ディズニープラスで配信されている日本オリジナルドラマに勢いがある。2022年6月から配信されたディズニーとNHKエンタープライズが共同制作したドラマシリーズ『拾われた男』は、放送批評懇談会 2022年8月度「ギャラクシー賞」月間賞を受賞。9月からはウォルト・ディズニー・ジャパン製作によるオリジナルドラマが立て続けに配信されている。
9月14日からは燃え殻の同名原作を阿部寛主演でドラマ化した『すべて忘れてしまうから』、10月26日からは数々の賞を受賞した周防正行監督の名作映画の30年後を描く相撲ドラマ『シコふんじゃった!』が配信中。そして東京国際映画祭で第1、2話が上映された衝撃的コミックスのドラマ化『ガンニバル』が、12月28日から配信開始となる。これらの作品のキーパーソンとなるのが、ウォルト・ディズニー・ジャパンのプロデューサー、山本晃久氏だ。
山本氏が前職のC&Iエンタテインメントで手掛けた作品は、海外で高く評価された秀作が並ぶ。第94回アカデミー賞で国際長編映画賞を受賞した『ドライブ・マイ・カー』では、日本人プロデューサーとして初のアカデミー賞にノミネート。第71回カンヌ国際映画祭コンペティション部門 正式出品『寝ても覚めても』、第77回ヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞 受賞『スパイの妻〈劇場版〉』など、気鋭のプロデューサーとして世界の映画人から注目を集めている。
21年にウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社に入社し、現在は「ディズニープラス」のローカルコンテンツの制作で采配を振る山本氏。このロングインタビューを、前後編に分けてお届けする。前編では、山本氏のルーツをひも解きながらディズニーでの作品つくりについて、後編では『ガンニバル』を中心に話を聞いた。
――どのようなエンタテインメントをつくりたくて、この業界に入ったのでしょうか?
山本晃久氏(以下、山本) ジャンルを問わずいろいろな作品が好きなのですが、「映画やドラマをつくりたい」という気持ちは、イコール「多様なものに触れたい」ということの表れなのかなと。ある意味、プロデューサーとして正しいのかもしれないですね。
10代から20代頭にかけては、様々なジャンルの映画を断層的に、数多く触れていました。ある時期はハリウッド映画ばっかり、次はニュー・ジャーマン・シネマしか見ない時期が来て、その次にはアメリカン・ニューシネマといった感じで(笑)。その後、ヌーベルバーグに傾倒し、韓国や台湾の映画、最後に日本でした。何か1つのジャンルに固執したというよりは、だんだんと自分の中に映画史的なものを蓄積していきました。
――実際に映画をつくりたいと思ったのはいつ頃から?
山本 中学1年生の頃です。先日、自分の実家の段ボール箱をひっくり返したらノートが出てきたのですが、そこに書かれていたのは映画の企画書でした(笑)。「『スタンド・バイ・ミー』と『E.T.』を掛け合わせた映画である」と1行で説明していて、どんな映画なんだと。森の絵なども書いてあったりして、いろいろと考えていたようです。
――そこから、どのようにして映画業界に入ったのかを具体的に教えて下さい。
山本 中学生を卒業したら映画の現場に行けると考えていたのが、インターネットがない時代なので図書館などで調べたのだと思いますが、高校に行って専門学校に行ったほうが、人とのつながりができて現場に入りやすいという情報を得て、日本映画学校(現・日本映画大学)に入りました。その時は演出コースだったのですが、プロデューサーコースがなくて──卒業生として、プロデューサーコースを作ってほしいと切に願っています。
僕は脚本を書きたかったので、脚本家の先生がいた演出コースを選び、師事しました。演出も楽しくなったのですが、卒業制作で初めてプロデューサーという立場になり、プロデューサーというのが、映画という物づくりにおいて、物事の最初から最後まで責任を負って仕事をしていく立場で、1番映画に関われると認識しました。
その後、20代はずっと東宝の撮影所で働いていました。そこで映画製作者たちのサポートをしたり自主映画もつくりながら、自分が演出したり脚本を書きたいという思いよりも、それをやりたい人たちをサポートする側に回ったほうが自分が見たいものを作れるのかなと思うようになりました。そこから、主に映像の企画・制作を手掛けているC&Iエンタテインメントに入りました。この間は試行錯誤していたので、プロデューサーに至るまでには割とグラデーションはありますね。
――結果として、自分の適性がプロデューサーにあったと。
そうですね。自分は、監督や脚本家として作家性を発揮しようとすると近視眼的になっていくタイプなのかなと思います。例えば監督はきっちり旗を振る立場で、プロデューサーはみんなの力を束ねていく。そのほうが性に合っていると分かってきました。全体を俯瞰(ふかん)して、この作品というのはどういう作品になりたいのか、どういう作品にしていったほうがいいのかということを冷静に見ながら監督や脚本家と話すほうが性に合っていると思いました。それを決定づけてくれたのが、前職のC&Iエンタテインメントの社長で映画プロデューサーの久保田修(※)さんでした。
――C&Iエンタテインメントでプロデュースされてきた邦画は、『寝ても覚めても』『スパイの妻〈劇場版〉』、そして『ドライブ・マイ・カー』と、海外でも非常に高く評価されています。海外を意識した作品づくりというのは、どのあたりからあったのでしょうか?
