20世紀初頭、中央集権的なフランスとは異なり、ドイツには美術の中心地が各地にあった。2つの大戦によってドイツを起点とする20世紀美術の軌跡は途切れかけたが、それを現代へとつなぐ役割の一端を担ったのがドイツ人のコレクターたちだった。現在、国立新美術館(東京・港区)で開催中の「ルートヴィヒ美術館展 20世紀美術の軌跡ー市民が創った珠玉のコレクション」(2022年6月29日~9月26日)では、約150点の出展作品を通して多面的な広がりを見せた20世紀美術の軌跡をたどりつつ、コレクターたちが果たした役割を学べる。

※日経トレンディ2022年1月臨時増刊号より。詳しくは本誌参照

 展覧会の第1章は「ドイツ・モダニズム──新たな芸術表現を求めて」から始まる。20世紀前半、美術の中心はどこよりもパリだった──。そう考えている人は多いのではないだろうか。ところが、「印象派も含め、当時のフランス前衛美術をいち早く紹介し、個人のみならず公立美術館がコレクションに加えたのはドイツでした。また、多くのロシアや中央ヨーロッパの作家たちは、パリではなく、国際芸術都市として栄えたミュンヘンに向かったのです」と京都国立近代美術館副館長兼学芸課長・池田祐子氏は指摘する。

 そうした証左の一つが、同地における年鑑誌『青騎士(デア・ブラウエ・ライター)』の刊行。描く対象の客観的表現ではなく、主観的表現を打ち出したドイツ表現主義を代表する活動で、ロシア出身のワシリー・カンディンスキーが、ドイツ人のフランツ・マルクと共に、1911年から構想し翌年出版。その名を冠した展覧会も開催された。

20世紀初めのドイツには美術の震源地が複数存在した
20世紀初めのドイツには美術の震源地が複数存在した
ワシリー・カンディンスキー『白いストローク』
ワシリー・カンディンスキー『白いストローク』
1920年/油彩・キャンバス /Museum Ludwig, Köln / Cologne, ML 10003.(Photo:(c)Rheinisches Bildarchiv Köln, rba_d056273_01)/こぎ船とオールなど具象的なモチーフを基に構成した画面をブーメランのような白いストロークが横切り、不穏な空気感と詩情が同居する

 抽象絵画で先駆者の一人であるカンディンスキーは、画家を目指してミュンヘンで学び、音楽が聴く人の心に影響を与えるように、色や形が見る人に心理的な効果を与える絵画を志したと言われる。理論書『芸術における精神的なもの』などを著しつつ、叙情的な抽象絵画の世界を開いた。第一次世界大戦が勃発し、1914年にいったんロシアに戻り、革命政府の文化行政に携わるが、孤立。1921年に再びドイツに戻り、美術や芸術の総合教育機関バウハウスで教鞭を執った。

 カンディンスキーと共に「青騎士」のグループで活動したマルク、その妻マリアの優品も見られる。

 ドイツ表現主義の動向としてはこれに先駆け、1905年にドレスデンで「ブリュッケ(橋)」というグループも誕生していた。同グループは、ドイツの植民地であったオセアニアの美術などに影響を受け、自然と人間の触れあいを重視した作品を生み出した。「ブリュッケ(橋)」の中心メンバーであったエルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー、エーリヒ・ヘッケルなどの代表的な作品も展示されている。

エルンスト・バルラハ『うずくまる老女』
エルンスト・バルラハ『うずくまる老女』
1933年/木/Museum Ludwig, Köln / Cologne, ML 76/SK 0047.(Photo:(c)Rheinisches Bildarchiv Köln, rba_c005052)/ハンブルク郊外の出身で、ハンブルク、ドレスデンで絵画と彫刻を学び、葛藤する人間の存在性を感じさせる彫刻を制作した

 展覧会場でひときわ存在感を発しているのがエルンスト・バルラハの彫刻『うずくまる老女』。抽象表現主義を代表する彫刻家。出展作は、中世以降廃れていた木彫を復興させた作品の一つで、作家は、世界の行く末を見据えるこの老女の作品に『屍の魔女』という別名も与えている。

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