USJ復活の立役者として知られる森岡毅氏が率いるマーケター集団「刀」。テーマパークや飲食業界などで腕を振るってきた同社が2022年9月、子会社を通じて高血圧疾患に特化したオンライン診療サービス「高血圧イーメディカル」を本格始動させた。コロナ禍を機にオンライン診療の解禁が進み、今では初診からの診療が恒久的に認められている。そうした中、医療領域に乗り出す真意を森岡氏に聞いた。

※日経トレンディ2022年12月号より。詳しくは本誌参照

ダミーダミー戦略家・マーケター「刀」CEO 森岡 毅氏
マーケター「刀」CEOの 森岡毅氏
戦略家・マーケター「刀」CEO 森岡 毅氏
暗黙知とされてきたマーケティングノウハウを形式知化した「森岡メソッド」を経営危機下のUSJに導入し、僅か数年で再建させた立役者。2017年にマーケティング精鋭集団「刀」を設立し様々な業種でプロジェクトを推進中。22年春、AMDアワードの功労賞、渡辺晋賞を受賞した

 

——刀が開発する新規事業として高血圧オンライン診療を選んだ理由は?

森岡毅氏(以下、森岡) 「日本人の健康寿命を延ばす」という大義があるからです。日本人は戦後、寿命を飛躍的に延ばしましたが、その原動力の一つは1970年代に普及した降圧剤です。高血圧を制御できるようになり、脳血管疾患の死亡率が一気に下がったのです。世界一の長寿国になりました。今も高血圧有症者は4300万人もいますが、その半数近くが何十年も前から存在する治療ができていません。高血圧症は管理可能な病気で、しっかりとケアすれば脳血管疾患や心臓疾患のリスクを大きく減らせます。高血圧の未治療・未継続の問題に取り組むのは大切だと判断しました。

——医療業界にマーケティングを導入する意義は?

森岡 医療もサービス業のはず。にもかかわらず高血圧治療が必要な人の半数が適切な治療を受けていないのは、サービス業として不足している部分があるからです。個々の医師は純粋な使命感を持っておられるのでしょうが、業界となったときに十分に機能していないのではないでしょうか。さらには、医療業界には人の行動変容を動機付けるマーケティングのノウハウが必要です。そここそが、刀が入っていく領域です。ただし総合医療サービスを始めるつもりは、ありません。日本人の健康寿命にインパクトが大きい高血圧症に集中して取り組むつもりです。

——高血圧治療を受けない人が多い理由をどのように分析されたのか?

森岡 従来の制度では、治療を継続するのに必要な患者側の時間的、労力的なコストが高すぎました。症状が安定していても薬を飲み続けるために病院に行って長時間を費やす。それは忙しい現役世代にはとても難しいことです。良い薬が何十年も前からあるのに消費者に届けるための社会システムは進歩してこなかった。残念ながら消費者(患者)視点が欠落しています。オンライン診療は、高血圧患者側の時間的コストを下げるのに最適な手段と考えます。

 この事業は、私ではなく、刀のメンバーたちの発案からスタートしています。「医療業界を変えることで日本人の健康寿命を延ばし、豊かな人生を劇的に増やせる」と訴える彼らの熱い思いに強く共感しました。そして高血圧オンライン診療の先駆者である「テレメディーズ」の個人向け事業をベースに、サービスやブランドを消費者視点で設計し直しました。高血圧に特化した全国規模のオンライン診療サービスは他にありません。事業としては乗り越えなければいけない壁もありますが、やりがいがあります。

刀の子会社、イーメディカルジャパン副社長COOを務める塩谷さおり氏。楽天を経て20年に「刀」入社。医師一家の出身であり、本サービス発案、ブランド設計を手掛けた
刀の子会社、イーメディカルジャパン副社長COOを務める塩谷さおり氏。楽天を経て2020年に「刀」入社。医師一家の出身であり、本サービス発案、ブランド設計を手掛けた

——高血圧イーメディカルのブランド設計で重視したことは何ですか?

森岡 患者を見守るモニタリング機能が、サービスで最も進化した部分です。そのために血圧を測定・集計するアプリをメンバーたちが実用化しました。たとえ病院に継続的に通っていても、診療と診療の間に自分の症状に何が起きているのか患者は全く分かりません。その点、イーメディカルなら血圧を毎日モニタリングしているので、医師が患者の状態をしっかり把握できる。不調があればいつでも医師とコミュニケーションが取れる。うたい文句は「通院しない便利さと、いつも繋がる安心を。」。便利さだけでなく、「安心感」を重視しました。要は患者自身が診療内容や成果を把握し、自分をコントロールできている達成感が、継続治療の重要なカギだと我々は考えています。

22年9月末から「高血圧イーメディカル」初のテレビCMを関東で放映中。主役は患者であり、患者視点でサービスのメリットを訴求する
2022年9月末から「高血圧イーメディカル」初のテレビCMを関東で放映中。主役は患者であり、患者視点でサービスのメリットを訴求する

新事業の是非は3つの尺度で考える

——手応えのほどは?