山本 そもそも自分がつくりたい映画というのが、当時の日本映画の市場であまり見ないタイプの作品だったと思います。なので戦略的というより、自分の指向性によるところが大きいと思います。芸術性の高いアート映画は、すごくクローズドな場合もあり、そこまで魅力を感じません。芸術でもあるし娯楽でもある。そのバランスを持った作品が名作たり得るのではないかと思っていて、たまたま濱口竜介監督だったり黒沢清監督だったりと目指すものが一致した。その結果として、世界に見てもらえたのかなと思います。
もちろん、国際映画祭について1ミリも思っていなかったと言ったら嘘になりますが、映画祭の傾向と対策を意識したことはないです。監督もそうだと思います。ただ、映画祭に選ばれることで、お客様に見てもらえる機会が格段に増えるというのが頭にはあるので、それができたらいいなとは常に思っています。
ストーリーテリングが根幹である会社で新しい物語を作りたい
――現職のウォルト・ディズニー・ジャパンに入られた背景や理由を教えてください。
山本 ウォルト・ディズニー・ジャパンの日本コンテンツ統括である成田岳さんが前職のNetflixにいたときから、お互いにどういったものをつくりたいか、日本の映像業界に関してどう思っているか、腹を割って話したときに、共通点がいくつかあって、話が合うなと思っていました。成田さんがディズニーに入社してディズニープラスでローカル作品をつくっていくときに、真っ先に、という表現を成田さんがしてくれたのですが、「山本さんに連絡したい」と思ったということで連絡をいただきました。それは本当にうれしかったです。
ウォルト・ディズニー・カンパニーという、世界のトップクラスといっても過言ではない物語をつくり続けてきた会社に呼んでいただけるというのが、まずありがたかった。そして時期的なものもあります。動画配信サービスが群雄割拠、切磋琢磨(せっさたくま)して様々な作品をつくり出そうとしているときに、その最前線に立てるということが純粋にうれしいと思いました。当時は『ドライブ・マイ・カー』がほぼ完成直近で、これはおそらくは自分のキャリアにおいて1つの区切りになるなと。次のアクションを起こしていきたい、それがもしかしたら日本の映像業界のためにもなるようなことをできたらいいなとも考えていました。
――ディズニーなら何ができると思われましたか?
