※日経エンタテインメント! 2023年2月号の記事を再構成
2023年の「このミステリーがすごい!」大賞受賞作となった小西マサテルの『名探偵のままでいて』。「認知症を患う老人と、身の回りで起きた謎を持ち込む孫娘」というかつてないコンビが様々な謎に挑む、楽しさと優しさに満ちた現代の名探偵ものだ。放送作家としても活躍する小西の実体験が創作の原点となっている。本人に作品への思いを聞いた。
宝島社/1540円
「今朝は書斎に青い虎が入ってきたんだ」と、71歳の老人は孫娘の楓(かえで)に、その様子をありありと語った。もちろん都内の一軒家に虎が現れるはずもない。「レビー小体型認知症」による幻視なのだ。ミステリー好きで知性にあふれていた祖父。でも今は日がな一日、書斎に置いた電動式のリクライニングチェアーに座ってうつらうつらしている。落胆と寂しさを感じる楓だったが――。
「執筆のきっかけは、父親が長らくレビー小体型認知症を患っていたことです。いわゆる認知症はおよそ3つに分けられます。患者総数の約7割を占めるアルツハイマー型、2割が血管性、残りの1割がレビー小体型。そして、その最大の特徴が“幻視”なんです。香川で一人暮らしをしていた父も、家の中で虎やリスを見たり、東京にいる息子の僕を『あんたの後ろにおるやないか』と言ってヘルパーさんを怖がらせたりして、結局、東京に呼び寄せることにしたんです」
5年以上に及ぶ介護の間に、レビー小体型認知症の実態が世間にほとんど知られておらず、大いに誤解を受けていることを実感。
「個人差はありますが父の場合は、自分がレビー小体型認知症だと自覚したこと、合う薬が見つかったことで、状態はずいぶんと改善されました。幻視を幻視だと納得できるようになったんです」
父親が付けていた日記を見せてもらう。「虎が来た」という記述の側に「無視」と書いてある。形の崩れかけた字であちこちに「無視」「無視」「無視」――。
「『今日も無視できたわ』って言って。『勝ったで』と。幻視に勝った時と、阪神が勝った時はうれしそうでした(笑)」。病を自覚し、心根の優しい老人のまま人生を全うした父親を見送った後、レビー小体型認知症への理解を深めてもらいたいと執筆を思い立ったのが、本作だった。
「ドキュメンタリーではなくミステリーとして描いたのは、エンタメのほうが世間に届くと思ったから。僕は一人っ子なんですが、父は仕事が忙しく、母は病気がちだったので、子どもの頃は本が兄弟のようなものでしたから」
本書で活躍する「認知症の名探偵」も、多くのミステリー作家や評論家を輩出した「ワセダミステリクラブ」の主要メンバーだったという設定だ。作中では数多くの名作ミステリーが紹介される。「本作を書く際に1番影響を受けた作品を挙げるなら、アイザック・アシモフ『黒後家蜘蛛の会』シリーズ。論理性の高さで評価されますが、底流にあるのが優しさ。人情噺(ばなし)です。そういうミステリーを書いていきたい」
大学時代から放送作家として活動。「ナインティナインのオールナイトニッポン」は28年に渡り手がけている。登場人物の会話が軽快でユーモアに富むのも、ラジオやお笑いの“話し言葉”の世界に長くいるからかもしれない。
「今回『このミス』に応募したのは、仕事の先輩である志駕晃さんが『スマホを落としただけなのに』で『このミス』からデビューしたことに背中を押されたからなんです。大賞受賞を報告しようと電話したら番号が変わっていて、新しい番号にかけたら、『いや、俺スマホ落としたんだよ』って、さすがトリックメーカー!(笑)」
密室殺人や人間消失などミステリーの王道の謎解きとともに、楓を取り巻く人間模様も読みどころ。終盤、ハラハラの後で迎えるラストに、心がじんわりとあたたまる。