「消費者が自覚できていない欲求」であると説明される「インサイト」。しかし、慶応義塾大学商学部の清水聰教授によれば、「我々の学会には、ユーザーインサイトという概念はない」と言う。脳波や視線などを客観的なデータとして捉え、企業との共同研究を行っている清水教授が、最先端の消費者理解研究の現場で行われているさまざまな調査方法を紹介する。※この連載は、日本マーケティング協会が主催するセミナー「JMAインサイトユニバーシティ」との共同企画です。

 今回の講義のタイトルは「マーケティングにおける消費者/ユーザーインサイト」ですが、実は我々がいる学会などには「ユーザーインサイト」という概念がないんです。もちろん、ビジネスの現場にいる方々が使っているキーワードだということは知っていますが、研究者向けの論文やサイトを調べてみてもユーザーインサイトという言葉を使っているものはほとんどありませんでした。

 では、ユーザーインサイトとは何か。デコム(東京・千代田)社長の大松孝弘さんにいろいろと聞いてみると、「消費者が自覚できていない欲求」「無意識、または意識しているけれどできていないこと」であると言います。そう考えると、我々マーケティング研究者の中にも「ライフスタイル(行動に影響するような価値観)」や「高次の目標」などユーザーインサイトに似た概念はいくつかあることに気付きました。そこで、今回は研究者の立場から、そうした消費者理解研究の現場で使われているデータ収集の方法として「質問調査系」「観察データ系」の2つについて紹介したいと思います。

 まず、質問調査系ですが、これは昔からある消費者アンケートから、最近ですとテキストマイニングまでさまざまです。一番古いのはおそらく「ライフスタイル分析」。年齢や職業などのデモグラフィック要因が同じでも、行動(購買)が異なる場合は多々ありますが、その理由を人の価値観(ライフスタイル)に求める手法です。例えば、5段階、または7段階で回答してもらう調査を作って因子分析します。この分析の結果が、消費者が潜在的に持つライフスタイル、すなわちインサイトなのだと思います。

 ご存じのように、こうしたライフスタイル分析はマーケティング領域では高い効果があります。ただ、アンケート調査にはいくつか欠点もあります。1つはアンケート設計に作成者の仮説が入ってしまう可能性があるということ。もう1つは被験者がアンケート慣れしており、質問者の意図をくみ取って回答してしまうことがあるということです。調査すれば答えは出るけれども、アンケート調査はリスクがあります。出てきた結果についての解釈は注意したほうがいいと思います。

 もう1つの質問調査系の手法が「ラダリング法による目標階層」。インタビューをして、「それはどうしてですか?」という階段(Ladder、ラダー)を上るように質問を繰り返し、その人の根源にある本質を知る方法です。

 目標を聞かれると、たいていの人は“中目標”を言います。例えば「大学に入りたい」という目標は中目標で、「なぜ大学に入りたいのか」というような質問を繰り返し、その先にある「国際的に活躍したい」「弁護士になりたい」というような高次の目標を聞き出していきます。その奥にあるものが、その人が持っている本当の目標=インサイトになるわけです。

 あるスポーツクラブで利用者のラダリング法による調査を実施したことがあります。入会する人に目標を聞くと、多くの人が「体重を落とす」と答えます。そこでなぜ体重を落としたいのかをさらに聞いてみると、「しなやかな体になりたい」と「体への負担を減らしたい」と大きく2つに分かれました。これが、「体重を落とす」という目標の先にある「高次の目標」です。しなやかな体になりたいという目標は「肯定的な高次の目標」であり、これはその人の価値観であるライススタイルに近いということも分かっています。

