東京と大阪で第2次世界大戦後の日本を代表する前衛美術の3つの大規模な展覧会が開催されている。今では世界的に高く評価されている戦後日本の前衛美術。敗戦の混乱期を経て、新しい時代のために、新しい芸術表現を求めた、前衛美術のエネルギーに触れられる貴重な機会だ。
※日経トレンディ2022年1月臨時増刊号より。詳しくは本誌参照

今、世界的に高い評価を受ける草間彌生。1950年代から米ニューヨークや日本で作品を発表してきた前衛芸術家だ。草間は絵画や立体作品にとどまらずハプニングなどのパフォーマンスを行い、1950年代から国内で個展を開催するなどの活動を始め、1957年渡米。前衛芸術の最前線を疾走した。この時期、草間以外の日本の芸術家たちも、戦後の混乱期を経て新しいアートを生み出そうとするエネルギーを発散させ、多彩で斬新なアートを試みていた。
日本の前衛芸術、特に戦後のそれが世界的な美術史の視点から再評価されるようになり、80年代後半からフランスやアメリカで、日本の前衛芸術に関する大きな展覧会が開催された。西洋美術をキャッチアップするだけではなく、日本固有の文化背景から新たな美術を切り開いていることが、世界の注目を集めたのだ。
そんな日本の前衛芸術のエネルギーに触れる展覧会がこの秋はめじろ押しだ。
“人がやらないこと”で関西から世界を目指した若者たちのエネルギー
2022年2月に開館した大阪中之島美術館と隣接する国立国際美術館の2館共同で開催される企画展が「すべて未知の世界へ ― GUTAI 文化と統合」(22年10月22日~23年1月9日)だ。GUTAIとは、具体美術協会の略称「具体」を指し、今や海外でも認知されているワードになった。「世界にわれわれの精神が自由であるという証を具体的に提示しよう」という理念から1954年に兵庫県芦屋市で結成された美術家集団である。
リーダーは大阪の油脂メーカーの跡継ぎで、美術家でもあった吉原治良だ。吉原の「人のやらないことをやれ」の言葉に集った若きアーティストたちはそれぞれの独自表現を突き詰める。太鼓張りにした紙を打ち破る行為を作品とした村上三郎や、ロープにぶら下がり絵の具を足で伸ばして描いた白髪一雄、電球・管球が点灯する服をまとった田中敦子など。既存の美術の流れを断ち切り、新たな表現を志向した作品の数々は、西欧のダダにも比され、パフォーマンスやアクションのはしりと捉えられる。
「吉原は大阪でいう“ぼん”。独学で油彩を習得し、早くから海外の美術雑誌などを直接入手していました。その紹介や研究を通した活動は、前衛の学校のようなもので、当初から日本ではなく、欧米を意識していたのです」(関西大学教授・平井章一氏)
フランスの批評家ミシェル・タピエからの評価を機に海外進出を果たし、大阪・中之島にあった蔵を改装した展示施設「グタイピナコテカ」から、世界へGUTAIを発信した。「若い作家たちも知恵を絞っていましたが、吉原の美学に沿わないものは厳しく排除されました。吉原あってこその具体という側面も強かった」(平井氏)。吉原の強いリーダーシップにけん引されていた活動は、72年の彼の死後、解散となった。
第2次世界大戦の敗戦から10年近くを経て、立ち直った若者たちのエネルギーの爆発が具体の原点にある。「50年代という時代性と関西という地の風土、彼らの“自由”の表現を、まず楽しんでほしい」(平井氏)
「具体芸術協会の解散後50年となる節目の年に、後半期の活動拠点となった中之島での初めての展覧会。大阪中之島美術館では『分化』というテーマで個々の制作のありようを検証し、国立国際美術館では絵画という規範をいかに解体し再構築したかの傾向を見いだす『統合』のテーマで、新たな『具体』像を構築したい」(大阪中之島美術館 主任学芸員・國井綾氏)
代表的なメンバーだけでなく、約40人の作家の作品が集結している。



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