インクルーシブデザインは、障がい者など制約のある人々の不便やニーズをイノベーションにつなげるためのデザイン手法。本連載の著者であるインクルーシブデザイン・ソリューションズ(IDS、東京・江東)社長の井坂智博氏は、デザイン思考と組み合わせて、企業や自治体の新規事業開発などを支援している。今回はインクルーシブデザインを実現するための重要な方法論である「極端ユーザーマーケティング」を解説する。

これまではターゲットとなる生活者ができるだけ多くなる平均的なユーザー(メインユーザー)を対象とした製品・サービス開発が主流だった(左)。しかし、この手法は限界を迎えており、むしろ数としては少ない極端ユーザーのニーズにこそより多くの新規事業の芽が隠れている(右)
これまではターゲットとなる生活者ができるだけ多くなる平均的なユーザー(メインユーザー)を対象とした製品・サービス開発が主流だった(左)。しかし、この手法は限界を迎えており、むしろ数としては少ない極端ユーザーのニーズにこそより多くの新規事業の芽が隠れている(右)

未来の超高齢社会が垣間見える

 極端ユーザーマーケティングとは、「目が見えない」など極端な制約を持っている中でも自立した生活を目指している人々(IDSは「リードユーザ」と呼んでいます)の行動を観察し、新規事業の開発に生かす方法論。最近の事例では、花王が2019年に発売したアタックZEROの容器はこうした手法を取り入れて開発されました(末尾の別掲記事参照)。制約のある人々を含めて誰もが使いやすい製品・サービスを考え、それを通じて将来の社会課題を解決し、持続的な事業を創出するのが極端ユーザーマーケティングの目標になります。

 そのメリットといえば、未来の社会をリアルに想像できることでしょう。現在、高齢化や気候変動が予想を超えるスピードで進展しているため、多くの企業では将来をうまく想像できません。そのためあくまで仮説からの事業開発にとどまり、現実とギャップが出てしまうことが問題視されています。ところが身体制約のあるリードユーザを観察する極端ユーザーマーケティングでは、超高齢社会の未来の問題が垣間見ることができます。しかも、その解決策を同時に知ることができるかもしれないのです。

 今回はIDSが実施しているワークショップをベースに、極端ユーザーマーケティングの方法論を具体的に見ていきます。IDSではインクルーシブデザインをデザイン思考と組み合わせて活用していますが、極端ユーザーマーケティングは、一般的なデザイン思考のステップのうち、「共感」から「問題定義」をカバーしています。ここで改めて強調しておきますが、日本企業のデザイン思考がうまくいかないのは、問題定義をスルーして「アイデア」に直行してしまうことです。問題定義のステップで社会課題を抽出する作業をしっかりと実施します。

デザイン思考の5ステップ。「問題定義」の段階で社会課題の抽出を実施する
デザイン思考の5ステップ。「問題定義」の段階で社会課題の抽出を実施する

テーマ設定でアイデア合戦を回避

 早速、リードユーザを観察して、不便やニーズを洗い出したいところですが、デザイン思考ではテーマ設定が先です。ここで下手なテーマを立てると、アイデア合戦になってしまい、問題定義が深まりません。例えば、視覚障がい者がお財布から小銭やカードを取り出すのが大変という部分に共感して、テーマを「視覚障がい者にも使いやすい財布を作ろう」としてしまうと、小銭を分類して入れられるとか、蛇腹でカードが取り出しやすいとか、アイデアばかりが先行してしまうのです。

 テーマは抽象度を上げるとともに、開発したい製品やサービスそのものにフォーカスするのではなく、下記のようにユーザーの行動プロセスや視点に注目して設定することが重要です。こうしたテーマ設定が議論の広がりを呼び、不便から社会課題を抽出することを可能にするのです。

●お財布の例
「障がい者にも使いやすいお財布」⇒×
「誰もが楽しい買い物体験」「魅力的なお財布体験」⇒

●スマホの例
「新しいスマホの開発」⇒×
「誰もが使いやすい・分かりやすいコミュニケーションをデザイン」⇒

「感情マップ」で問題定義の出発点を明確に

ワークショップで「感情マップ」を作成している様子
ワークショップで「感情マップ」を作成している様子

 テーマを決めたらリードユーザの行動を観察し、「感情マップ」を作成します。感情マップは、ワークショップの参加者がリードユーザの不便を付箋などで列挙しつつ、その不便を実際にリードユーザにヒアリングし、どのくらい不快なのかをプロットしたものです。実は皆さんが不便だと共感したことが、リードユーザに聞いてみると、「不快ではない」という答えが返ってくることが往々にしてあります。逆に「楽しい」と答えるケースもあるくらいなのです。