山本 ストーリーテリングが会社の根幹である会社で新しい物語を作っていきたい、ディズニーのストーリーテリングを引き継いでいきたい、というのが、自分の中でありました。
映画では絶対にできないほど時間をかけた長いシーンから、最終的に見せたいものへつなげて深められるという、ドラマというフォーマットにとても興味を持っています。ディズニープラスでは「スター」がローンチして、(視聴者に)長い時間見ていただくという意味でも、ドラマを作るのが優先順位としては高く重要。個人的な欲求としても、ドラマで自分に何ができるのか、追求したいと思っています。
一方で、日本の映像業界は、映画もドラマも、物づくりをする環境として、時に過酷です。原因にあるのは、資金不足や時間のなさ。(ディズニーは)それらを解決できる場ではないかと思いました。準備期間をより潤沢に取れる、スタッフをそろえることで足りない部分を補える、単純に脚本をじっくりつくることも重要ですし、脚本に基づいてみんなで現場を設計していくということも、とても重要。そういうことが足りないということに気づき始めている人たちと一緒に、そういうことができる場をつくり上げられたらいいなと。成田さんともそういう話をしていました。
――この手の話になると、最近は韓国がすごいという話になりがちです。
山本 韓国に限らないと思うんですよね。ハリウッドは脈々とありる。本当にいいものをつくろうとすると豊かな時間が必要だし、それに見合うだけの時間、予算が必要になってくる。もう1度原点に戻るということに、みんなが気づき始めたんだと思います。
――動画配信サービスの普及によって、世界の一流のコンテンツに時間差なく触れる機会が格段に増えたことも、気づきのきっかけになったのでしょうか。
山本 それはあるかもしれません。今の20代は有利だな、うらやましいなと思うのは、僕らの時代は映画館に行って、あまり情報もないまま映画を見るしかなかった。やっぱり良かったなとか、これは見なくても良かったなとかいろいろあるわけですが、動画配信サービスが普及することによって、本当にクオリティーが高いものを、非常に効率よく見ることができます。クリエーターからしたら、それはすごく刺激になりますよね。
『シコふんじゃった!』は繰り返し語るべきもの
――入社わずか1年半で、『拾われた男』『すべて忘れてしまうから』『シコふんじゃった!』『ガンニバル』と4本に携わり、今年一気に配信がスタート。このラインアップの背景について教えてください。
山本 僕が入ったときに、既に『拾われた男』はお話があって、素晴らしいクリエーター陣、俳優陣であるし、成田さんも既に決めていたと思います。ディズニーはストーリーテリングを大切にしていて、100年間の歴史のなかで物語る技術、精神性みたいなものを培ってきた会社です。作品を見ていただければお分かりいただけると思うのですが、本当に優れた物語であり、俳優陣であること。そういう視点から作品を選んでいるなかでNHKさんからお話をいただき、じゃあ一緒に脚本を作っていけたら、ということになった作品です。
『すべて忘れてしまうから』は、僕がC&Iエンタテインメント時代に企画していたものでした。原作の燃え殻さんと出版社さんからお話をいただき、原作はエッセー本だったので1本の物語に仕立てあげなければいけないという課題がありました。そこで思ったのが、ポール・オースター原作、ウェイン・ワン監督の『スモーク』(95年)という映画なんですね。
素晴らしいオムニバスの妙があって、市井の人たちを描いているのに、あれほどおしゃれで、かつ感動的な作品はないなと。ああいう時間を視聴者のみなさんに提供できたら、こんなに幸せなことはないだろうと考えていました。ディズニーに来て、演出は岨手由貴子さん、沖田修一さん、大江崇允さんと才能ある方々にお願いしてつくり上げることができた。まだ最終話まで配信されていませんが、きっと最終話を見た後は、視聴者のみなさんにあたたかいものを受け取っていただけると思っています。
『シコふんじゃった!』は1992年の映画から30年後を描く相撲ドラマですが、常に繰り返し語るべきもの、時代が変わっても、純粋に真心として伝えたいというものはあると思わせる題材です。制作のアルタミラピクチャーズさんが長年にわたり培ってきたあの文法、話法というものが、本当にディズニーと親和性が高いと企画の段階でも思っていたのですが、作品が配信間近となった今も、強くそう思いますね。
例えば、ディズニー作品でスポーツと青春を描いた『クール・ランニング』(93年、日本公開は94年)という名作映画があるのですが、その文脈にも沿っている。その上で、常に時代を超えて語られてしかるべきもの、それは道徳的なことかもしれませんが、受け継いでいかなければいけないものがある。『シコふんじゃった!』というのは、まさにその系譜における作品の1つだと思います。
――ここに異色のコミックを原作とする『ガンニバル』が入ってくるわけですが、全体としてバラエティーに富んだ、またチャレンジングなラインアップと言えそうです。
山本 チャレンジでもあるし、ディズニーの姿勢が明確に出ているのかなとも。この四者四様は、それぞれに特性があるものだと思います。そのある種の豊かさが、ディズニーでローカルのオリジナル作品をつくるということの意味、1つの答えなのかなと、僕は理解しています。
後編では、『ガンニバル』について詳しく聞いていく。