「インサイトとは何か」「インサイトフルな人材になる条件」などをテーマに解説してきた本連載。第5回では、インサイトを取得するための方法論やアプローチに焦点を当てる。炭酸飲料をはじめ、お茶、コーヒー、水などの飲料から、最近はアルコール飲料の提供も開始した日本コカ・コーラ。飲料を飲む契機・瞬間=「ドリンキング・モーメント」には、生活者自身が意識していないニーズであるインサイトが隠れているという。日本コカ・コーラマーケティング本部ヒューマン・インサイツ・リードの小林康二氏が同社で行っている新商品、サービス開発におけるインサイト理解のためのアプローチについて語った。※この連載は、日本マーケティング協会が主催するセミナー「JMAインサイトユニバーシティ」との共同企画です。

生活者のインサイトを見つけ出し、商品やサービスの開発にいかに生かすか。日本コカ・コーラでも日々、さまざまな調査や検証を行っています。そこで我々が使っているのが「DIG」という、インサイト理解のためのフレームワークです。D(Discover)は探索的に機会を発見するための活動、I(Ideate/Innovate)は課題に対しての解決方法を考える活動、G(Go to Market)は市場導入に向けて成功確率を高めるための活動を指しています。これらの頭文字を取った「DIG」は「掘る」という意味も持ち、生活者の深層心理を文字通り掘り下げていくフレームワークとして活用しています。
飲料を購入する人は、あらかじめ欲しい商品を決めて店に行くというよりも、店に入って棚の前でほんの2~3秒考えて購入を決めることがほとんどです。購入した理由は明確に意識していないので、インタビューをしてもたいていは「店にあったから」「安かったから」といった表層的な答えしか返ってきません。これではブランドを意図的に選択しているのか、愛着があるのかは見えてこないので、さまざまな手法を取りながら深層心理をあぶり出していきます。では、我々がDIGフレームワークでどのようなことをしているのか。具体的に紹介していきましょう。
DIGフレームワークの「D(Discover)」は、インサイトを探索的に探すためのアプローチ。商品開発に入る前に生活者のニーズを探索的に探すフェーズで、図のように3つに分けられます。
まず重要なのが「中長期経営戦略」です。経営戦略にインパクトがあり、意思決定に関わるインサイトの調査を行います。行動変容は、人々の行動がどう変わるかを調査するものです。新型コロナウイルス禍ではさまざまな人々の行動変容が起こりましたが、それは飲料でも同様です。生活者のトレンドを捉えるために、同じ人にコロナ禍に入った直後、長期化したときなどの気持ちの変化を聞くといった定点調査を行いました。市場構造分析は、市場そのものを世帯浸透率、1人あたりの購入頻度/購入金額などの要素に分解して調査し、まだ取り切れていない機会を探索するアプローチです。
さらにドリンキング・モーメント(飲料に接する機会)について、タイミング、オケージョン、モチベーションなどを組み合わせて、会社あるいはブランドとしてチャンスがあるか分析しています。その他、生活、心理といったセグメントに分けて生活者理解を深めたり、獲得ユーザー数などターゲット目標を決めたりします。
真ん中のブロックにある「インサイト・ワークショップ」では、先の中長期経営戦略の調査から出てきた機会やチャネルなどを深掘りするための活動をします。広告代理店、インフルエンサー、専門家、NPOや教育機関の方など、さまざまな方に話を聞いてインスピレーションをもらうセッションを行ったり、非競合企業の実務者にご協力いただき、開発秘話をお伺いしたりしてインサイトを得ています。生活者以外の人に話を聞くことでも、さまざまなインサイトを得られます。
なお、図にある「エクストリーム・ユーザー」とは、極度のブランドラバー(愛好者)や大量購入者などを指しています。通常の調査では、“はずれ値”として除外されるものですが、将来的にニーズが高まったときのオピニオンリーダーになりえる人として話を聞くことも行っています。
シニア層のインサイトを理解するため、81歳でiPhone用アプリを開発するなど、プログラミングを独学で身につけ活躍されている若宮正子さんを講師としてお招きしてお話を伺ったこともあります。自らプログラミング教室を開いたり、講演をしたりといった活動のお話を聞き、大いに刺激になりました。若宮さんのような方が増えていけばシニアの世界が変わっていくのではないか、そもそも「シニア」という呼び方がおかしいのではないかという気付きが得られ、我々では「ゴールデンジェネレーション」と呼び方を変えることにしました。日本コカ・コーラにとっては、ゴールデンジェネレーションは未踏エリア。新しい可能性が開けそうです。
ちなみに、シニア向けの商品を「シニア向け」と銘打っても、気持ちも体も元気な彼らは自分自身をシニアと思っていないので手に取りません。シニア専属にするのではなく、幅広いターゲットの中の1シーンに彼らがいると捉えて、商品開発だけでなくコミュニケーションエッセンスとしています。
例えば、ゴールデンジェネレーションの方の話を聞いていたら「お正月をあと何回迎えられるか分からない」という発言がありました。新年に家族が集まる場はとても重要なドリンキング・モーメントです。そうした気持ちをくみ取ったうえで、タッチポイントやコミュニケーション、トンマナ(トーン・アンド・マナー)を作れるかを考えていくことになります。
