※日経エンタテインメント! 2023年3月号の記事を再構成

昨夏、29年ぶりに再始動し大きな反響を集めている男闘呼組。再始動するにあたって心を揺り動かしたものは何なのか。再始動のきっかけから復活ライブまでの道のり、そして現在の思いを聞くインタビューの「中編」を公開する。

 前編「男闘呼組、こんな夢も見られるのだから(1) 29年ぶりの再始動」」では昨年10月に東京ガーデンシアターでのライブの話や、映画『ロックよ、静かに流れよ』の公開30周年記念上映会で、岡本健一から芸能界を引退していた成田昭次のメッセージが告げられた経緯を聞いた。だが、上映会の段階では、まだ4人は再会を果たしていない。再始動に向けた具体的な動きはどのように始まったのか。

男闘呼組(おとこぐみ)
成田昭次、高橋和也、岡本健一、前田耕陽から成るロックバンドで、1988年8月24日、『DAYBREAK』でデビュー。1993年6月30日に活動休止。2022年7月16日に期間限定で活動再開。
昨年12月には彼らを中心としたメンバーで新バンド「Rockon Social Club」を結成、今年3月に初アルバム『1988』をリリースした。同バンドは5月6日に東京ガーデンシアターで初ワンマンライブも開催する。

久しぶりの再会で抱き合った

 岡本と成田が久しぶりに顔を合わせたのは19年9月、東京ドームで開催されたジャニー喜多川氏(ジャニーズ事務所・前社長)のお別れ会(※)だった。

※…ジャニー氏は19年7月9日に逝去。9月4日に業界関係者のほか、一般も参列するお別れ会が東京ドームで開かれた。

成田昭次(以下、成田) すぐ帰る予定だったんですけど、控室にいたら健一が、かなり向こうで僕に気づいて「昭次ーっ!」って大声で呼びながらやってきて、抱き合ったんです。会うまでは何を話していいのか不安だったのが、会った瞬間にそれをかき消してくれて、「昭次、昭次」って。いつもの健一節で(笑)。

前田耕陽(以下、前田) 健一ってさ、どんなに久しぶりでも「一昨日会ったよね?」みたいな空気感で来るからね(笑)。

岡本健一(以下、岡本) 「向こうにみんながいるから行こうよ」って誘って。当時は合宿所で一緒に生活してたから、その時のメンバーが集まると一瞬で昔の気分に帰れるんだよね。

成田 諸先輩方が僕を覚えていてくれていただけでも感激だったのに、事務所の人に「お昼まだなんでしょ?」って言われて、カレーを一緒に食べるなんて思いもしなかった(笑)。13年間も名古屋で一般人として仕事をしていた僕に対して、みんな変わらず接してくれて…そこから、いろんなことが動き始めました。

岡本 最初に動いたのが耕陽。

前田 そうそう。僕がお別れ会に遅れて、みんなと会えてなかったから。

高橋和也(以下、高橋) 大阪の新歌舞伎座で、舞台の初日だったんだよね。

前田 和也はホント、いろんなことよく覚えてるよね。あの時は、昼公演が終わってすぐ飛んでいったら、共通の知り合いから「昭次が耕陽と連絡取りたがってたよ」って言われて連絡先をもらったんです。ちょうど舞台で名古屋に行く予定があったから、「この日会わない?」って会う気満々のメールを送って。

成田 僕が東京ドームをあとにした数時間後に連絡をくれて、めっちゃうれしかった。なんか行動が早いんですよね、みんな(笑)。

高橋 それだけ会いたかったんだって!

前田 そう。待ち焦がれてたの! それで僕、御園座が終わってから「食事しよう」って誘ったんです。

成田 僕は指定されたお店に、約束の1時間ぐらい前から待ってて。

前田 昔は1時間ぐらい平気で遅刻して来たのに(笑)。で、その時「カラオケとか行くの?」って聞いたら、「会社の人と一緒に行ったりするよ」って。「男闘呼組とか歌うの?」に対しては、「いや男闘呼組は…」って言ったくせに、いざ連れてったら男闘呼組しか歌わなかった(爆笑)。

成田 それは、耕陽が男闘呼組しか入れないからでしょ!

岡本高橋 ワハハハハ!