森岡 21年秋からプレローンチしましたが、「全く初めて診療開始した人」と「過去診療していたが中断した人」が利用者の約8割を占めました。未治療・未継続の人たちに強い需要があることを実感しています。

——刀という会社にとって、この事業はどのような意味があるのでしょう。

森岡 刀が新しい事業を始めるときは、大前提として3つの尺度で是非を考えます。1つ目は大きな価値、大義があるか。2つ目は刀の強みが生きるかどうか。3つ目は事業を継続していくうえでフェアなリターンが望めるかどうかです。イーメディカルを3つの尺度に付き合わせると、1は「抜群」、2は「そこそこ」、3は「微妙」でした。そしてゴーサインを出しました。

——ビジネスとしては「微妙」でも、「抜群」な大義を優先したのですか?

森岡 今回は、他社のマーケティング戦略を考えるのではなく、刀の子会社を通した自社開発事業です。ある程度リスクを取らないと成長は望めないでしょう。USJ時代は、得意とする数学マーケティングを駆使し、60発以上の弾を放って成功率は97%でした。しかし当時から、成功率は7割あれば十分で、3割の前向きな挑戦を許容する経営こそがブレイクスルーを生み出すことは分かっていました。100%を目指すとホームランを逃してしまうからです。最高の経営とは失敗を許容して、適正なリスクが取れることです。

——「乗り越えなければいけない壁」があるとのことですが具体的には?

森岡 壁の1つは、市場構造です。世の中には絶対に便利なサービスでも、定着に時間がかかることがあります。ETCカードの普及には約10年を要しました。特に高血圧症はユーザーの重心が中高年層にあるので容易ではないのです。この世代は新しい行動様式を受け入れて習慣を変えるのが難しくなっています。今までのやり方で生きてきたのだから、新しい方法に変えて未知の問題に直面するのを恐れるのが人間の本能なのです。自己保存の本能に関わる問題なので、たとえ大資本が大量の広告宣伝費を投下してもこの構造を短期的に乗り越えるのは難しい。ある程度の時間がかかるはずです。

 もう1つは医療業界そのものの構造です。人の命というセンシティブなものと向き合っているので、当然、規制が厳しい。刀としても医療領域の経験がないことを謙虚に受け止めて専門家と共に慎重に事業を進めていきます。

——今の若い世代も、いずれは高血圧に悩む。オンライン治療は彼らに早めの治療を促すことになるでしょうか?

森岡 そう願っています。今も未治療の人には、忙しくて病院に行く暇がない世代が多くいます。この人たちが自宅で僅か15分程度の診療を受ければまっとうな治療が続けられると気付くことは、たいへん重要です。若い人は人生の残り時間が長いわけですから、日本社会の活性化にもつながるでしょう。オンライン治療をフックに高血圧に関心を持つ人が増えれば、おのずと対面診療の受診者も増えます。イーメディカルは従来の病院のライバルではありません。今も約2000万人もが医療業界として未開拓なまま。日本人の健康寿命を延ばす大義に賛同する皆さんと、新たな習慣を根付かせたいです。

《高血圧イーメディカルの利用法》
医師に無料オンライン相談(最適な治療方法のアドバイスなど)→入会申し込み

オンライン診療プラン

(月額:税込み4950円。診療代、薬代、配送料などすべて込み)

(1)血圧計が届き、アプリと接続。朝・晩の測定を続ける

血圧データを医療チームがモニタリング。アイコン表示などで、患者も血圧状態を直感的に把握できる(左)。オムロンのブルートゥース対応血圧計(右)が無料で貸与される
血圧データを医療チームがモニタリング。アイコン表示などで、患者も血圧状態を直感的に把握できる(左)。オムロンのブルートゥース対応血圧計(右)が無料で貸与される
(2)次の診察をアプリから予約(症状により異なるが1〜2カ月に1回)

(3)オンライン診療(ビデオ通話で15分程度)
専門医らが診療。目線の合わせ方や鼓舞する言葉に信頼を寄せる患者が多いという(写真はイメージ)
専門医らが診療。目線の合わせ方や鼓舞する言葉に信頼を寄せる患者が多いという(写真はイメージ)
(4)薬が自宅に届く(数日以内)

※血圧計とアプリで経過観察をするモニタリングプラン(月額税込み1650円)もあり。両プランともチャット相談可能。随時、医療チームから「見守り」連絡あり
注)USJの正式名称はユニバーサル・スタジオ・ジャパン

(写真/大髙和康、写真提供/刀)

注)このインタビューは、「日経トレンディ」2022年12月号に掲載しています。日経クロストレンド有料会員の方は、電子版でご覧いただけます。
▼関連リンク 「日経トレンディ」(電子版)
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