インクルーシブデザインとは、障がい者など制約のある人々の不便やニーズをイノベーションにつなげるためのデザイン手法。デザイン思考と組み合わせて活用する。前回まででヤマ場となる「問題定義」までのステップが終了。今回は「アイデア」のステップを活性化するためのポイントについて、インクルーシブデザイン・ソリューションズ(IDS、東京・江東)社長の井坂智博氏が同社で行っているワークショップの経験から紹介する。

IDSのワークショップでアイデアを披露する参加者
IDSのワークショップでアイデアを披露する参加者

アイデアは「発散」のステップ

 ここまでの連載を参考に「問題定義」はうまくできたでしょうか? うまくいった方は、「この社会課題を解決するぞ」と意気込んでいると思います。一方、うまくいかなった方は、もう一度感情マップに戻って、やり直してみてください。デザイン思考は進んだり後ろに戻ったり、繰り返したりして進めていくことが大切です。

 今回は問題定義の次のステップである「アイデア」に移ります。日本でデザイン思考が機能しないのは問題定義を飛ばして、「共感」からアイデアに直行してしまうことが原因だと強調してきました。実はアイデアにも落とし穴があります。それはアイデアが発散のステップであることを忘れてしまうことです。デザイン思考では、アイデアを会議メンバーの中で発散させ、プロトタイプを開発する過程で収束させていくのがセオリーです。ところが、企業は早い段階での結果を求めます。そのため、アイデアを出しているつもりでも「プロトタイプ」に進んでしまっていることがあるのです。これではデザイン思考が持つ“クリエティブ”な側面が失われてしまいます。

デザイン思考の5つのステップの中で、アイデアは発散のステップ。アイデアの幅が大きいほど、プロトタイプに向かって一気に収束する
デザイン思考の5つのステップの中で、アイデアは発散のステップ。アイデアの幅が大きいほど、プロトタイプに向かって一気に収束する

 十分にアイデアを発散させないと、収束した結果が「スマホのアプリ」など既視感のあるものになったりします。このようにして多くの日本企業は、誰かがすでに開発している商品・サービスに類似した商品・サービスをどんどん送り込んでいるのです。これでは持続的な事業は生まれません。そこで会議メンバーに幅広いアイデアを出してもらうためのファシリテーション(会議を円滑に進める技術)を、IDSが実施しているワークショップを例に紹介します。アイデア出しなどの会議は、各社さまざまな形式で行われていると思います。ここで紹介するポイントを全部とは言いませんので、少しでも取り入れてみてください。これまでになかった新鮮な“会議体験”になるのではないでしょうか。

若手からベテランまで会議メンバーの多様性を確保

 まず重要なのは会議メンバーの多様性を確保することです。ワークショップでも年齢や性別、キャリアをできるだけバラバラにしてチームを構成しています。商品開発の場合なら、開発担当・マーケティング担当・R&D担当者など専任担当者が集まって行うことが多いものですが、そこに多様な環境で仕事をするメンバー、例えば営業・人事・総務のようなメンバーを包含して試すのも手です。いつもと同じ部署のメンバーではどうしても凝り固まったアイデアになる傾向があります。過去の延長線上のようなアイデアにならないよう、おのおのの違いを新しい価値に変えてアイデアの選択肢が増えるようなメンバー構成を心がけてください。

 また、「若者は柔軟性がある」と考え、若い社員だけで会議メンバーを構成したほうがいいのではと考える方も多いでしょう。ですが、40~50代のベテラン社員には経験値があります。問題を解決していくためのアイデアやプロトタイプが生まれた先に、ビジネスとしてマネタイズしていくときには、ベテランの経験が役に立ちます。社外の情報も豊富に持っているベテランもたくさんいますので、そういう意味でも多様性のある会議メンバーにしておくことは後々に生きてくるのです。

 なお、アイデアのステップでは予備知識は必要ありません。むしろ問題定義について一切、事前学習しないほうがいいくらいです。他部署などからのメンバーには問題定義の内容やこれまでの経緯をレクチャーする必要はまったくありません。