岡本 そこから1カ月後だね。名古屋公演があった時に、俺も昭次を食事に誘って。舞台を見てくれた後、一緒にご飯を食べたら昭次が、「いいカラオケ屋があるんだけど」って俺をカラオケに誘うの(爆笑)。

成田 違う! 「耕陽と行ったカラオケ屋があるんだけどさぁ」って言ったら、健一が「行ってみたい」ってなったんだよ!

岡本 で、行ったら、やっぱり男闘呼組しか歌わなかった(笑)。

全員 ハハハハハハ!!

成田 俺が入れたんじゃないでしょ!(笑)。

岡本 入れたじゃん! あの時、俺は昭次と会ったのが20年ぶりぐらいだったから、見た目にしてもノリにしても、どういう感じなのか全然分かんなくて。俺らって昔と変わってて当たり前の年齢だから、お別れ会でも昭次が分からないくらいになってても仕方がないと思ってたのね。そしたら、昔とちっとも変わってなくて。「じゃあ歌声はどうなんだろう」みたいな興味が湧いて、聴いたら、全く衰えてなかった。むしろちょっといぶし銀な感じの、すげぇいい声になってて。あの時は歌いまくったよね。

成田 歌いまくった(笑)。

岡本 歌いまくって酔っ払いまくって。また昭次がめっちゃ楽しそうなんだよ。

前田 (目を細めて)そうそう。俺の時もそうだった。

岡本 楽器もちょくちょく触ってると言ってたから、「もしかしたら、これちょっといけるんじゃない?」と。東京に戻ってから和也に、「昭次、歌声が半端じゃない。4人でスタジオに入らない?」って。

前田 でもその時点では、俺は健一の連絡先をまだ知らなかった。

高橋 その頃は俺らのグループLINEが立ち上がってなかったからね。そこからみんなでスタジオに入ろうっていう話が出て、昭次も「遊びだったらいいよ」って言うので、グループLINEを作りました。

2020年8月4日・名古屋

 20年3月に名古屋で集まるはずだったのが、新型コロナウイルスの流行により5月に変更になった。すると、今度は全国的に外出禁止令が出たため、8月に延期――。
 ここからの説明は、誰かが主語を言ったら他のメンバーが述語を言う、まるでスイッチボーカルのようにポンポン進んだ。

岡本 あれは忘れもしない8月4日に名古屋のスタジオを借りて…

成田 27年ぶりの再会を果たしましたね。

前田 6時間ぶっ通しで演奏したよね。

高橋 テンションぶち上がって(笑)…

岡本 7曲ぐらいやったのかな。

成田 その時も俺は1時間早く入って、健一のアンプの向きはこっちがいいかなとか、いろいろ先に1人で準備してた(笑)。

高橋 僕らは東京から新幹線で行って、耕陽は車で大阪から。ドラムは、昔サポートメンバーだった仲間に、「明日来られる?」って聞いたら、「行く!」って言ってくれて。

岡本 『DAYBREAK』と『TIME ZONE』のほかに、それぞれ1曲ずつ出す予定が結局7曲になって。曲順決めて、最後の1時間半は通しでやったよな?(笑)。

高橋 健一が、もうライブやる気満々なんだもん(笑)。

前田 僕なんか、当時の楽器なんかもうないし、原曲に基づいた演奏でいくって言われても、その音色なんかねぇよと思いながら、1から全部作り直して。

成田 健一は、最初のリハの時からライブの構想を持ってたよね。僕はあくまで「遊びだよ」って言ってたのに。やってるうちに、だんだん怖くなってきたもん(笑)。

高橋 その頃昭次は、自分の仕事の関係で国家試験を受けようとして猛勉強中だったんです。大変な時期だった。

成田 その月に試験があったもんですから。

岡本 でも楽しかったじゃん。27年ぶりに出した音が、すげぇ良かったんだよね。

前田 あんとき、6時間しかスタジオ押さえてないのに、機材トラブルで俺の楽器の調整が1時間ぐらい押して。和也と健一が機嫌悪くなっていくのが分かったよ(笑)。

成田 面白かったのは、リハや演奏の癖が昔のままだったこと。健一は相変わらずめちゃくちゃ音がでかくて、和也は淡々と自分のベースとアンプの調整をしていて。耕陽もセッティングの仕方とか全然変わってなくて、それにまず感動しました。

高橋 昭次もバリバリにソロ弾けたし。

前田 あれ、相当練習したの?