感情マップとは、リードユーザの行動と感情を一つのチャートにまとめたもの
感情マップとは、リードユーザの行動と感情を1つのチャートにまとめたもの
完成した感情マップを3つの領域に分類し、問題定義の出発点を明確にする
完成した感情マップを3つの領域に分類し、問題定義の出発点を明確にする

 完成した感情マップは、問題定義の出発点を明確にするうえで役立ちます。上の図で(1)の領域は、リードユーザの顕在ニーズです。日本企業はこれまで不便を見つけては便利なものを提供してきたので、そういった意味では多くの企業が手慣れた領域でしょう。しかし、前回解説した図(下)で(1)の経済合理性の限界点の内側にあり、レッドオーシャンの可能性がある点には注意しましょう。また、リードユーザの不便そのものを単純に解決しようとすれば(2)のユニバーサルデザインや(3)のバリアフリーの領域になってしまい収益が出ないケースもあります。

企業が選択すべき事業領域の分類
企業が選択すべき事業領域の分類

 感情マップの(2)の領域は不便だけど、気持ち的には可もなく不可もなくといった領域です。これは例えば全盲のリードユーザが最初はおっかなびっくり外を歩いていても、音の情報や足の感触などを頼りにすることで、いつしか外出に慣れてきます。すると、最初のころに不便やストレスだと感じていたものがそうではなくなってくるのです。実は(2)の領域にこそ潜在的なニーズあるいはニーズとして捉えられていないインサイトが隠されていることが多いのです。

 個人的な意見ですが、GAFAや米マイクロソフトは(2)の領域から問題定義を見つけている気がしてなりません。例えば、米フェイスブックは、これまでのコミュニケーションを承認欲求というインサイトに視点を置き換えて、あっという間に世界を席巻しました。米アマゾン・ドット・コムのボタンを1回クリックするだけで購入できる機能や配送期間の短縮サービスなどは、それまで通販だからしょうがないと多くの消費者が諦めていたものではないでしょうか。つまり潜在的ニーズあるいはインサイトは、ユーザーか気づいていない行動や感情の中に潜んでいるのです。

 感情マップの(3)の領域は不便なはずなのにドキドキやワクワクを楽しんでいる状態です。例えるならば、コロナ禍でのキャンプブームと似ているでしょう。我々は、「不便は解決すべきもの、その先に便利な世界を実現すべきだ」という前提で製品を開発してきました。しかし、環境制約やエネルギー制約、使える鉱物や水の制約が増加する未来の社会では、もはや利便性追求の開発は限界と考えられます。とはいえ、前述の通り未来を想像することは難しいので、企業が舵(かじ)を切るのは容易ではありません。リードユーザの「不便を楽しむための創意工夫」は、さまざまな制約下の製品開発のヒントになると考えられるわけです。

 問題定義のスタートをどの地点にするのかによって、どの市場でどんなゴールを目指して事業創造していくのかという起点になり、その選択肢は「不便を解決して便利なもの」「ユーザーインサイトからのイノベーション」「不便を楽しむという概念から未来制約を包含」などと広がります。感情マップは問題定義のスタート地点を1つのチャートで表現したもので、問題定義を行うためのシンブルかつ簡単なツールといえます。

抽象化で社会課題を抽出する

 問題定義の出発点が決まったら、いよいよ社会課題の抽出に移ります。感情マップの中から解決したい不便を選んで、抽象化という思考訓練に移ります。抽象化で大切なのは「自分ごと」にすること。テーマに沿ってリードユーザの不便を自分の不便に置き換えてみることが第一歩となります。テーマが「誰もが楽しい買い物体験」であれば、自分も財布を出すのが面倒と感じるときがある、レジに並ぶとイライラする……と思考をめぐらせましょう。すると、リードユーザにも自分自身にも共通の不便とそれを解決する価値が見えてきます。そこに社会課題が潜んでいることが実感できるようになるはずです。

リードユーザの不便を自分ごととし、共通する不便や解決に必要な価値を思考することで社会課題を抽出する
リードユーザの不便を自分ごととし、共通する不便や解決に必要な価値を思考することで社会課題を抽出する

