証券会社のトップからコジマの会長兼社長、そしてビックカメラ社長になった木村一義氏。大手家電量販店トップとしては異色の経歴だ。業界の常識にとらわれず、経営再建に挑む木村社長は「雑貨も含めたプライベートブランド(PB)を充実させ、暮らしの困りごとを解決する、製造小売り(SPA)をめざす」と意気込む。(聞き手は日経MJ編集長 永井伸雄)

※「日経MJ」2022年5月23日付記事「PB充実、製造小売りめざす」を再構成したものです
木村社長は「製造小売り(SPA)をめざす」と話す
木村社長は「製造小売り(SPA)をめざす」と話す
木村 一義氏
ビックカメラ 社長
1967年、日興証券(現・SMBC日興証券)入社。2012年ビックカメラ入社、同年同社取締役。13年コジマ会長兼社長。ビックカメラと連携してコジマの業績を立て直した点が評価され、20年から現職。「お客様の購買代理人」となることを目指し経営改革を進める。三重県出身

売上高よりも収益体質強化

――創業者の新井隆司さんから口説かれたと聞きます。

木村一義氏(以下、木村) 新井さんとの関係は深くないんですよ。ビックに入る前に会ったのは10回もない。日興の会長から顧問に、その顧問をやめると新聞に出たときに、電話がかかってきました。「どうするんだ」って言うので「いくつか(社外役員などを)お引き受けしたところがあるんで」と。「常勤じゃないんだから、いろいろ相談にのってくれ」と言われ、お断りしたんですが「あいた時間でいいから」と何度も言われて顧問に。(ビックがコジマを子会社化した)2012年のことです。

――それからコジマの会長兼社長になります。

木村 当初は会長です。統合後、すぐには良くならなくて、新井さんからもチラチラと話があって、今度は宮嶋(宏幸・ビックカメラ前社長)さんが「コジマ(の社長)をやってください」。断ったのですが、コジマの再生にはビックの人間よりも第三者のほうがいいかと思っていました。最後はしょうがないな、と。

 証券にいたとき、子会社化した会社を再建するのに親会社から人を送って失敗した例をいっぱいみてきました。コジマはかつて家電量販で日本一。社員のプライドを傷つけず、モチベーションを高めることに最大限気をつけました。時には厳しいことも言いました。

――経営再建は早かったですね。

木村 やはり人の部分が大きかった。社員が疲弊しないよう大量に店を閉めましたが、残った店は全店改装。郊外店はデジタルが弱いから、ビックの強みを生かしてデジタル系を強化しました。それからファミリーの集客のために、玩具を広げたんです。赤字会社の大規模投資を親会社はなかなか認めないんで、最後は新井さんに直談判(笑)。

――次はビックです。

木村 新井さんに呼ばれて「おい、やってくれ」と。「年を考えてくださいよ」って言っても「決めたから」の一点張り。家内からは「みっともないから」と反対されました。最後は仕方なく。

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