ポストコロナを迎える今、各業界をリードするイノベーターたちはDX(デジタルトランスフォーメーション)をどう考えているのか。人工知能(AI)開発と実装を現場で見ているAIビジネスデザイナーの石角友愛氏がトップ経営者や専門家と、具体的かつグローバルな議論を展開する。今回はロイヤルホールディングス代表取締役会長の菊地唯夫氏を迎え、キャリアに対する考え方、ピンチを脱した同社の経営手法について議論した。(対談は2022年10月25日)

ロイヤルホールディングス代表取締役会長の菊地唯夫氏(左)と、AIビジネスデザイナーの石角友愛氏(右)が対談した
ロイヤルホールディングス代表取締役会長の菊地唯夫氏(左)と、AIビジネスデザイナーの石角友愛氏(右)が対談した

外資系金融マンが畑違いの外食へ、異色のキャリアを選択した訳

石角友愛氏(以下、石角) 先日、菊地会長が出演されたYouTube動画を拝見したのですが、「キャリアとは何か」という質問に「自然体」とお答えされていたのがとても印象的でした。金融から外食という、全く違う業界に転職されたご自身の経験から導き出された答えなのかなと感じたのですが、まずは歩んできたキャリアを教えてください。

菊地唯夫氏(以下、菊地) 学生のころから「将来は海外でビジネスをしたい」という思いがあり、少数精鋭で留学や海外勤務のチャンスがありそうな日本債券信用銀行(日債銀)に就職しました。入社後は企画部門を経て頭取の秘書を務めたのですが、1998年に日債銀が経営破綻し、翌年に頭取が逮捕されました(2011年に無罪確定)。

石角 働いていた銀行が破綻し、そばについていた頭取が逮捕されるというのは衝撃的な体験ですね。それでも銀行に残ったそうですね。

菊地 ええ。もともと企画部門も秘書も、自ら望んで異動したわけではありませんでした。ですが「自分が何をやりたいか」よりも「そのときの自分の責任を果たす」ことを考え、道を決めてきました。これはキャリア選択における私のポリシーになっています。ただ、元頭取の裁判が始まると私の出番は減っていき、弁護士に対応をお任せするようになっていきました。「秘書としての私の役割が終わったのだ」と思っていたころ、ドイツ証券からヘッドハンティングを受けたのです。

石角 同じ金融業界ではありますが、証券に興味はお持ちだったのですか。

菊地 いえ、そういうわけでもないんです。ですが働き始めてみると、アドバイザリー業務や資金調達のサポートなど、ダイナミックでグローバルな仕事が多くて非常に面白かったですね。4年ほど働き、ワークライフバランスを整えつつ、金融業界で学んだことを事業会社で生かしたいと考えていたときに、ロイヤルホールディングスから声をかけられました。創業者が経営から退き、経営体制を一新するので手伝ってほしいと請われたのです。そこで04年に転職しました。

石角 事業会社で働きたいと思っていたとはいえ、全く違う業界ですよね。お誘いがあっても「未経験だから」「知識がないから」とためらう人も多いと思いますが、菊地会長はチャンスがきたら思い切って飛び込んだ。とても柔軟性があるし、まさに「自然体」ですね。

菊地 自分が果たすべき役割は何かを意識して判断・行動しているからこそ、別の業界でも対応できたのだと思います。ロイヤルホールディングスには執行役員総合企画部長兼法務室長として入社したのですが、会社の業績は悪化し、内紛が起きるなどあまり良くない状況になっていきました。するとある日、当時の経営陣から社長就任を打診されたのです。社長をやりたいと思ったことはなかったのですが、「これが私の果たすべき責任なのだろう」と考えてお受けしました。

「社長は6年で辞める」キャリアに縛られず自然体で適応

菊地 社長就任時に決めていたことが2つあります。それが「6年で社長を退任すること」と「スムーズに経営を引き継ぐこと」です。当社は以前から経営の承継が上手ではなく、社長交代の度に混乱が起きていました。そこで自分が負うべき責任として「退任時は、スムーズに次の社長にバトンタッチしよう」と誓いました。

石角 社長を務める期間を「6年」としたのはなぜですか。

菊地 特別な理由はないんです(笑)。銀行では頭取の在任期間は「3期、6年」が通例だったため、たまたま6年という数字が思い浮かんだのだと思います。とはいえ、6年後に会社の業績が良ければ「もっとやりたい」と、業績が悪ければ「立て直してから辞めたい」と思うかもしれません。6年後の自分がきちんと社長を退けるのか、自信が持てませんでした。そこで信頼していた社外役員の方と、日債銀時代、お世話になった元頭取に6年で退任すると宣言し、“証人”になってもらいました。

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