「顧客勘定」メソッドを実践している企業として、富士フイルムが挙げられる。スキンケアブランド「アスタリフト」シリーズで実施したワントゥワンマーケティングの成功例を他の事業領域でも展開し、成果を上げている。書籍『売り上げを倍増させる“顧客勘定”マーケティング “赤字顧客”を黒字に変える実践手法』の企業事例編からお届けする。

年賀状印刷のリピート注文率が向上中の富士フイルム
年賀状印刷のリピート注文率が向上中の富士フイルム

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10年で市場が10分の1以下に、本業消失の危機乗り越える

 富士フイルムは、その社名の通り写真用フィルム事業を主軸とする企業だった。だが過去形で記したようにそれは20世紀までの話。フィルム事業はかつて同社の売上高の6割、利益の3分の2を稼ぎ出していたが、その需要は2000年をピークに急減。06年には半減し、10年には10分の1規模にまで縮小した(図1)。

【図1】カラーフィルムの世界総需要推移
【図1】カラーフィルムの世界総需要推移
出所:富士フイルムホールディングス イメージングソリューション事業説明会資料p5(2018年3月22日)

 世界最大のフィルムメーカー、米イーストマン・コダックが破綻に至るほどの本業消失の窮地に立たされながらも、富士フイルムは事業ドメインを柔軟に変容させて成長を続けている。フィルムや印画紙など従来の写真関連ビジネスで培った技術を転用・応用し、液晶用フィルムのような成長中の市場を開拓したり、X線フィルムで接点のあった医療向けにレーザー内視鏡を提供したり、化粧品・サプリメント事業に進出したりと、既存技術を棚卸ししたうえで事業ドメインを再構築したことが、富士フイルム2.0ともいえるトランスフォームに成功した要因だ。

 もっとも、既存技術を転用・応用して商品・サービス化できることと、それが実際に売れることとはイコールではない。特に化粧品のような既存の大手各社がしのぎを削る激戦区は、富士フイルムという知名度があろうともそれだけで買い続けてくれるような容易なマーケットではない。

既存顧客に注力して伸びた「アスタリフト」

 同社のスキンケアブランド「アスタリフト」シリーズは、07年の発売以降、松田聖子と中島みゆきが登場するテレビCMなどが話題になり、売り上げを伸ばしていったものの、リピーターを維持・育成するよりも新規顧客拡大に注力した結果、多くの離反が起きていた。

 そこで11年、アスタリフトを管轄するライフサイエンス事業部でEC事業見直しに着手。まずは購入者の熱量が最も高い初回購入時の商品が届いたタイミングで、購入のお礼と「これからパートナーとしてアスタリフトが寄り添っていく」旨のメッセージを送信するところからスタート。タイミングを見計らって2回目の継続購入を促進するメールを打つなど、購入時間・曜日といった情報を基に約300のプログラムを用意して、ワントゥワンマーケティングを展開した。結果、既存顧客の維持・育成への注力が奏功し、2年で売り上げを5倍に伸ばす成果を上げた。

 こうした成功例を部門横断的に共有して展開すべく、13年にe戦略推進室(現デジタルマーケティング戦略推進室)の人員体制などを強化。デジタルマーケティングの取り組みがそれぞれの事業領域で加速した。

年賀状リピーターが2年で4割から6割に

 紙に出力する従来型のフォトイメージング事業も、デジタルマーケティング強化によってよみがえった。写真年賀状がその代表例だ。

 年賀はがきの発行枚数は、03年の44億6000万枚をピークに、21年は21億3000万枚と半減している(図2)。特に30億枚を割った18年以降の減少幅が大きい。それでも今なお20億枚にも上るはがきが毎年決まった時期に投函(とうかん)される市場で固定客をつかめれば大きな収益を見込める。

【図2】年賀はがきの総発行枚数
【図2】年賀はがきの総発行枚数
年賀はがきの発行枚数は減る一方だが、年賀状印刷のリピート注文を着実に獲得(出所:日本郵便、旧日本郵政公社の公表データより作成)

 「あけおめ」メールまたはLINEで年始のあいさつが済んでしまう若者層の“年賀状離れ”は深刻だが、そんな若者も紙の年賀状を検討するタイミングがある。それは結婚や出産、引っ越し、転職といったイベントがあったとき。親戚も含めてここで一度「結婚しました」「子供が生まれました」「引っ越しました」報告をしておこうと考えるのだ。

 そこで、年賀状と掛け合わせて検索されるこれらのキーワードに沿った年賀状作成指南のコンテンツを制作し、そこから同社の年賀状印刷サービスを知ってもらう流れをつくった。年賀状の作成検討者が何に困り、何を知りたがっているか。検索ワードの検索意図に応える記事コンテンツからの“さりげない”誘導で、新規顧客を獲得していった。