DIGフレームワークの「D」の最後が「カテゴリーおよびチャネルインサイト」です。製品は炭酸飲料、お茶など種類によってカテゴリーに分けられます。カテゴリーごとに、質的調査をしながらインサイトを発見していきます。ドリンキング・モーメントにひもづくマイクロモーメントの調査、エスノグラフィー、ジョブ理論、行動経済学のフレームワークを使って行動変容を起こす要素の調査などを行っています。
コロナ前の調査になりますが、スポーツ飲料「アクエリアス」の調査の一環として、一般のランナーが集うランニングクラブにコンタクトして、一緒に走らせてもらい、走る前、中、後の話を聞くことがありました。アクエリアスがフルマラソンの給水場にあったことを思い出す人もいれば、「アクエリがあるから走れる」という人もいました。コンテキストに落とし込むことで、ビビットな思い出や感情が見えてきました。
成功率の高いアイデアを得るための活動
DIGフレームワークの「I(Ideate/Innovation)」は、アイデアやイノベーションのためのフェーズで、大きく次の3つに分けられます。
「イノベーション科学」では、市場で成功するための原理原則を把握します。これまでの実績から市場に受け入れられるとき、受け入れられないときをパターン化して、成功のための要件を見つけ、その成功要件を市場導入前の調査時の基準とします。何をもって成功とするのかを客観的に把握するための活動です。
世の中の変化やその兆候に気付き、アイデアや発想につなげるため、トレンドの観測、外部有識者の講演、社内のアイディエーションなどを行う場は「イノベーション・オープン・スタジオ」と名付けています。マーケティング部門だけでなく、R&D、ストラテジーなど、さまざまな部門とチームを組んでアイディエーションを行っています。
「アイデア選定」では、出てきたアイデアに対して量的調査を行い、生活者のフィードバックを得ています。イノベーション科学で出てきた成功要件をベンチマークとして入れながら、それを上回れるかを調査します。また、各国のコカ・コーラ社で成功したアイデアは「アイデアバンク」に登録してあり、その中から日本に合うものを探すこともあります。一方、既存のサービスや商品に合致しないアイデアは枠にはめずに別の判断基準を設けるようにしています。
量的な調査と質的な調査の結果がせめぎあいになることもあります。例えば、ごく一部の人が取り入れている飲み方があるが、一般的な人は受け入れ率が低かったとします。この結果だけを見て、アイデアを捨ててしまうのではなく、先進的な人、アーリーアダプターだけを集めたパネルで分析を深掘りしてみます。一定の割合で受け入れられるようであれば、そのアイデアは捨てずにとっておいて、機会を見計らう可能性もあります。
投入前、投入後の調査で確度を高める
DIGフレームワークの最後の「G(Go to Market)」は、市場導入に向けて成功精度を高めるフェーズです。1つが「商品開発調査」で、コンセプトや製品の調査、ユーステスト、価格調査、FMOT(First Moment Of Truth、買い物顧客が店頭で購買を決める瞬間)調査などを行います。FMOT調査では、買い物顧客が店頭で見つけられる視認性があるか、手に取ってもらえるかといった行動の調査を行います。
「コミュニケーション開発調査」では、市場導入前のクリエイティブアセットを調査して、量的、質的にコミュニケーションの伝わりやすさを評価します。CMの調査では、シーンごとに視聴者の表情解析を行い、感情を動かせるようにクリエイティブをブラッシュアップします。そしてローンチしたあとの調査が「市場導入後調査」です。想定どおりにいっているかどうかを、生活者パネルデータ、小売店POSデータ、トラッキング調査、ソーシャルリスニングなどを活用して評価します。
アジャイル開発で市場導入を早める取り組みも
新商品開発においては、開発の進捗ごとにマネジメントチームの承認ステージを用意して、承認されたものだけが次のフェーズに進むような、レビューシステムやゲートシステムを採用している会社が多いでしょう。このやり方は、いろいろな人の意見を取り入れることで成功確率が高まるというメリットがありますが、マーケットに出すのが遅くなってしまうというデメリットもあります。
日本コカ・コーラでは、選ばれたアイデアについては、社内のレビューを通さずに一気に市場に投入するアジャイルアプローチも取り入れており、R&D(研究開発)、マーケティングなど複数の部門のメンバーでプロジェクト化しています。まず、プロトタイプを作って生活者に試してもらい、フィードバックを得て作り直して、市場への導入を準備します。新ジャンルのフリーズドライ飲料のキューブ型ドリンク「1,2, CUBE(ワン・ツー・キューブ)」は、このアプローチから生まれた製品です。生活者としては、「いつでもどこでもかんたんに作れる」「持ち運べる」「環境にやさしい」といった便益があります。
こうしたアジャイルアプローチを適用するアイデアを選ぶ方法の1つとして、社内の「パッションポイント」を評価することがあります。1人10億円の予算を持っていると仮定して、20~30個のアイデアコンセプトのうち、どれにいくらを投資するかを考えてもらうのです。その結果から、情熱を持って取り組む人が多いアイデアをプロジェクト化します。
このように、日本コカ・コーラでは、「DIG」フレームワークを使い、3つのフェーズでそれぞれの目的にあわせてインサイト調査を行っています。時には「1,2, CUBE」のようにアジャイルアプローチで商品開発を行うことも重要です。こうしたことがみなさんのインサイト理解のヒントになれば幸いです。