 自分ごとを可視化する訓練は、日常生活の中で実践できます。モノを購入したり、サービスを受けたりしたときに、「私はどんな価値に対価を支払ったのだろう」と考える習慣をつけることです。先日、某社のR&D部隊のワークショップで、自分の買い物をテーマとしたカスタマージャーニーを作成しました。「新しい掃除機が欲しい」という気持ちに対して、その理由を「コードレスで軽くて吸引力が優れているから」と書いている参加者がいましたが、掃除のときの行動と気持ちにフォーカスし、インタビューを重ねると「部屋から部屋への移動がスムーズで、ゴミ捨てが簡単」が求めている価値でした。自分ごとを可視化するポイントは、製品・サービスの機能ではなく、自分の行動と気持ちに視点を置いた価値を考えることに尽きます。

 ワークショップではこの思考訓練から抽出した社会課題を問題定義としています。そして「アイデア」に移るのですが、企業の新規事業開発では、「自分ごと」ではなく、抽出した社会課題が自社の「提供価値」で解決できるかを考察してから問題定義を行います。ここでの提供価値はあくまで利用者が感じている価値そのものです。例えば、吉野家の提供価値は「うまい、やすい、はやい」です。この価値と抽出した社会課題との相性を考えます。いくら重要な社会課題でも自社の提供価値と相反する場合は事業化を見送るべきです。社会課題の解決に必要でも吉野家が高価なステーキを開発するのは、自社の強み(ユーザーが感じる価値)を生かせていないと私は考えます。

抽出した社会課題と自社のユーザー提供価値を組み合わせて問題定義を実施する
抽出した社会課題と自社のユーザー提供価値を組み合わせて問題定義を実施する

 ここまで極端ユーザーマーケティングを活用した問題定義の方法を解説してきました。リアルに超高齢社会の身体制約を想像し、問題定義ができるようになったら、そこから事業開発に移行しても構いませんが、これからは併せて環境制約を考える必要があります。身体制約と環境制約の双方を考慮してこそ、将来の持続的な事業が創造できるのです。それには「バックキャスト思考」を身に付ける必要があります。次回、詳しく解説します。

(構成/中山洋平、写真提供/インクルーシブデザイン・ソリューションズ、図版は同社の資料を基に編集部で作成)

【活用事例】
花王~制約のある人々の生活実態から生まれたワンハンドプッシュ

 花王は1991年、シャンプー容器に触るだけでリンス容器と区別できる「きざみ」を採用するなど、制約のある人々を含めたすべての消費者にとって使いやすい商品を開発してきた。最近でも2019年に発売されたアタックZEROの「ワンハンドプッシュ」は、インクルーシブデザインの考え方で開発されたという。アタックのブランドマネジャーを務める原岡理映氏に開発の経緯などを聞いた。


 アタックZEROは、環境負荷の低減と洗浄力を兼ね備えた洗浄基剤「バイオIOS」を採用しました。この新しい洗浄基剤とともに、これからの「お洗濯」を提案するために容器もゼロから見直すことにし、たくさんの生活者の方々に洗濯に対する不満やストレスをヒアリングしました。

 花王には制約のある方々でも使いやすい商品を開発するための部署横断型プロジェクトチームがあります。今回はそのチームと連動して、制約のある方々の生活実態をたくさん観察させていただきました。その中で視覚障がい者はもちろんですが高齢者でも洗剤を量るのが面倒で目分量で使っている方がいることに気づきました。目分量だと汚れが落ちなくて、結果、洗濯に不満を抱えてしまうこともあります。

 そこで1回のプッシュで5グラムを計量できるワンハンドプッシュを開発しました。ポイントは、片手で扱えることと親指で押せることです。力の入れやすい親指とテコの力で、誰でも軽くプッシュすることができます。発売後は無事に視覚障がい者や高齢者から使いやすいという感想をいただくことができました。また、決まった量をきちんと出せることがすごくうれしいという感想も多かったですね。結果的に誰もが使いやすい製品という評価にもつながりました。

 (インクルーシブデザインは)とても大切なことで、そして当たり前のことだと思います。花王は生活に密着した商品を作っているので、すべての人に快適や便利を届けるのが使命です。びっくりするようなことでなくても、毎日の生活をちょっとでも満たしてあげたい、これが私たちの一番やりたいことなのです。(談)

アタックZEROの新容器。制約のある人々の生活実態から誰もが簡単に必要な洗剤量を計量できるワンハンドプッシュを開発した(右)
アタックZEROの新容器。制約のある人々の生活実態から誰もが簡単に必要な洗剤量を計量できるワンハンドプッシュを開発した

(構成/渡貫幹彦=経済メディア編成部)

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日経ビジネス課長塾オンデマンドより
本連載の著者である井坂智博氏は、課長塾および課長塾オンデマンドの講師として活躍中です。課長塾オンデマンドでは、次世代リーダーが身に着けるべきスキルとしてデザインシンキング(思考)を解説しています。
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