※日経エンタテインメント! 2023年3月号の記事を再構成
昨夏、29年ぶりに再始動し大きな反響を集めている男闘呼組。再始動するにあたって心を揺り動かしたものは何なのか。再始動のきっかけから復活ライブまでの道のり、そして現在の思いを3回に分けて紹介する。
昨年12月には彼らを中心としたメンバーで新バンド「Rockon Social Club」を結成、今年3月に初アルバム『1988』をリリースした。同バンドは5月6日に東京ガーデンシアターで初ワンマンライブも開催する。
1988年にジャニーズ事務所発のロックバンドとしてデビューし、わずか5年で活動を休止した男闘呼組。そんな彼らが今年8月までの期間限定で昨夏、活動を再開させた。音楽特番『音楽の日2022』で復活した彼らに対し、往年のファンはもとより、若い世代からも「真のイケおじ」「めちゃカッコいい」という感想が寄せられ、キャパ6000人の東京ガーデンシアターでの復活ライブは即完売に。ライブ当日はSNSが参加した人の感動コメントであふれ、大物ミュージシャンたちの“隠れ男闘呼組ファン”の存在も29年の時を経て明らかになった。
この奇跡の復活劇。彼らはどんな思いでステージに立ったのか。まずは昨年10月に東京ガーデンシアターのステージに立ったときの感想から聞いてみるとしよう。
高橋和也(以下、高橋) 東京ガーデンシアターには21年にMISIAさんのライブを見に行ったのが最初でした。実はその時は、「再始動して最初のライブをやるならここで」っていうことで、下見も兼ねてだったんですけど、俺は内心、「こんなでかいところでやれるのか?」と縮み上がりそうになった(笑)。1日2公演で2日間という話だったので、単純計算で2万4000人のお客さんを動員しなきゃならないわけで。
前田耕陽(以下、前田) うん、お客さんで埋まるイメージが湧かなかったね。
一瞬で29年前にタイムスリップ
高橋 今回は、(岡本)健一が中心になって進めてくれたプロジェクトですが、最初にライブのプロモーターとプロデューサーに僕らの演奏を聴いてもらったとき、「ライブでお客さんを熱狂させることができるバンドだ」という思いを持っていただけたことが大きかったのかな。あとは4人のキャラクターとか、楽曲の魅力を総合的に見て判断してくださったみたいで。
成田昭次(以下、成田) 僕は、07年に芸能界を引退して、最近になってようやく自分のバンドで活動を始めたばっかりだったんですけど(※)、毎回ステージに立つときは舞台袖で震えてしまうんです。でも男闘呼組のライブは、リハーサルの時からものすごく楽しくて。10月のステージでは、4人でいることのマジックをめちゃくちゃ感じたんですよ。いつもだったら緊張して真っ白になる頭が、薔薇色のワクワクに変わるというか。最初に舞台袖で健一が、「オーッ」って叫んで。
高橋 それからみんなで「行くぞー!」って、肩を抱き合うんだけど。
成田 和也はリハからテンションMAX、耕陽は飄々と「いくよー」って頼れる上司みたいな感じで。とにかく、メンバーがそろう心強さが半端なかった。いざステージに出ていったらお客さんがすごい笑顔で、キラキラまぶしくて、あったかい空気感で、一瞬で29年前にタイムスリップしました。
高橋 僕は、タイムスリップというよりは、夢の中にいるような気分だったかな。現実に起きてることと思えない、不思議な感じ。歓声に制限がある時期だったから拍手だけで、しかもみんなマスクをしてるから、厳密に言えば表情は見えないんだけど。
岡本健一(以下、岡本) だからこそ、その拍手にお客さんのより強い思いが乗ってる感じがしたんだよね。マスクして声を出せなくてもエネルギーや感情が、目の輝きや拍手からあふれるような。ただ、大きい会場だから最初は不安もあったんです。盛り上がってるけど本当に楽しんでるのかな、一番上のほうは大丈夫かなとか。
前田 一番後ろのお客さんまで同じエネルギーを届けたかったから。チケットの値段は一緒だしね(笑)。誰1人つまらないと思わせないようにという熱量は、僕らもめちゃくちゃあった。
岡本 隅々まで楽しませるために何ができるかって言うと、結局は気持ちを込めるしかないんですよ。そうすると一番後ろの人たちのために思いを飛ばそうとして頑張れるから、普段以上のパワーが出たりして。奥のほうで楽しそうに飛び跳ねてる子とか見るとさ、すごく感動する。
この復活ライブを皮切りに、4月からは全国18会場を回るツアーを開催する。そもそも再始動のきっかけは、芸能界を引退していた成田が19年5月に、4人が主演した映画『ロックよ、静かに流れよ』の公開30周年記念上映会で、岡本を通してコメントを発表したタイミングに遡る。
恐る恐る確認した消息