成田 相当練習したよ。

前田 そうだよね。みんな練習してたよね。27年ぶりに音出すんだから。「お前できねぇのかよ」って言われたくないもんね。

高橋 4人での音出しは緊張感もあった。変な話、「ダサかったらどうしよう」って思ってた部分もあったし。

岡本 そうだよね。全然しょぼい感じだったら…

高橋 ガッカリするのは自分たちじゃん。

成田 10代とかでやってた曲ばっかりだから、めっちゃテンポも速いし。50代の俺たちがやってサマになるのかという不安のなか、健一が当時のアレンジを望んでいたので、「できるのかな…」って。

高橋 でも、やったら「すごい、いけるじゃん」っていう感じになったのは事実。

岡本 それで俺は自分の中で、「男闘呼組を再始動させる!」って決めちゃった(笑)。

成田 健一は、1度やると決めたら絶対にやり遂げる。この再始動には、みんながそれぞれ強い思いを持っていましたけど、健一のパワーは圧倒的でした。僕もそこに押されたというか…。

高橋 圧倒されたね。今回の、健一が男闘呼組再結成を引っ張っていこうとする行動力には。実現までにはいろんな壁があったと思うけど、それも全部クリアにしたから。

岡本 いや、そんなでもないんですよ(照)。でもとにかく、7曲通しでやって盛り上がったそのノリのまま、次の日ジャニーさんのお墓参りに行くことになったんです。

成田 耕陽が車出してくれて。


 後編では、再始動が具体的になっていく過程、そして復活ライブで改めて感じた男闘呼組への4人の思いを聞く。 後編「男闘呼組、こんな夢も見られるのだから(3) 4人で出した結論」へ

成田昭次(なりた・しょうじ)
[ボーカル、リードギター]
1968年8月1日生まれ、愛知県出身。A型。22年6月、ソングライターでベーシストの寺岡呼人、男闘呼組のサポートメンバーでもある青山英樹とともに、バンド「成田商事」を結成。同年9月7日にシングル『ボストンバッグ/社員募集中』を、10月26日にミニアルバム『ボストンバッグ』をリリース。23年3月4日から、Rockon Social Clubと成田商事の両名義で全国Zeppツアーを開催中
岡本健一(おかもと・けんいち)
[ボーカル、サイドギター]
1969年5月21日生まれ、東京都出身。O型。90年代以降は舞台を中心に活躍。主な出演作は、04年『タイタス・アンドロニカス』、09年『ヘンリー六世』(いずれも読売演劇大賞・優秀男優賞)、18年『岸 リトラル』『ヘンリー五世』(いずれも読売演劇大賞・最優秀男優賞)、19年『海辺のカフカ』『終夜』(いずれも菊田一夫演劇賞)、20年『リチャード二世』(紀伊國屋演劇賞、芸術選奨文部科学大臣賞)など。10年より舞台演出も手掛ける。22年には紫綬褒章を受賞
高橋和也(たかはし・かずや)
[ボーカル、ベース]
1969年5月20日生まれ、東京都出身。O型。活動休止後、1年近くアメリカを放浪。帰国後の94年、舞台『NEVER SAY DREAM』、映画『KAMIKAZE TAXI』で本格的に俳優活動をスタートさせる。舞台、映画、テレビドラマのほか、ラジオドラマや韓国ドラマの吹き替え(イ・ビョンホンの声など)、文学作品の朗読、ナレーションといった声の仕事でも活躍。特に映画では、『ハッシュ!』(01年)で注目され、14年の『そこのみにて光輝く」では、高崎映画祭最優秀助演男優賞を受賞
前田耕陽(まえだ・こうよう)
[ボーカル、キーボード]
1968年8月16日生まれ、東京都出身。A型。男闘呼組のリーダー。活動休止後は「前田耕陽BAND」や「GODDESS」、高橋和也と共に、「MIDNIGHT ANGEL」などの名義でバンド活動を行う。俳優としてはVシネマや舞台を中心に活躍し、15年からは本格的に舞台の脚本を書き、自身も俳優として参加。20年4月より自身のYouTubeチャンネル「Team54.ch」にてラジオ『Team54 Radio』を開始。現在は大阪に在住し、芸能プロダクションのアカデミーで講師も務めている

(写真/小林ばく スタイリスト/馬場圭介 ヘアメイク/橋本孝裕)

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