アイデア出しは短時間、イラストで表現

 会議メンバーに多くの時間を与えないことも重要です。ワークショップでは数分でアイデアを考えてもらいます。短くすることで、「弊社のリソースでは難しいか……」といった前提条件を考慮してアイデアの幅が狭くなるのを防ぎます。実現性の有無は考えずに楽しいアイデアを直感的に出すことで発散させます。筆者は参加者に「ドラえもんの『どこでもドア』のような発想でいい」と話しています。会議メンバーにアイデア出しをとことん楽しむように仕向けてください。

 できればアイデアはイラストにしてもらうとベストです。なぜ、イラストにするかというと、文字で書くと固定観念にとらわれ、新しいアイデアが生まれにくいからです。普段と違った脳の使い方を会議メンバーにさせてみましょう。「短時間&イラスト」が斬新なアイデアを生む可能性を広げます。

ワークショップに参加した方のイラスト。このときの問題定義は「いつでも手ぶらで出かけるには?」だった。この通り、絵心がなくても大丈夫
ワークショップに参加した方のイラスト。このときの問題定義は「いつでも手ぶらで出かけるには?」だった。この通り、絵心がなくても大丈夫

メンバーのアイデアを1つにまとめる

 ワークショップでは、各自のアイデアを会議メンバーに説明するのですが、メンバー同士が気兼ねなく感想などを言い合えるように、それぞれが描いたイラストを1つにまとめる作業を実施します。

 まず1人目が自分で描いた絵について1分間で説明します。続いて2人目は必ず1人目のアイデアから何か1つ抜き取って、自分のアイデアに即興で取り入れます。そして3人目は、1人目と2人目のアイデアを……と、この作業を繰り返します。メンバーが多いと大変なので、最大で5人程度のグループに分けて1つのイラストにまとめるといいでしょう。このようなポジティブなチームビルディングを行います。

 繰り返すようですが、メンバーのアイデアが幼稚だとしてもまったく問題ありません。というのは、次の人にアイデアを渡したときに、瞬間的に次の人が前の人のアイデアの中からインパクトの強い部分、つまり“使える部分”や“楽しいと感じる部分”を拾ってくれるからです。イラストを1つにまとめる作業は、メンバー個々のアイデアからこれは面白いという部分だけを抜き取って、合わせたものになります。わずか5人繰り返すだけで、到底1人では思いつかないようなアイデアが短時間で生まれますし、幼稚だったアイデアが途端に可能性を含むアイデアに変化する可能性があります。

 1つにまとめる作業の感覚は、やったことがある方なら分かると思うのですが、古坂大魔王がプロデューサーを務めるピコ太郎が2016年にパイナップルやリンゴ、そしてペンをつなげた楽曲「ペンパイナッポーアッポーペン(PPAP)」に似たものがあります。関連がないモノ同士がつながる感覚がうけてPPAPは世界的に人気になりました。こういった発想力こそモノがあふれる時代に企業がイノベーションを起こすうえでも重要なことだと考えます。

前の人のアイデアを少しでも取り込んで、自分のアイデアをブラッシュアップさせる。これを繰り返すことで1人では考えつかないアイデアに到達できる
前の人のアイデアを少しでも取り込んで、自分のアイデアをブラッシュアップさせる。これを繰り返すことで1人では考えつかないアイデアに到達できる

メンバー同士のポジティブな関係を築く

 さらに、イラストを1つにまとめる作業は、会議メンバーの心理的安全性を高めて、メンバー同士の良好な関係を生み出すのにも有効です。1つにまとまったイラストには、必ず自分のアイデアが入っています。これが「私もチームに貢献した」という前向きな感情を生み出すからです。また、メンバー個々のアイデアの違いを乗り越えて、それを価値に変えることができれば、チームの結束力は確実に高まります。

