インクルーシブデザインとは、障がい者など制約のある人々の不便やニーズをイノベーションにつなげるためのデザイン手法。デザイン思考と組み合わせて活用する。前回は「アイデア」から「プロトタイプ」の流れについて解説した。今回はデザイン思考の最後のステップである「テスト(評価)」と、これまでの振り返りをインクルーシブデザイン・ソリューションズ(IDS、東京・江東)社長の井坂智博氏にまとめてもらった。

車椅子の方などが利用する「高齢者障害者等用便房」(多目的トイレ)の写真。どこかに違和感を覚えないだろうか……
車椅子の方などが利用する「高齢者障害者等用便房」(多目的トイレ)の写真。どこかに違和感を覚えないだろうか……

ちぐはぐなユニバーサルデザインが散見される

 いよいよデザイン思考の最後のステップである「テスト(評価)」に入ります。いきなりですが、クイズを出したいと思います。上の写真を見てください。皆さんはこの中に何か違和感を覚えないでしょうか?

 写真は「高齢者障害者等用便房」(多目的トイレ)です。駅やデパート、公共施設などで見かける車椅子対応のこうしたトイレは、障がい者でも快適に利用できるユニバーサルデザイン(UD)の考え方に基づいて設計されています。多機能化された「日本のUDトイレ」は今、世界で一番進んでいるといわれています。

 しかし、よく見てください。置かれているゴミ箱は「足踏みのペダル式」です。いったい、車椅子の方はこれをどうやって使えばいいのでしょうか。誰にとっても使いやすいトイレとは言えません。実はこうしたちぐはぐなUDが、街の施設などに散見されるのが実情です。

 なぜこのようなことが起こるのかというと、根本的な原因は評価に入ってからようやく制約のある方が開発に加わるからです。インクルーシブデザインが目指す理想――製品・サービス開発の上流(デザイン思考の「共感」や「問題定義」)から障がいのある「リードユーザ」が加わる――が実現していたらこういった問題は生じなかったでしょう。「私たちはこのゴミ箱を利用することができません」と言ってくれたはずです。そもそも評価のステップだけアリバイ的に制約のある方の意見を聞くのはインクルーシブデザインではありません。

評価での問題点は修正されない

 そしてもう1つ原因があります。それは評価における日本企業の考え方そのものにあります。プロトタイプをつくり、評価の段取りまでことが進んでしまうと、そこから問題点を修正するという考えに至らないのです。おそらく写真の多目的トイレも評価のステップで「ゴミ箱がない」あるいは「このゴミ箱は使えない」と指摘を受けたはずです。なのに、前者の指摘ではゴミ箱をとりあえず置いただけ、後者の指摘には次回の改修のときに一緒にやりましょう、と問題を先送りにしたのではないかと推察します。

 経験のある方もいらっしゃると思いますが、実際に製品をリリースするうえで、評価段階まで進んでしまうと「販売開始日」「プロモーションのスタート」なども合わせて確定していることは非常に多いです。また、アプリなどのUI/UX(ユーザーインターフェース/ユーザーエクスペリエンス)は比較的、評価からの修正はしやすいですが、これが金型などを使うものだったりすると、大幅に製品を手直しするのは、再び多くの予算と時間を割くことになります。結局、プロトタイプがそのまま世の中に出ていくことになります。

 しかし、デザイン思考とはうまくいかなければ戻ったり、繰り返したりして競争力のある製品・サービスを生み出す手法です。とりわけ、「戻る・繰り返す」を短期間で実施することによって、製品・サービスのプロトタイプがどんどん成長していきます。最初からプロトタイプの完成度を高めるのではなく、製品・サービスと同時に担当者も一緒に成長していくことが大事です。成長の過程で開発に参加した担当者の視座が高くなり、視点が広くなれば、企業にとってはかけがえのない財産を手にしたと言えるでしょう。

問題が発生すれば前のステップに戻ったり、繰り返したりしてプロトタイプの完成度を高めていく
問題が発生すれば前のステップに戻ったり、繰り返したりしてプロトタイプの完成度を高めていく

