花王でDX(デジタルトランスフォーメーション)を推進する生井秀一氏がゲストを招き、企業変革力を身に付ける方法について対談する本企画。第1回は、デジタルマーケティングやシステム開発を請け負うネットイヤーグループ創業者で取締役チーフエバンジェリストの石黒不二代氏をゲストに迎え、起業までのキャリアやデジタルマーケティングにおける新しい技術をキャッチアップし活用する秘訣などを議論した。※本企画は、ニッポン放送のラジオ番組「ラジオ情熱ラボ~ビジネスの先に」(毎週木曜日21:00~21:20)との連動企画です。
ネットイヤーグループ創業者 兼 取締役チーフエヴァンジェリスト
花王 DX戦略推進センターECビジネス推進部 部長
生井秀一(以下、生井) 石黒さんはこれまでデジタルマーケティングに関わる事業に幅広く携わってきたと思いますが、その中でも多くのターニングポイントや苦労があったと思います。成功に導くための秘訣や、諦めそうになったときに奮起した経験はありますか。
石黒不二代(以下、石黒) 1つの大きなターニングポイントは就職が挙げられます。私の時代は就職課に行っても男性のみを募集する企業が多かった。そのため就職せずに学校を卒業しています。
そのような環境下に置かれていたため、少しでも可能性があると必ず扉を叩くようにしていました。当時から自分を変えていき、自ら変化を起こすことを無意識に考えていたと思います。
生井 変化を起こすには勇気が必要だったと思いますが、不安はありませんでしたか。
石黒 不安はありませんでした。大手OAメーカーでの業務や留学を経て起業しましたが、その頃にいた米国のシリコンバレーは起業に対する理解があり、強いバックアップを受けられたことが大きいです。
生井 自らを起業しやすい環境に置いていたのですね。
石黒 もちろんリスクを低減するための努力はします。ですが、自らを環境に置かないと何も始まらないと考えていたため、結果的にそうなりました。後に、大手ソフトウエア会社からも入社のオファーを受けましたが、会社を動かす権限を自分に与えられる環境に身を置きたかったこともあり、自分自身で会社を立ち上げました。
日本企業は抽象的概念の具現化に課題
生井 デジタルマーケティングの領域に入ったのはいつごろですか。
石黒 デジタルマーケティングの領域に入ったのは創業の1999年からです。当時は「デジタルマーケティング」という言葉はありませんでした。自社サイトなどのオウンドメディアの設計や構築、システム開発、SNS運営やSEO(検索エンジン最適化)といった集客支援を包括的にサポートしてきましたが、時代の変化とともにそれらを総称して「デジタルマーケティング」と呼ばれるようになりました。
創業時は「新たな市場をつくる」気概でした。ですが、1社で市場をつくることは不可能です。同業者、大手広告代理店、印刷会社といった、競合に当たる企業とも議論を重ねて、市場を形成していきました。そうした中、ネットイヤーグループでは「IA(インフォメーションアーキテクト)」というWeb構造設計の専門家を打ち出すなどして、独自性を追求していきました。
市場開拓や業務を行う中で、私が海外と日本を比較して感じた課題もあります。生井さんが関わっているDXもそうですが、日本は「抽象的な概念を具現化することが課題」だと感じました。具現化できることを示さないと、最初の一歩が踏み出せませんし、その一歩を踏み出す手伝いを行うことが市場拡大につながると考えています。
生井 しかし、大企業だと新しいことへの踏み出しづらさを感じることもあると思うのですが、いかがでしょうか。例えば、私自身も前年実績ベースで仕事を進めるのが一般的だったので、前例がないものを始めるためにはさまざまな部署の方の協力を仰ぐために、ものすごく労力を使いました。協調性を保ちながら、ときには強引さも必要なので、このバランスに難しさを感じます。
石黒 確かに、大企業とスタートアップを比較すると、スタートアップのほうが機動力はあります。その恩恵が受けやすい環境も整ってきました。ネットイヤーグループの起業時はデジタルマーケティングには大きなコストがかかるため、中小企業は導入が難しい時代でした。それが大きく変化しつつあります。
例えば、EC事業の市場自体は20年前からありましたが、従来は高額でカスタマイズが必須なEC構築ツールを使わないと事業展開は難しかった。近年になって中小企業でも使いやすい安価なツールが登場し、小規模企業も展開しやすくなりました。
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