ビジネス界で注目を集める「アート思考」は、人間が持つ創造力を解放し、新たな発想を生み、イノベーションにつなげる思考法。感性を重視しながら論理性も高めていくものだが、興味はあるけれど具体的にどう取り組めばいいのか分からない、というビジネスパーソンは少なくない。そんな悩みを解決するヒントが満載の書籍『仕事に生かすアート思考 感性×論理性の磨き方』の内容を、一部抜粋・再編集して紹介する。

『仕事に生かすアート思考 感性×論理性の磨き方』(日経BP刊)
『仕事に生かすアート思考 感性×論理性の磨き方』(日経BP刊)

 新規事業やイノベーションを起こすためには、既成概念を壊すような発想力や創造力が必要だ──そう言葉にするのは簡単ですが、実践するのは容易ではありません。「アート思考」は、そんなビジネスの現場で課題を突破するためのものとして注目が集まっています。人間が本来持っている個性や創造力を発揮し、新たな発想と論理性、そして自分の“軸”を統合し、事業を生み出す。これこそが、閉塞感に満ち、先行き不透明な社会で最も求められているアート思考の本質です。

 近い将来すらもどうなるか分からない。そんな時代を迎えた今、これまで積み重ねてきた知恵や知見が通用しなくなっています。だからこそ、今までにない新しい発想に変えていく必要があるのです。今、ビジネスにおいて論理性だけを問う場面が多く見受けられますが、果たしてそれだけで新しいビジネスを生み出すことができるのでしょうか。

 歴史を振り返ると、視点を変え、常識にとらわれず自由に発想することで、絶対に無理だと思われていたことを実現できたり、皆が常識だと思っていたことを覆し、新たな発見につながったりしました。

 イノベーションというと、GAFAMなどのプラットフォーム企業を思い浮かべる方が多いでしょう。ところが、本当のイノベーションはもっと身近な、普段は意識しないようなところにもあるのです。ここでは、世界の歴史と日本の歴史から、「今では当たり前になっているけれど、当時は大きなイノベーションだった」もので、私が好きなエピソードを2つご紹介したいと思います。

 1つ目は、阪急電鉄をはじめとする阪急東宝グループ(現・阪急阪神東宝グループ)の創業者、小林一三の話です。

 1910年ごろ、小林一三はこれからの経済の成長を考えると、都心だけでは宅地が足りなくなると予測し、「郊外に住もう」というアイデアを打ち出しました。しかし、当時の日本は「都心に住む」ことが当たり前の時代で、「郊外に住み、都心の職場に電車で通う」ことは例外中の例外。郊外とは田んぼがあるところで、そこに住んで都心の仕事場まで電車に乗って通うような発想はありませんでした。つまり、郊外に宅地を開発するということは、画期的なイノベーションだったのです。小林一三は自ら「郊外に住もう」という車内のつり広告のキャッチコピーをつくり、それまでの常識に挑戦しました。

 このエピソードのように、社会を変えるような変化は大抵、「そんなアホな」と思うような(それまでの視点から見れば)非常識が入っているものです。

 その後、多くの方がご存じの通り、梅田というターミナルに百貨店を建てたり、都心の反対側に宝塚歌劇団を創設したりするなど、いわゆる「電鉄モデル」をつくり上げたわけです。その後、このモデルが、日本全国の都市と交通インフラのデファクトスタンダードのような位置付けとなりました。

 2つ目は、第二次大戦後の首相、吉田茂です。当時の日本は、戦後の荒廃の中、国土の交通の中心を何にするかが課題でした。官僚や学者は「論理的」に考えて、狭い国土にぴったりの交通手段は「電車だ」と結論を出しました。ところが吉田は「車だ」と言います。「アメリカには戦争で負けた。これからは経済戦争だ。それにはアメリカ最大の産業の車で勝たねばならない」。この構想を基にして全国に道路が敷かれ、車のための国土開発が行われました。結果、日本の自動車会社がデトロイトに勝ったことは皆さんよくご存じでしょう。その背景にはこんなお話があったのです。強い個人の意志が生んだ勝利と言えるでしょう。

 このように、今では当たり前と思えるような社会の大きな方向性やインフラのようなものでも、たった1人の個人の思いが、それも論理性だけでは説明できない思いが誕生の発端となる可能性があるのです。人間が作るあらゆるものには、「初め」があります。有名なイノベーションとして残ったものもありますし、誰かが最初にトライしてみたがその人の名前すら残っていないケースもあります。

 論理的な答えだけでは、社会的なインパクトを十分出せるとは限らない。創造性も取り入れて、社会課題や経済課題を考えることこそが、次の経済をけん引する。今、存在している大きなものだけが生き延びるのではなく、独自の道はいくらでもある。こういう感覚を持つことはとても大事です。小林一三と吉田茂のエピソードは「極めてアート思考的」と言えます。

