1972年の1号店から2022年で50年目を迎える「モスバーガー」。外資系ブランドがひしめくバーガー業界で「国産」ブランドとして奮闘してきたが、最近は店舗数の減少など苦戦が続く。屋台骨であるフランチャイズチェーン(FC)オーナーの高齢化など積年の課題への対策を矢継ぎ早に打ち出し、国内店舗数で9年ぶりの純増転換につなげて再成長を目指す。

※「日経MJ」2022年4月1日付記事「モス50歳『老い』振り払う」を再構成したものです
2022年で50年目を迎えたモスバーガー
2022年で50年目を迎えたモスバーガー
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 「(次期中期経営計画の初年度である)2022年度にも国内店舗を純増に転換させたい」。モスバーガーを展開するモスフードサービスの中村栄輔社長は、22年度(23年3月期)に国内店舗数で9年ぶりとなる純増転換に意欲を見せる。

 モスバーガーの国内店舗数は14年度から8年連続で減少となる。21年度は1254店舗(22年2月末)となっている。ピークだった2000年度(1566店舗)の水準は遠い。1991年に進出した海外は店舗数の増加傾向が続いていた。国内事業の活力を取り戻すことは、モスフードの悲願となっている。

 モスフードの21年4~12月期の連結決算は営業利益で前年同期比3倍超の31億円、売上高で1割増の591億円だった。多くのファストフードチェーンが新型コロナウイルス禍に伴う持ち帰りや宅配需要の拡大で堅調な業績となるなか同社も好決算となった。

 消費者にそっぽを向かれているわけではないのに店舗数だけが伸びない。ここにモスフードの抱える課題が浮かぶ。

 オーナーの高齢化だ。企業オーナーが柱の日本マクドナルドと異なり、モスフードは個人事業からスタートし、後に法人化した比較的小規模なオーナーが多い。こうしたオーナーは実態としては個人経営に近く、事業承継に苦労するケースも少なくない。モスのFCオーナーの平均年齢は約58歳に達しており、新規出店の機運がなかなか高まらない面があった。

 国内にある「モスバーガー」店舗はモスフードの販売子会社の運営を含む直営が全体の2割、FCが8割と店舗網をFCが支えてきた。これまで柱であるFC店が減少してきているなか、FCが活性化しなければ成長戦略は描けないと判断し、オーナーを支援する新たな手を矢継ぎ早に打っている。

引退したアスリートもFCオーナーに

 21年から始めたのがオーナー向けに多店舗化のノウハウを伝授する勉強会だ。効率的な仕入れや物流でコストを抑えたり、人員を無駄なく配置して店舗運営をスムーズに進めたりといったノウハウを主に若手オーナーに伝える。新店建設や最新機器の導入にかかる費用のための融資も規模を拡大していく方針だ。

 21年からは多店舗展開しやすい一定の規模を持つ企業オーナーなどの誘致を本格化している。既に1法人との新規契約にこぎ着けたという。22年1月には引退したアスリートをモスバーガーのオーナーとして短期集中育成するプログラムも始めた。中村社長は「新しい血を入れることがチェーンの活性化につながる」と断言する。

モスバーガーの次の50年に向けた主な施策
モスバーガーの次の50年に向けた主な施策
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 ここに来て次々にテコ入れ策を打ち出せるのは、コロナ禍を経て財務に余裕が出てきたこともある。21年4~9月期のフリーキャッシュフロー(純現金収支=FCF)は54億円のプラスと過去最高を更新。コロナの流行が始まった20年度以降、投資を抑えてきたためで、21年12月末時点の現預金は169億円と2年前と比べ1.7倍に膨らんだ。新型コロナ感染拡大の収束を見据えてFC活性化への成長投資にかじを切る。

 モスフードはマクドナルドが1号店を東京・銀座にオープンした翌年の1972年、東武東上線成増駅近くに1号店を開き、創業した。繁華街など一等地戦略をとったマックに対し、モスは住宅街など「二等地」に出店する戦略を採用してきた。FC加盟店から受け取るロイヤルティーも低く抑えたことから、資本力の小さい個人事業主の受け皿となった。

 バブル期に急成長し、91年には台湾に海外1号店を出店するなど順調な成長曲線を描いた。だがバブル崩壊後に日本はデフレに突入した。マックが1990年代後半から徹底した低価格戦略で「デフレの勝ち組」になったのに対し、低価格販売とは一線を画したモスフードは停滞期に入った。

 モスバーガーの店舗数は2000年度にピークに達し、その後は長期的にみれば縮小傾向が続く。01年度は15年ぶりに純利益で10億円を割った。00年代後半に不採算店の大量閉店を行った。その後は創業時と異なり、FCオーナーの獲得も容易ではなくなっている。

健康でおいしい「緑モス」戦略も奏功

 現在のモスバーガーの「健康でおいしい」とのイメージにつながる取り組みも時間をかけて浸透してきた。04年から赤色の看板を緑色基調のものに変える「緑モス」戦略がスタートし、当時は「サラダごはん」など野菜を前面に押し出した緑モス限定のメニューもあった。

 1990年代後半には使用している野菜の産地を伝える掲示板を始めたり、2004年にはレタスで挟んだハンバーガー「モスの菜摘(なつみ)」を発売したりした。06年からは農業に参入し、自社で野菜生産を手掛けている。世界的にバーガー業界で注目を集める植物性たんぱくを使ったハンバーガーも15年に発売するなど、食と健康にこだわるブランドイメージを確立してきた。中村社長は「健康とおいしさの両立がモスバーガーのイメージ」(中村社長)と語る。

レタスで挟んだハンバーガー「モスの菜摘(なつみ)」
レタスで挟んだハンバーガー「モスの菜摘(なつみ)」
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パティに大豆肉を使用した「グリーンバーガー」
パティに大豆肉を使用した「グリーンバーガー」
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 ただ最近は大手バーガーチェーンも相次いで大豆肉バーガーを投入するなど、健康ニーズを強める消費者の奪い合いは激化している。コロナ後の安定成長のためには、国内戦略を強化すべき時期に来ている。

 個人オーナーと歩んできた50年の歴史のなかでモスバーガーは独特の発展を遂げてきた。FCオーナー同士が経営指導し合う「共栄会」がその1つだ。FC同士の横のつながりが強い上、中村社長も定期的にオーナーとオンライン会議や慰労会などで顔を合わせる。

 20年から断続的に限定発売している「まぜるシェイク」は、コロナ禍で販路が減って困っている埼玉県のイチゴ農家を支援したい現地オーナーからの相談が発端だった。販売ではエリアごとに果物を変えての展開となった。オーナーからの発案で本部が動いた。

 「地域に密着した店舗運営で、外食の楽しさやあたたかさを来店客に感じてもらいたい」(中村社長)。時に消費者から「真面目すぎる」と言われるモスバーガーだが、画一的になりがちなファストフードチェーンの運営のなかでこうした真面目さは魅力の1つともなり得る。

 成長が続く海外では、栄養価が高く「スーパーフード」とも呼ばれる穀物のキヌアを使ったライスバーガーなど独自の企画があり、中村社長は「海外で生まれたアイデアを日本に取り入れることもあり得る」と話す。

 シンガポールではロッカー型の非接触型店舗を同社として初めてオープンした。こうした店舗も今後、日本に持ち込む可能性はある。中村社長は「店作りだけでなくサービスのあり方も含め、国内と海外で相互発展していきたい」と語る。

(日本経済新聞社 安藤健太)

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