※日経エンタテインメント! 2022年6月号の記事を再構成

映画化された『罪の声』以来、リアリズム小説によって「人間を描くことで社会を描く」手法を突き詰めてきた塩田武士。「デビュー10周年の記念作品だからこそ、かつてない挑戦をしなければならないと思っていた。思いきり迷い、選択肢があれば難しいほうに舵を切って、混沌の中を行こうと。そして、そこをくぐり抜ければ、きっと次の10年もやっていけるはずだと」。その覚悟が、とてつもない小説を生んだ。

塩田武士(しおた・たけし)
1979年、兵庫県生まれ。関西学院大学卒業後、神戸新聞社に勤務。2010年『盤上のアルファ』で第5回小説現代長編新人賞を受賞し作家デビュー。2012年、神戸新聞社を退社。2016年『罪の声』で第7回山田風太郎賞を、2019年『歪んだ波紋』で第40回吉川英治文学新人賞を受賞。ほかの著書に『女神のタクト』『崩壊』『雪の香り』『拳に聞け!』『騙し絵の牙』『デルタの羊』などがある

 序章で描かれるのは、昭和31年に実際に起こった、福井県の北端にある芦原温泉での大火のシーン。混乱する街の中で、1人の少女は、ある衝撃的な光景を目にする。そして始まる第一部「事実」では、元新聞記者の大路が、芦原出身の「辻珠緒」という57歳の女性の行方を探すため、彼女に関わりのあった人々に会い、話を聞いた、その証言だけが延々と並ぶ。他人によって語られる人生の断片が蓄積し、読む者の中に「辻珠緒」像が次第にありありと浮かび上がってくる。が、「辻珠緒」本人は、なかなか姿を現さない。彼女に何が起きたのか。バラバラだった情報は、第二部「真実」で1つの物語として紡がれていく。迎える終章。「辻珠緒」の1人の人間としての存在感が、強烈なリアリティーをもって、読者を圧倒する。

 「珠緒は架空の人物ですが、彼女に関するエピソードはほぼほぼ実在の情報です。芦原温泉の火事も、珠緒の年代の女性たちが経験した男女差別も、僕が直接取材をして聞いた話を書いています。辻珠緒という“虚”=フィクションを、膨大な実在の情報=ノンフィクションで固めて、具現化させる。絶対に面白い作品になると思っていた。ただ、無茶苦茶大変でした(笑)。芦原には7回ほど足を運びましたし、取材資料はコンテナ2つ分、登場人物表だけで原稿用紙250枚ほどの分厚さに」

 さらに、初稿が編集者にボツにされるという苦労もあった。

 「全面的に書き直しを、と言われて、さすがに放心状態になって。いったん風呂に入りました。『これこそフィクションやったらええなあ』と。風呂出たらやっぱりノンフィクションでした(笑)。構成を大胆に変え、何回も書き直して、最終的に第6稿までいきました。取材開始から約3年、できることは全部やった。結局、10周年のうちには出せず、11年目の作品という間抜けな具合にはなりましたが」

人間を描けば社会が見える

 グリコ・森永事件をモチーフにした『罪の声』以来、リアリズム小説によって「人間を描くことで社会を描く」手法を突き詰めてきた。今回は、自身が気になる社会的キーワードを複数挙げて、それを一斉に取材する方法をとった。

 「ジェンダー、テクノロジー、依存症。この3つについて取材しました。僕は、自分の想像力なんてたいしたことないと思っていて。プロの話、経験者の話は、ハッとさせられることばかりなんです。だから今回も、ラグビーボールを追いかけるように、話が思わぬ方向に転がっていくのに、とにかくついていきました。その先に、今、社会が必要としていることがあるはずだと思っていた。自分で物語を設定しない。他力の感覚を大事にしようと。これは、『罪の声』がコミックになり映画になりと、多くの人が関わって作品が広がっていった時に得た感覚なんです」

 読者はこの作品で、「辻珠緒」という個を通して社会を見る。それは、メディアというマスの立場が発信する“どこかの誰かの問題”的な語られ方よりも、もっと切実に、もっとリアルに、我々に届く。

 「虚によって実のすごみを伝える。一見矛盾しているようですが、むしろ本質に近づいているんです。本当に、創作とは奥深く、どこまで行っても答えがない。今作で全力は尽くしましたが、それでも僕は、作家になってたかだか10年。やれることはまだまだある」

 塩田武士の、今のすべて。心して『朱色の化身』に対峙したい。

朱色の化身
1人の女性の人生を追い社会を描き出すミステリー
元新聞記者でフリーライターの大路は、同じく新聞記者であった父から、「辻珠緒」という女性に会えないかと依頼を受ける。辻珠緒はかつてゲームプランナーとして活躍しており、大路も取材をしたことがあったが、彼女は失踪していて――。物語のカギとなる「芦原大火」を具現化した装丁も強い印象を残す。取材の様子など、作品が出来上がるまでの過程を撮影したプロモーションビデオも制作された。

長編小説
講談社/1925円

(文/剣持亜弥、写真/森 清)

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