なぜ「体重を落としたい」のか。スポーツクラブに入会する目標を深掘りするとさまざまなことが見えてくる
なぜ「体重を落としたい」のか。スポーツクラブに入会する目標を深掘りするとさまざまなことが見えてくる(写真/Shutterstock)
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 個人のユニークな視点を明らかにできるラダリング法ですが、被験者の深層心理を引き出せるかは、実はモデレーターの能力にも依存します。モデレーターの能力が高くないと被験者の心の奥底まで入っていけない。そのため、サンプル数を多く集められないということが課題ではあります。その他に、最近ではネットやSNS(交流サイト)に書き込まれた情報を分析する「テキストマイニング」による調査もよく行われています。

脳波や視線から分かる“本心”

 観察データ系で一番よく使われるのがPOS(販売時点情報管理)に代表されるような購買履歴データですね。個人の購買履歴を見ると、その人の動向が見えてくる。例えば、インタビューでは「新製品をいつも買ってます!」と答えるような人でも、購買履歴を見ると実はロングセラーブランドばかり買っているというようなことが分かったりします。最近は、レシートを撮影する家計簿アプリやキャッシュレス決済のデータも購買行動の調査に使われています。また、スマートフォンにはGPSが入っていますので、スマホで決済すると行動履歴や購買履歴、アカウントデータ、アンケートデータからインサイトを分析できます。

 研究の一環でキャッシュレス決済の購買データを分析してみたことがあります。利用する店舗、購買する商品や頻度、利用日時などを見ていくと、年代、性別、地域などのデモグラフィックデータでは分からなかった個人のライフスタイルが浮かび上がってきます。

 GPSデータと決済データで、銀座のどのあたりでどんな購買行動があるのかを分析したこともあります。例えば、銀座1丁目周辺にいる人は情報感度が高い人が多くアンテナショップなどを利用する。GINZA SIX(ギンザ シックス)付近にいる人は銀座だけでなく、他の街の新しいスポットにも行く。歌舞伎座付近にいる人は歌舞伎にお金を使ってすぐに帰る、というように滞在する場所によって購買行動が異なり、銀座はさまざまな目的で訪れる人がいることが分かったのは大きな発見でした。

 今後期待される観察手法として、視線を検知するアイカメラや脳波があります。アンケート調査の課題として被験者が調査の意図をくみ取って回答してしまうことを挙げましたが、アイカメラや脳波は嘘がつけない客観的なデータを収集できることが特徴です。

 例えば、買いたいものがあって店舗に入った人の目の動きを追ってみると、欲しい物がある棚を探すときは、棚全体を見て判断します。棚の前に立ち止まった後は、棚全体ではなく商品同士を比較します。棚に近づいていく時と立ち止まった時で、異なる目の動きをしているので、インサイトも違っていることがうかがえます。

コンパクトなセンサーを使えば、買い物をしているときの視線や脳波を測定することもできる
コンパクトなセンサーを使えば、買い物をしているときの視線や脳波を測定することもできる(写真/Shutterstock)
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 最近では、装置がシンプルになったので、普段の生活における脳波の調査もできるようになりました。テレビを見ている場合、興味のない番組の合間にCMが流れても脳波の反応は低いままですが、興味のある番組のときは、その興奮状態がCMの時間にもつながっていて「広告を見ている」状態であることが分かりました。

 ウェブサイトを閲覧している人の脳波を調べてみたこともあります。アンケート調査などで「企業のSDGs活動に関心があります」と答えた人でも、企業のウェブサイトの商品の間にSDGs(持続可能な開発目標)の取り組みの情報を入れると、脳波のストレス値が高くなったこともありました。「SDGsに関心が高い」というアンケートでの意見が、深層心理から言っているのかは分からないということです。

 学術的な目的での消費者行動研究においては、長期的なデータのほうが客観性が高く、消費者の癖を発見できると考えられています。同時に、アイカメラや脳波の測定は短期的であっても客観的なデータを得られますし、最近では長期にわたって測定・収集できるようなウエアラブル端末も登場しています。脳波や視線など客観的なデータを時系列で捉えられるようになれば、インサイト研究はより進化していくと思います。