在学4年間で3度の日本一。早稲田大学ラグビー蹴球部の黄金期にあって、大学1年からレギュラーとしてプレーし続けた五郎丸歩氏。ラグビーワールドカップ2015での活躍でラグビー界の顔となった五郎丸氏は、早稲田ラグビーのレジェンドでもある。2021年6月に引退会見を行ったばかりの五郎丸氏に、早稲田で過ごした4年間の意味を聞いた。
※日経トレンディ2021年8月号の記事を再構成
〈早稲田大学 スポーツ科学部 2008年卒〉
――早稲田大学に進学した理由は。
当時ラグビーの強豪校だった関東学院大学に進学した1学年上の兄(五郎丸亮氏)に勝てるチームに行きたいと思っていたんです。関東学院大学を破れるチームの筆頭が早稲田だった。そこに進学したいと漠然と考えていたところ、当時の監督だった清宮(克幸)さんから声がかかりました。喜んで進学したのを覚えています。
私が進学してからの早稲田はとにかく強かった時代で、大学ではほぼ無敵でした。4年間ずっと試合に出続けましたが、練習試合も入れて学生相手に負けたのは2回だけだと思います。我々のターゲットはトップリーグのチームと対戦する日本選手権で、社会人にどう勝つかを考えながらプレーしていました。なので、大学2年時の日本選手権でトヨタ自動車を破った試合が4年間で一番の思い出です。
――早稲田大学ラグビー蹴球部の伝統を言葉にするとすれば。
「『荒ぶる』を追い続ける」ことに集約されると思います。「荒ぶる」というのはラグビー蹴球部の第2部歌で、日本一になった時と、その代の4年生だけに冠婚葬祭で歌うことが許されるという、特別な歌です。試合に出ていた人ではなく、その年の4年生だけに歌う資格があるというのが、上級生と下級生との一体感につながるユニークな伝統だったと思います。私は1年生から試合に出ていましたが、お世話になった4年生に「荒ぶる」を送って、気持ちよく卒業してもらいたいという思いが、下級生の時から常に頭にありました。
――自身も大学4年で日本一を経験しました。当時の心境は。
大学1年、2年と日本一になれましたが、3年の大学選手権決勝では関東学院大学に負けてしまいました。2年連続で日本一を逃せばチームが低迷期に入る。半永久的に早稲田が強いチームであるためには、前年の課題を修正して、日本一になって次の代にバトンを渡さないといけないと考えていました。日本一になれた時は、「勝ち取った」というより「ホッとした」という心境でした。
――早稲田のラグビーは「展開ラグビー」と形容されますが、プレーをしていていかがでしたか。
私たちの代はフォワード(FW)が明らかに強かったので、スペースを見つけてパスをつなぐ展開ラグビーに固執せず、FWの強みを前面に出すスタイルで勝とうと選手間で話し合っていました。
でも、OBの方からは「それは明治のラグビーだ」とか、色々なことを言われた記憶があります。確かにそれは一理ありますし、展開ラグビーが「美徳」とされているのも分かります。ですが、それで負けてもいいのかと。しかも先に話した通り、大学3年時には大学日本一になれなかったので、「展開ラグビーではなく、勝つことが早稲田なんだ」と、FWを前面に出して戦うスタイルを貫きました。
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