BODAIアート思考とは

 私が代表を務めるBODAI(Business Open-mind Design Art Inspiration、ボダイ)では、アート思考を「アーティストのように『自分軸』で創造的なアイデアを生み出すこと」と定義しています。目指しているのは、人間誰もが持っている創造性を引き出し、高めていき、ビジネスに生かすことです。

 アート思考を「感性(創造性)」と「論理性(実現可能性)」の2軸で体系化し、主に企業の事業構想のための研修やセミナーを行っています。個の創造性だけでなく、ビジネスに生かすという目的がある以上、「論理性(実現可能性)」は不可欠です。また、新規事業や業務・組織改善などでもアート思考を取り入れ併走、実践しています。

 このとき、特に大事なのはプロジェクトメンバーが自分軸を起点に、そこから情熱を引き出すことです。今までにないアイデアやビジョンを生み出すうえで重要なのが、個人の強い意志です。

 これまで企業は資本主義の原理に従い、手持ちの資産や技術を活用し、差別化をして競争を制し、利益を得るという原理で成長してきました。それらを率いるリーダーシップは、高い地位を持つ人が最も力を発揮し、優秀な人を選抜。適材適所に配置することにより、成功に導いていきました。組織は、上意下達のピラミッド型で、1つの方向を目指し、統率していくことが大事とされました。従って上下関係は絶対であり、組織の中と外も明確に区別される。一言で言うと「経営が意志をつくり、社員はそれに従う」ことが企業の原理だったのです。

 ところが、最近の企業は、このようなやり方では社会課題や顧客の課題を解けなくなってきています。利益や成長より「大義」や「共感」が重視されるようになってきたからです。上司が部下を選抜して力を与えるのではなく、現場で併走するメンター的なリーダーシップが求められるようになってきます。

社会を表すキーワード
社会を表すキーワード

 こうした企業の利益の源泉は、資産や技術だけではなく、幸福やデータも加わってきています。そのため企業全体よりも個人が主役となり、一人ひとりの意志の集合体が企業の意志となってきているのです。それに伴い、組織はフラットになり、様々なプロ集団が提携や連携を行い、マッチングネットワークの重要性も増しています。これまでは企業同士の連携だったものがフラットに分散化され、個人同士の連携が重要になってきているわけです。

 こうした状況から、企業の様々な課題や矛盾を解き、新規事業やイノベーションを起こすためには、既成概念を壊すような発想力や創造性が必要だと考えられるようになりました。その手法として取り入れられているのが、デザイン思考をはじめとする様々なフレームワークやメソッドです。そこに新たに「個」に焦点を当てたアート思考が登場し、注目を集めています。

アート思考が注目を集める理由

なぜ今、アート思考なのか
なぜ今、アート思考なのか

 アート思考のワークショップや研修、講演会を開催すると、「なぜ今、アートの手法を活用するアート思考なのか」という質問が一番多く寄せられます。アート思考が必要とされている理由は、大きく3つあります。

 1つ目は、先にも言ったように、従来通りのやり方ではビジネスの課題を突破できなくなっているからです。これは、企業のコンサルティングを行っている私の経験からも実感していることです。

 企業の既定路線の中で、新しい何かを生み出せといっても、簡単ではありません。いついつまでにこれだけの利益を出せとか、3カ年計画の通りにやれとか、そういう指示も必要だとは思いますが、果たしてそれだけでいいのでしょうか。様々な制約条件をいったん脇に置いて、自分軸でものごとを考えると、ちょっと違う視界が開けるはずです。アート思考が最も力を発揮するのは、そういうときです。

 2つ目は、AI(人工知能)の台頭です。これによって私たちは、AIにはできない人間らしい仕事の仕方とは何か、を考えるようになりました。人間らしさとは、極論すれば一人ひとりの好き、嫌いといった根源的な感情にあると言っていいでしょう。アーティストが自らの内面を表現するように、アート思考は、一人ひとりの内面に目を向け、そこから創造性を引き出します。

 3つ目は「個の時代」になったことです。社会はこれまで、細かく分化して、たくさんの役割に分かれてきました。そのため、我々は自分に与えられた役割を果たすことに主に意識が向き、いつのまにか組織の歯車的な存在になりがちでした。多くの人々が仕事における自分の意志、個としての意志や全体感を失ってしまったと言っていいでしょう。

 未来がある程度予測でき、課題が明らかで、それを解決する答えもある。その答えをいち早く見つけ出し、モノやサービスを生産する効率を高めていけばいい社会では、こうした手法も十分に意味がありました。しかし、これからは地図のない時代です。解決すべき課題は何かさえ明確ではありません。そんな中、私たち一人ひとりが個としての意識を高め、進むべき方向を考える必要があるのです。個が創造性を発揮して初めて、新たな発想や過去とは違う切り口の事業アイデアが生まれます。そのプロセスをサポートするのがアート思考なのです。

注:参考文献『宰相吉田茂』(高坂正堯著、中央公論社、1968年)

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