※日経エンタテインメント! 2022年5月号の記事を再構成
ここにきて若者や海外から大きく注目されている80年代日本のエンタメ。様々なクロスオーバーが起こり、カオスで、猥雑で、エキサイティングだったこの時代に何が起きていたのか。アイドルもアニメも音楽も…思えばここから始まった“日本のエンタメの青春時代”について、日経エンタテインメント!誌上で20年間「テレビ証券」を連載し、先日『黄金の6年間』を上梓したメディアプランナーの指南役が解説する。

●ディーラー
指南役
「テレビ証券」の創設者。本座談を取り仕切る。「黄金の6年間」も提唱
●トレーダー
草場滋 黄金の6年間では「1981年」推し
津田真一 『ザ・ベストテン』地上波再放送希望
小田朋隆 ホンダシティの新車が出れば買う
指南役 日経エンタテインメント!2020年7月号以来、約2年ぶりに「テレビ証券」復活です。
小田 連載終了したのに号外とはこれいかに?(笑)。
津田 終了後もたびたび、スペシャルを放送した『ザ・ベストテン』みたいなもん(笑)。
草場 そうそう、その『ベストテン』をはじめ、かつてエンタメが最も輝いた時代を検証した僕らの単行本が発売されたんだよね。
指南役 『黄金の6年間 1978-1983 ~素晴らしきエンタメ青春時代』です。今日はその6年間の動きについてお三方に解説していただきます。
【78 → 79年】「黄金の6年間」は『ザ・ベストテン』から始まった

小田 まずは「黄金の6年間」の定義から。今につながるエンタメの様々な原点が、1978年から83年の6年間に生まれたと…。
草場 例えば、タモリ・ビートたけし・明石家さんまのビッグ3は、黄金の6年間にブレイクして、今もテレビ界の重鎮だもんね。
津田 文学界では、毎年「ノーベル文学賞」が噂される村上春樹サンもそう。デビューは79年。
小田 音楽界では、重鎮サザンオールスターズのデビューが78年。『ザ・ベストテン』初登場時の桑田佳祐サンの「目立ちたがりの芸人でーす!」は歴史的名言(笑)。
草場 なぜ、黄金の6年間の起点が70年代後半かというと、75年のベトナム戦争終結で世の中の空気感がガラッと変わったから。
津田 雑誌『POPEYE』の創刊が76年、映画『スター・ウォーズ』の全米公開が77年…。
草場 要は、かつてのラブ&ピースに代表される“思想”の重しが取れて、人々が軽やかに歩き出した。それが、78年から始まる「黄金の6年間」だったと(笑)。
小田 その幕開けを飾るのが、78年1月にTBSでスタートした『ザ・ベストテン』。それ以前の音楽番組は、プロデューサーの裁量で出場者を選んでたけど、『ベストテン』は音楽番組史上初めて、“今はやってる曲”を市場のランキングに基づいて発表した。
津田 結果、初回放送で大スター山口百恵が11位で出演を逃し、4位の中島みゆきサンがレコーディングを理由に出場辞退と、いきなり出鼻をくじかれた(笑)。
小田 初っ端から司会の久米宏サンと黒柳徹子サンが頭を下げる異例の事態。でも、それがお茶の間には逆に「正直だ」と映り、瞬く間に人気番組になるんだよね。
指南役 翌79年はどうでしょう。
草場 ずばり、アニメ界の“奇跡の年”でした。『ドラえもん』と『機動戦士ガンダム』のテレビ放映が始まり、映画『銀河鉄道999』が封切られ、配給収入1位に。
津田 日本映画史上初めてアニメがトップを取ったんだよね。あと、映画『ルパン三世 カリオストロの城』もこの年。奇跡や(笑)。
【80 → 81年】思想から感性へ。もはや言葉を必要としなかったYMO

指南役 80年代に進みましょう。やはり、フジテレビの覚醒が大きいでしょうか。
草場 80年6月にフジの事実上のトップに、“ジュニア”こと鹿内春雄副社長が就いて、9年ぶりに「制作局」を復活。これで社内の士気が上がりました。
津田 で、翌年「楽しくなければテレビじゃない」のフレーズが生まれる(笑)。文字通り、フジのあらゆる番組がバラエティ化…。
小田 その流れは現代につながってる。今や、どの局もフジが敷いた路線の延長線上にある。あのNHKですら、ドキュメンタリーにお笑い芸人を起用する時代。
指南役 音楽界はどうでしょう。
小田 80年の松田聖子サンのデビューでアイドルビジネスが一変しましたね。
草場 70年代アイドルって、女子小中学生のニッチな市場だったもんね。それを性別や年齢を越えて広く愛されるビッグマーケットに変えたのは聖子サンの功績。
津田 アイドルが財津和夫サンや大滝詠一サン、ユーミン(松任谷由実)といったシンガーソングライターたちの楽曲を歌う流れを作ったのも彼女。
草場 あと、80年と言えば、前年(79年)に海外で脚光を浴びて、暮れに凱旋帰国したYMOの存在も外せないか。
津田 細野晴臣・坂本龍一・高橋幸宏の伝説の座組。もはや彼らは言葉を必要としなかった。
小田 それがシティポップの進化形、テクノポップたるゆえん。
草場 そもそもシティポップ自体、もはや思想はないもんね。かつてのフォークの呪縛から解き放たれた圧倒的な自由があった(笑)。
小田 そんな空気感から生まれたシティポップの名盤が、81年発売の大滝詠一サンの『A LONG VACATION』と。
草場 そして同年、ソニーが大ヒットした2代目ウォークマンを発売。いよいよシティポップを街に持ち出して聴く時代が到来。
津田 で、ホンダから「シティ」が発売されたのも81年と(笑)。

【82 → 83年】本・映画・広告・音楽のメディアミックス、角川商法の全盛期

指南役 81年末公開の映画『セーラー服と機関銃』で、空前の薬師丸ひろ子ブームが到来します。
小田 それまでの本・映画・広告のメディアミックスに加えて、主演女優が同名主題歌も歌って、これまた大ヒット。
草場 しかし、当の本人は大学受験で休業に入り、世間は飢餓感からさらにブームに拍車が(笑)。
津田 82年、角川はポスト薬師丸ひろ子を狙って、新人女優のオーディションを開催するんだよね。そこで優勝したのが渡辺典子サンで、特別賞が原田知世サン。
小田 知世サンは角川春樹社長が強引にねじ込んだんだよね(笑)。
草場 まぁ、合議制よりも、誰か1人の強烈な思いがスターを作る説は本当かもね。
津田 実際、翌83年に復帰した薬師丸ひろ子サンの映画『探偵物語』の併映で、知世サンの『時をかける少女』も公開され、2作とも主題歌も含めて大ヒット。
小田 まさに角川商法全盛期。
指南役 83年には東京ディズニーランドも開園します。
小田 ある意味、エンタメの完成形とも。これをもって、黄金の6年間もひと区切り。
草場 結局、黄金の6年間って、過渡期の魅力だったんだよね。「明日は今日とは違う何かを見つけるかもしれない」という…。
津田 人生、振り返って面白いのは、分別のある大人より、感性のまま行動した青春時代だもんね。
指南役 エンタメの青春時代、それが黄金の6年間だったと。
(2022年3月19日 テレビ証券社食にて)
指南役・著
発売日:2022年 3月23日(水)
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