 アイデアが1つのイラストにまとまったら、ワークショップでは最後に「こういうモノをつくりたい」というプロトタイプを紹介する短い寸劇をテレビCM風に作ります。CMを考える過程で、自分たちが製品・サービスに込めた価値を再認識できます。そして寸劇の発表後、ほかの参加者から感想を書いてもらいます。感想はほとんどがポジティブな内容になります。どこが良かったのかを再確認することで、新たなエネルギーを得たり、モチベーションの向上にもつながったりします。

 以上がIDSのワークショップにおけるアイデア出しのポイントです。ワークショップでは、各チームに障がいのある「リードユーザ」が加わります。リードユーザは、参加者の視点をより広げ、しっかりとした問題定義へとファシリテーションしてくれます。アイデアからプロトタイプの過程に、ビジネスにおけるダイヤモンドの原石が眠っていることに気付かせてもくれます。IDSのワークショップは毎月無料で開催しています。ご興味のある方はぜひ体験してください。

ワークショップでの寸劇の様子。参加者の楽しさが伝わってくる
ワークショップでの寸劇の様子。参加者の楽しさが伝わってくる

(構成/中山洋平、図版はIDSの資料を基に編集部で作製、写真提供/IDS)

【活用事例】
freee~アクセシビリティ向上でだれもが働ける環境を目指す

 普段何気なく使っているWebサービスだが、提供する各社は使いやすいサービスにすべく日夜、UI/UX(ユーザーインターフェース/ユーザーエクスペリエンス)に磨きをかけている。クラウド会計ソフトなどを提供するfreeeもインクルーシブデザインの考え方を取り入れてUI/UXの改善に取り組んでいる。同社プロダクト戦略本部 UX部 デザイン基盤チームの伊原力也氏にインクルーシブデザインを取り入れる意義や今後の目標などについて聞いた。


 freeeはビジョンとして「だれもが自由に経営できる統合型経営プラットフォーム」を掲げています。これを実現するうえではアクセシビリティ(利用のしやすさ)の向上は不可欠です。そこで国際的なガイドラインに沿った形でアクセシビリティの向上に取り組み始めました。でもガイドラインは、あくまで“使えなくならない”ようにするための網羅的な決めごと。例えば、ガイドラインには「視覚障がい者は画像が見えないので、代わりのテキストを入れましょう」と書かれています。しかし、ガイドラインだけを頼りにしていては「そこで本当に必要なテキストは何なのか」を実感を持って理解することは難しいのです。

 やはりアクセシビリティが必要な方と一緒に開発する必要があると痛感し、知人で視覚障がいのあるエンジニアの中根雅文に2018年にfreeeに入社してもらいました。中根は実際にfreeeのユーザーだったので、貴重な厳しい意見をたくさんもらいました。

 前述の画像や写真については、過不足のない情報をテキストで伝えることが理想です。この過不足のない情報のイメージが、中根が使う状況を想像することでしっかり理解できるわけです。やたら詳しく説明したり、こちらが重要な画像ではないと判断して勝手にテキストを省いたりといったことが減り、利用者の思考の流れの中で画像や写真が意味するところを簡潔に説明できるようになりました。全盲の状況以外でも、色づかいや、拡大表示したときにおかしくならないようにするなど、制約のある方にも使えるUIへと改善を進めました。

 とはいえ、現時点ではインクルーシブデザインが理想とする制約のある方々との共創までには至っていません。個人的な目標ですが、開発の初期段階から制約のある方々と製品を開発する方向に舵(かじ)を切っていければと思っています。そうして日本中の方々がいかなる状態、障がいで制約があっても、高齢になっても、事故などで一時的にケガをしていても使いやすいfreeeになりたいです。

 そして、freeeだけでなく他社の業務クラウドサービスとも協調して、業界を挙げてアクセシビリティを向上させたいですね。これが達成されて初めて、障がいの有無や年齢に関係なく、誰もが同じように働ける環境が生み出されるのではないでしょうか。(談)

中根氏が製品のレビューを行っている様子(写真提供/freee)
中根氏が製品のレビューを行っている様子(写真提供/freee)

(構成/渡貫幹彦=経済メディア編成部)

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