 ここまでデザイン思考と組み合わせたインクルーシブデザイン(最近では「インクルーシブデザイン思考」と呼ばれることもあります)を解説してきました。障がい者や高齢者などの制約のある方々を観察することはたくさんの気づきを与えてくれますし、環境制約を考えることは事業の持続性を高めてくれます。そして観察した具体的な不便をアイデア勝負で解決するのではなく、不便の内容の抽象度を上げることで背後に潜む社会課題を明らかにして問題定義を行い、うまくいかないときは前のステップに戻る勇気をもって製品・サービスの開発を進めてみてください。皆さんのお仕事にこの連載が少しでもお役に立てれば幸いです。ありがとうございました。

 次回はこの連載の最終回です。皆さんもよくご存じの独立研究者・著作家・パブリックスピーカーの山口周氏との対談を予定しています。なぜ今、問題定義が重要なのか、そしてこれから求められる人材について議論する予定です。

(構成/中山洋平、図版はIDSの資料を基に編集部で作製、写真提供/IDS)

【活用事例】
NECソリューションイノベータ~視点を広げる、社員の意識改革に活用

 デザイン思考やインクルーシブデザインの考え方を人材育成や組織改革に活用する企業が増えている。NECソリューションイノベータでは、社員の意識改革に活用。その旗振り役を務めた同社プラットフォームサービス事業部ゼネラルマネージャーの川中謙一氏に意識改革の必要性と実際の成果について聞いた。


 NECソリューションイノベータは、企業や自治体のシステム開発がメインの事業なので、顧客のリクエスト通りにシステムを納入することで売り上げを立てていました。ですが、今後事業を拡大するには、言われたものをつくるだけでなく、顧客に新たな価値を提供するビジネスモデルへの転換が必要でした。これは全社を挙げての方針です。

 この方針を社員に意識してもらう方法に悩んでいた2016年、インクルーシブデザインのワークショップと出合いました。極端に制約のある障がい者を観察する手法に感化されつつも、本質は「視点を広げる」ことにあると思いました。私が所属するプラットフォーム事業ラインは、開発を担当しているので顧客と直接話す機会が少ない組織ですが、顧客のさまざまな経験を聞く、つまり観察することが視点を広げ、新しい価値の提供につながると痛烈に感じました。

 そこで自分の部下にもワークショップに参加してもらいました。参加者の6~7割が自分と同じように視点を広げ、顧客から話を聞くことの大切さに気づいたと思います。最近は対象をプラットフォーム事業ラインの全社員約2500人に広げて、年に1回20~30人ほどを募集してワークショップに参加してもらっています。

 成果も出始めました。例えば2017年7月に販売を開始したクラウドサービス「NEC 働き方見える化サービス Plus」(当時の名称は「NEC 働き方改革支援ソリューション」)は、顧客の要望から開発がスタートしたので、世の中で働き方改革が注目されるのと同時に製品化できました。また、利用者のパソコン画面に終業時間が近いことを知らせる励ましのメッセージを表示しますが、これも顧客の声を反映して、管理する側だけでなく、利用する側にも使いやすいサービスを目指した結果です。すでに100社以上の導入実績があります。

 今後も顧客と話す機会をたくさんつくり、「どうしてそんなことになったのか?」を追求することで社会課題を見つけ出し、わが社にできることを考えていきたいと思います。(談)

NEC 働き方見える化サービス Plus では顧客の声を反映し、終業時間1時間前に「ラストスパートですよ。」のメッセージがポップアップ表示される
NEC 働き方見える化サービス Plus では顧客の声を反映し、終業時間1時間前に「ラストスパートですよ。」のメッセージがポップアップ表示される

(構成/渡貫幹彦=経済メディア編成部)

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日経ビジネス課長塾オンデマンドより
本連載の著者である井坂智博氏は、課長塾および課長塾オンデマンドの講師として活躍中です。課長塾オンデマンドでは、次世代リーダーが身に着けるべきスキルとしてデザインシンキング(思考)を解説しています。
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