 既存顧客には年賀状準備シーズンに向けてメールで案内をするが、ここで強力なアピールになるのが顧客の状況に見合った年賀状の提案だ。例えば3年前、5年前に「子供が生まれました」年賀状を発注した顧客には、七五三の写真年賀状をメインサンプルにした案内メールを配信。メールが開封されない人にはダイレクトメール(DM)を送付する。

 こうした過去の発注時の顧客属性をアップデートした状況ターゲティングの取り組みによって、19年に40%だった同社の年賀状印刷利用者のリピーター割合が、20年には50%、21年には60%にまで上昇したという。顧客の購入行動に寄り添ったコミュニケーションにより自分ごと化してもらうことが、翌年のリピート発注をもたらすのだ。

年賀状からカレンダー、フォトブックへ多重活用

 こうした顧客の状況を生かすマーケティングは、年賀状印刷の範囲にとどまらない。子供中心の年賀状であれば、そこに載せるベストショット写真の背後に十数枚の捨てがたい候補の写真があって、恐らく泣く泣く落として絞り込んだに違いない。そしてスマートフォンやデジタルカメラには、数百枚から1000枚超の単位に上る子供の写真がストックされているはずだ。

年賀状から外れた写真はカレンダーやフォトブックに
年賀状から外れた写真はカレンダーやフォトブックに

 そこで、年賀状発注のお礼メールとともに、オリジナルカレンダーやフォトブックを案内する。月替わりのカレンダーであれば、年賀状に載せられなかった12枚の写真が日の目を見る。そのままならばスマホの中に眠る何百、何千枚のうちの十数枚が、毎日目にする実用品になるのだから、子供のいる家庭にとっては強いインパクトがあるだろう。さらに「1歳の誕生日のタイミングでフォトブックを作ろう」「自宅用と双方の実家用に計3部注文しよう」という具合に、無理なく客単価を上げていくことができる。

壁掛け写真をインスタプロモーションで若者に訴求

 フィルム写真の時代であれば、現像・プリント・焼き増しが大きな収益源であったが、スマホ時代は撮って送って見ることで完結しがち。写真を撮ること自体は好きな国民性だが、プリンティングビジネスを拡大することは容易ではない。

 一方、諸外国では写真をプリントして階段に飾ったり、リビングに写真立てを並べたりと、インテリアとしてプリント写真を有効に活用している。もちろん日本の住宅が総じて狭いといった事情はあるものの、花を飾るよりもスペースを取らない写真は、もっと生活空間に入り込む余地があっていいはずだ。そんな仮説から、富士フイルムのラボでお気に入りの写真をパネル加工(額装)して壁掛けできるサービス「WALL DECOR(ウォールデコ)」を17年から開始した。

 ウォールデコ開発以前から、同社では写真を飾る文化を定着させようと、何十年間も提案してきたが、なかなか根付かなかった経緯がある。そのため新商材のウォールデコの販促に当たっては、過去の経験から親和性があるであろう写真好きで生活にゆとりのある50代以上を対象に提案すべきであるとの声が大きかった。そこで、多くの写真好き層の顧客が付いている写真専門店はこの世代を対象とし、ECについてはターゲットを若者層に切り替えた。若者が写真をプリントする目的として、「思い出を形に残す」以外に、「部屋に飾る」「人にプレゼントする」という用途がアンケート結果からうかがえたためだ。

 若者層にウォールデコの魅力を伝えるプロモーションの舞台をインスタグラムに設定。広告ではなく、写真を飾っているシーンや壁掛け写真のある生活シーンを、ウォールデコのコンセプトに共感したインスタグラマーにアップしてもらう施策を実施した。

 施策後、多くのフォロワーを持つ同世代インスタグラマーのセンスあふれる投稿に共感した若者層からのサービス申し込みが、顕著に増加。企業対消費者という縦の線ではなく、ユーザー同士の横のつながりが面として広がり、写真で生活を彩る体験を訴求できたことが成功の要因になった。

 顧客が置かれている状況や思いをしっかり把握し、売らんかなの広告ではなく、「こんな商品・サービスが欲しかった」と思ってもらえるようなコンテンツで訴求し、既存顧客に対しては個々の状況に応じたワントゥワン施策でアプローチする。富士フイルムのフォトイメージング部門の取り組みは、他業態でも広く応用が利くはずだ。

※本稿は、同社デジタルマーケティング戦略推進室でマネージャーを務めた一色昭典氏(21年7月退社)への取材を基にまとめた。

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