高橋 その前から俺と健一は、昭次とゆる~く1年ぐらい連絡を取ってたんですよ。昭次が芸能界を引退してからは連絡先が分からなかったんですけど、あるときたまたま昔お世話になった方に、昭次のアドレスを教えてもらうことができて。それで、恐る恐る(子守唄を歌うような声で)「昭次、元気? 和也だよ」っていうメールを送った。どこにいるかとか何をしてるのかは一切聞かずに。返事がなかったんで連絡取りたくないのかなと思ってたら、1週間後に(さっきと同じささやき口調で)「和也、久しぶり。昭次だよ」って返事が来て。
成田 (笑)え、そんな感じだった? 古いアドレスだったから通知機能がなくて気づかなかったんだよ。ほっといたわけじゃない。メールはめっちゃうれしかった。
高橋 ビックリして、健一と耕陽に「おい、昭次からメールが来た!」って連絡して。健一が「俺にも教えてよ」って言うから、昭次に「メルアド、健一に教えていい?」って聞いたら、「いいよ」って。
岡本 当時はもう、昭次は一般人としての人生を歩んでいたワケだから、俺たちとは距離を置きたがってるかもしれないし。そのへん、和也はちゃんと昭次に確認してから俺に教えてくれたんです。以来、昭次とメールだけのやり取りをするようになって。
前田 僕に関しては当時、連絡先を知ってたのは、まだ和也だけだった。
岡本 そしたら、19年の5月に『ロックよ~』の記念上映会を池袋の映画館でやることになって。長崎俊一監督と僕でトークショーをやるから告知をしてチケットを販売したら、すぐ売り切れた。で、上映会をする前に昭次に連絡したら、「俺もあの映画、誇りだと思ってる」みたいなことをメールで返してくれて。当日、客席で30年ぶりにあの映画を見たら、めちゃめちゃいい映画で、4回から5回ぐらい泣いちゃってさ(笑)。
高橋・前田 ハハハハハ!
岡本 芝居もリアルだったんだよね。で、上映後に長崎さんと一緒に壇上に出たら、黄色い歓声がすんごくって。舞台やってると「キャー」なんて言われないから、「アイドルみたい、俺」って(爆笑)。
高橋 血が騒いだ?
岡本 血が騒ぐっていうか、「こんな感じだったな」って思い出した。それで長崎さんと話しながら、「あの映画が男闘呼組を作ったんだな」と実感して。撮ったのは17、18歳ぐらいの時だったけど、ジャニーズとして音楽とか芝居とかバラエティとかいろんなことやって、その中でも、僕らは楽器でなんとかデビューしようと思いながら、難しさも感じていた時期だった。だけど、あの映画で不良少年の役をやったことによって、「こうやって生きてもいいんだ」って思えたというか…。自分たちの不器用な生き方を肯定できた気がしたし、初めて自分たちのありのままをさらけ出せた気がしたんだよね。ま、要するに僕らは根っこが不良だったんですよ。
成田 撮影の時の、俳優としての思い出だけじゃなくて、4人があの場所で生きて、悩んで、もがいて、闘った思い出が、自分の中に熱として残っているような…。映画じゃなくて、自分たちのギラギラした青春の1ページのような感覚がある。
高橋 その上映会で健一が昭次からのメッセージとして、「僕にとってもこの映画は誇りです」という言葉を伝えたんです。それが公的に昭次が発した久しぶりのメッセージだった。引退して人前に出なくなってからもファンのみんなは、「昭次くんの歌が聴きたい」「もう1度ステージに立ってほしい」って思ってて、僕らもその声は知ってたし、応えてあげたかったけど、10年ぐらい連絡が取れなくて…。それが上映会の1年ちょっと前から、細くだけどつながるようになったことで、改めて昭次からのコメントを発表できたんだよね。
岡本 「映画で、(成田演じる)ミネさは死んじゃってるけど、昭次は死んでねぇから!」つって(笑)。みんな泣いてましたね。
成田 その時の様子を、後で健一がメールで送ってくれたんです。
岡本 でも、文章じゃ分かんないよね。
成田 それが分かったんだよ。文面だけでも、劇場の熱量や雰囲気が伝わって。
岡本 (照れて)だってさぁ、昭次、電話に出ねーんだもん(笑)。
成田 普通の仕事をしてたから、出られなかったんだよ。
高橋 昭次は当時、朝4時に起きて仕事して、夕方5時に終わる生活だったから、俺らとは時間が合わない。一番怖かったのは、昭次が何かの理由で僕らに対して、「いや、俺は…」って離れちゃうことだった。だから、グイグイ聞かないように繊細に対応してました。「会おうよ」とか言ったら、嫌がるかもしれないから。
成田 嫌がることは絶対ないけど、ずっと離れていたぶん、すぐに会う勇気はなくて。僕は過去にいろいろあったから、そういうことも含めて迷惑をかけたくなかったし。
続く中編「名古屋での再会」では、ジャニー喜多川氏(ジャニーズ事務所・前社長)のお別れ会での久しぶりの再会、そして27年ぶりに4人が揃ったスタジオでのエピソードを聴いた。
[ボーカル、リードギター]
[ボーカル、サイドギター]
[ボーカル、ベース]
[ボーカル、キーボード]
(写真/小林ばく スタイリスト/馬場圭介 ヘアメイク/橋本孝裕)