大学2年時に、創部100周年での日本一を経験。在学中に日本代表にも選出され、4年時には主将に就任と、慶応義塾大学のラグビーの大黒柱として活躍した野澤武史氏。現役引退後は山川出版社社長を務めるが、慶応ラグビーで培った決断力が経営に役立っていると言う。
※日経トレンディ2021年8月号の記事を再構成

ーー野澤さんは慶応義塾幼稚舎から16年間を慶応で過ごした生粋の塾生でもありますね。現役引退後は山川出版社社長を務め、2020年には高校生ラグビー選手が自身のプレーのアピール動画を、ハッシュタグを付けてSNSにアップすることで進学のチャンスにつなげようとするプロジェクト「#ラグビーを止めるな」の発起人となりました。慶応でプレーすることを意識されたのはいつ頃でしたか。
小学5年生でラグビーを始めたのですが、小学校の卒業文集に「ラグビー・トップリーグの神戸製鋼でプレーすること」と書きました。ただ、慶応義塾体育会蹴球部(慶応ラグビー部)は私が中高生の頃、とにかくきつい猛練習が伝統。合宿で大学のチームが隣で練習しているのも見ましたが本当にそうで、でも当時は勝てなくて、絶対に入りたくないと思っていました(笑)。ただ幼稚舎から通って、他大に進学する人はほとんどおらず、周囲に引っ張られて慶応に進学した感じでした。

1994年に上田昭夫監督が就任して変わりました。私が入学する2年前の96年には10年ぶりに早慶戦を僅差で勝って、さらに翌年には大差で勝った。上田監督の指導には、「限界まで走れ」といったような根性練習が無く、根拠を持った練習をするスタイルでした。結果も在学4年間すべてで大学選手権ではベスト4以上で、国立競技場でのプレーを経験できましたし、この上ない時代に在籍できたと思っています。
ーー4年間の一番の思い出は何でしょうか。
やはり大学2年時、創部100周年で日本一になれたこと。これはすごく慶応らしいと思っています。普段はだらけていても、「やる時はやる」。創部100年という節目を意気に感じて、皆が一つになって、日本一になれたのはその象徴的な出来事のように感じます。
個人としても、やる気のスイッチが入る出来事がありました。私が高校1年生の時に3年生でキャプテンという憧れの存在だった金沢篤さん(現パナソニックBKコーチ)と、対抗戦で優勝して、日本一を懸けた大学選手権を控えたタイミングで偶然飲みに行ったんです。金沢さんは大学4年で副将。でもメンバーに入れず、「素直に喜べない」と言って涙していました。そういう人がいる中で、「人のために」という利他的なモチベーションがあったことで、良いプレーができました。
ーー慶応ラグビーの代名詞は「魂のタックル」といわれますが、プレーをしていていかがでしたか。
私の在学中はアタックが良くて攻め勝っていたんですが、その中でもタックルは個人に対する評価の中で、極めて重視されているポイントでした。「あの選手はタックルがうまいから」と主力のAチームに入ることができたり、逆に鳴り物入りで入学した選手でも「タックルができないから」と、試合に出られなかったりしました。
ーーラグビー以外の思い出はありますか。
語学の授業だけは出ないと卒業できないので、しっかり出席していました。スペイン語の授業を取っていたのですが、大学3年の春に留学することになった時に、クラスメートに激励の色紙をもらった時はうれしかったですね。
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