうが、居心地がよさそうに人は思うようです。「最新技術は求めるけれど、サービスは人にしてもらいたい」というインサイトに答えたサービスになっていると思います。
なぜDXが必要なのか
通信教育や介護にとどまらず、ベネッセではさまざまな分野でDXを推進しています。なぜ、ベネッセでDXを進めるのか、その理由の一つがあらゆる市場でディスラプション(破壊的イノベーション)が起こっていることです。UberやSpotifyの例を出すまでもなく、ある事業領域に新しいプレーヤーが入ってきて、これまでのビジネスモデルを壊し、新しい価値を生み出していくということは、あらゆる業界で起こっています。我々の事業領域でも影響を受けるようなディスラプターが登場しているので、それに対応できる組織に変革していかなければなりません。
しかし、企業組織が大きくなるほど、既存事業や成功体験などを守るため、ビジネスモデルの改善はできても、破壊的イノベーションを実現することは困難です。そこでベネッセでは、事業フェーズに合わせたDX推進を行い、ある組織で成功した戦略を全社展開するという方針をとっています。
事業フェーズは、今の事業をデジタル化して品質や生産性を上げる「デジタルシフト」、オンラインとオフラインを組み合わせ、企業の方法論にとらわれずお客様本位でサービスを提供する「インテグレーション」、そしてビジネスモデルを変えていく「ディスラプション」の3つに分けています。社内にDXを推進するチームを設置し、事業横断で推進できるように支援する態勢を作りました。
ベネッセでは、事業分野のディスラプターは常にウオッチしており、注目するプレーヤーとはコミュニケーションを通じて状況などを共有しています。競合視するというよりも、協業、共創、連携を重視しており、ファンド「Digital Innovation Fund(DIF)」も設立しました。事業の延長とは別枠で出資したパートナーと思い切った取り組みを可能にしています。
また、組織のDX対応力を向上させるためのさまざまな取り組みも行っています。同時に社内システム基盤を強化し、社員の成長、リスキリング(学び直し)、柔軟なシステム開発などが可能な体制を整えています。
ベネッセという社名は、「よく生きる」という意味で、人の成長、営みなどライフステージの課題を解決するための事業を展開しています。事業革新のためには、インサイトを踏まえたDXが必要です。我々は今後もさまざまな挑戦をしていきます。